2009年 01月 27日
コヴァラム・ビーチ |
リゾート地としての快適さを保ちながらも、ゴアのビーチほど俗化しておらず、海岸線に沿って並ぶホテルのテラスから、地元の漁師が地引網を引く姿が見られるような、素朴な漁村の雰囲気をまだ味わえるところです。
このコヴァラム・ビーチには、ルンギと呼ばれる腰布からカモシカのような長い脚を出している、とてもセクシーなビーチボーイが沢山いて、観光客の相手をしてくれます。
私はこのコヴァラム・ビーチが大好きで、これまで2回、行っているのですが、2回目に行ったときは、たまたま運悪く到着日が大晦日と重なってしまいました。
その日の朝、6時の汽車でコーチンを発ってコタヤムまで行き、そこで小型船に乗り換えて、ケララ州の観光ハイライトであるバックウォーターと呼ばれる、椰子の葉が繁る水郷地帯を3時間かけてアレッピーまで航行し、
アレッピーで昼食をとったあと、タクシーをチャーターして、200km程走って夕方6時頃、コヴァラム・ビーチに着いたのですが、朝早くから動きまわったお陰で、コヴァラム・ビーチに着いたときにはすっかり疲れ果てていました。
私の旅のスタイルは、事前にホテルを予約しないで、行き当たりばったりに現地でその晩、泊まるホテルを見つけるというものなのですが、タクシーを降りて最初に飛び込んだ入り江の端にあるホテルで満室だといわれて宿泊を断られ、
荷物だけそのホテルに預かってもらって、そのホテルの隣のホテルからはじめて海岸線に沿って並ぶホテルを一軒一軒しらみつぶしにあたったのですが、大晦日のことでどのホテルも軒並み満室でした。
結局、部屋が見つかったのは、最初のホテルから500メートルほど離れた入り江の反対側の端にあるホテルでした。
部屋を見つけたあと、歩きにくい砂浜をまた500メートルほど歩いて荷物を預けたホテルまで戻ったのですが、そのときはもう疲労困憊していて、また荷物をもって500メートルも引き返すだけの体力は残っていませんでした。
それで砂浜にいた初老の漁師らしい男に、
「チップを払うから荷物をホテルまで運んでくれないか」
と頼んだら、
「ちょっと待て」
といってどこかに消えて行きました。
しばらく待っていると、突然、目の前に元気いっぱいという感じの若い男の子が現れ、「これが荷物かい?」と訊くと、砂浜に置いてあった私のバッグを軽々とかついで、さっさと先に立って歩きはじめました。
おもいがけず、ピカピカの美少年が登場したので、私はすっかり嬉しくなってしまいました。
後を追いかけながら、
「君の名前はなんていうの?」
と訊くと、
「レミーだよ」
と答えます。
「年齢は?」
「19歳」
「どこで働いてるの?」
「クロップ・サークルだよ」
「それどこ?」
「今、出発したところだよ。あそこの友人が経営するリゾートウェアの店で働いてるんだよ」
「あとで遊びに行ってもいい?」
「いいよ」
部屋が見つかったホテルまで行くと、チップとして20ルピー渡し、夕食後、彼の店に遊びに行く約束をしたのでした。
彼が働いている店は椰子の葉でできたちっぽけな小屋で、そこでレミーの雇い主である20代半ばの店の主人、スニールに紹介されました。
彼らのブティックの小屋の隣には、同じような椰子の葉でできた観光客相手のオイルマッサージ屋の小屋があって、私はそこに通されました。
その小屋の持ち主であるマッサージ師は、コヴァラム・ビーチから9km離れたトリヴァンドラムの町から毎日、通っているのだそうですが、
その日は帰らないで小屋に泊まることにしたので、そこでみんなで酒盛りをやろうということになったのです。
私が渡した金でレミーが買ってきたラム酒をみんなで飲みはじめたのですが、レミーのよくしゃべること。
彼らは仲間同士では英語ではなく、現地語のケララ語を話すので言っていることは理解できないのですが、レミーはまるで評論家みたいに滔々と熱弁をふるっていました。
あとで聞いたのですが、レミーは私生児で、父親は社会的にかなり地位の高い男だったそうですが認知されず、カトリックのミッションが経営する孤児院で育ったのだそうです。
英語がうまいのは、そのせいでしょう。
ただレミーは孤児院育ちの暗さがまったくない明るい少年で、将来に向かって前向きに生きて行く積極的な姿勢が感じられました。
酒盛りが終わったときは、もう外は真っ暗で、私一人でホテルに戻るのは無理だろう、とレミーが懐中電灯をもって送ってくれることになりました。
帰途、レミーは私に友人のスニールが店をもてたのは、コヴァラム・ビーチに遊びに来たオランダ人と仲良くなって開店資金を出してもらったせいで、
自分もいつまでもスニールに使われていたくないので、早く自分の店をもちたい、といい、
「5万ルピー(当時のレートで約15万円)の開店資金があれば、店を出せるんだけど、あなた、ボクに5万ルピー出資してくれる気はない?」
と訊いてきました。
「5万ルピーは出せないけど、もし君が私とセックスしてくれたら、お礼はするよ」
と答えると、
「あなたはボクのことを金のためにセックスする売春夫だとおもっているのかい?」
と憤然としていいました。
観光客と友人になって事業資金を出してもらうことと、観光客相手にセックスして金をもらうのはまったく別のことです。
彼は売春夫扱いされたことで腹を立てたらしく、ホテルに着くまで二度と口を利いてくれませんでした。
ホテルに着いて帰り際、レミーは、
「今日、ボクがあなたの荷物を運んだとき、あなたはボクにチップを20ルピーくれたよね。あれは出しすぎだよ。本当は10ルピーでよかったんだよ」
捨て台詞のようにいって、足早に立ち去って行きました。
逃がした魚は大きい、と言いますが、私の不用意な一言で、彼のような魅力的な男の子を失ってしまったのは、本当に残念な気がしました。
しかし、立ち直りの早い私は、一晩寝るとレミーのことはケロリと忘れ、翌日は灯台の向こうの人気の少ないビーチに行き、
そのビーチに隣接するイスラム教徒の漁村からやってきた、海水浴客に椰子の葉で編んだマットや日よけの覆いを貸し出す仕事をしているビーチボーイたちと仲良くなり、楽しいときを過ごしたのでした。
昼食もそのビーチに面したホテルのレストランで取ったので、泊まっているホテルに戻ったのは夕方の4時頃でした。
ホテルに戻ると、マネージャーが出てきて、
「今日、あなたの留守中に、あなたを訪ねてインド人の少年が何度もやってきた」
といいます。
風体を聞くとレミーに間違いありません。
「今晩、一緒に食事をしたいから、是非、店に来てくれっていってましたよ」
昨夜、あれだけ怒って帰ったのに、いったいどういうことなのか、怪訝に思ってクロップ・ポイントまで行くと、レミーが店から飛び出してきて、
「今日はどこに行ってたんだよう。何度もホテルまで会いに行ったんだよ!」
と私を責めます。
「灯台の向こうのビーチに行ってたんだよ。君には嫌われて、もう会えないかと思ってたんだけど・・・」
「嫌ってなんかいないよ」
「でも悪いけど、お店の開店資金は出せないよ」
念のためにいうと、
「わかってるよ。あんたがビンボーだってことは!」
ちょっと皮肉っぽい口調でいい、その話は二度と持ち出してきませんでした。
結局、仲直りした形になって、レミーとスニールと私の3人で、レミーの友人が経営しているというレストランに夕食を取りに行きました。
料理を注文してから出てくるまで1時間もかかる店でしたが、だれも急いでないし、テレビのモニターに映し出されるインド映画のビデオを見たり、おしゃべりしながら、ゆっくりと食事をとりました。
夕食後は、スニールの店に戻りました。小屋の中にはハンガーにかかった商品の衣類が詰め込まれていましたが、夜は、スニールとレミーは空いている2畳位のスペースにゴザを敷いて寝るということでした。
そこでまた酒盛りをしようということになって、レミーは私から金を受け取ってラム酒を買いに行きました。
小屋にはスニールと私だけが残ったのですが、前夜の酒盛りのときの2人の様子から、私にはスニールとレミーがどういう関係にあるか、だいたい察しがついていました。
それで、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」の言葉どおり、まず最初にスニールを攻めることにしました。
スニールは誘うとすぐに乗ってきて、服を脱ぎはじめ、レミーがラム酒のビンを手に小屋に戻ってきたときは、私とスニールは素っ裸で絡みあっていました。
レミーはその光景を見て別段、驚いた風もなく、自分もさっさと服を脱いで仲間に加わってきました。
3Pというのは、3人の息がよほどピッタリ合ってないとうまく行かないものですが、この2人はコヴァラム・ビーチにやってくる外国人旅行者と3Pをやりなれているらしく、
2人のリードで流れるようにスムースに次から次へと体位を変えながらトリプルセックスを楽しんだのでした。
その夜、私は2人と共に小屋に泊まったのですが、翌朝の5時には、
「もう朝だよ。早く起きてよ」
とレミーに叩き起こされてしまいました。
時計を見て、
「まだ5時じゃないか。もっと寝かせてよ」
と寝ぼけ声で抗議したのですが、レミーは今の間に小屋を出ないと人に見られるしまうから、といって聞きません。
追い出されるようにして小屋を出て、自分のホテルに戻ってもう一度、寝直したのですが、その日の夕方、またレミーたちと一緒に夕食をとろうと思ってクロップ・ポイントに行くと、レミーがでてきて、
「スニールがねえ、今晩は一緒に食事をしたくないっていってるんだよ」
といいます。
当のスニールは、店の前のコーヒーショップにいて、ふてくされたような顔でコーヒーを飲んでます。
「なんで食事をしたくないっていってるんだい?」
「なんか、あなたのことで気を悪くしたみたいだよ」
なぜ気を悪くしたのか、その理由をレミーに尋ねたのですが、いっこうに要領を得ません。
スニールの方は最初から私と口を利こうとはしません。
オネエというのは世界共通で、どうでもいいようなことですぐに腹を立てむくれるものだから、気にしてもしょうがないと思って、
「もし、彼が食事に行きたくないんなら、君とボクと2人だけでレストランに行こうよ」
とレミーにいうと、それでかまわないといいます。
もともと私の目当てはレミーで、スニールなんかどうでもいいのです。
それに私はスニールの目つきが気になっていました。
麻薬をやっている人間に特有の焦点の定まらない、どんよりした目つきをしているのです。
あとでレミーに確かめたら、やっぱりドラッグをやっているとのことでした。
ところがいよいよレミーと一緒に昨晩のレストランに行こうというときに、またレミーがやってきて、
「スニールがねえ、やっぱり一緒に食事に行きたいといってるんだよ」
といいだしました。
スニールの気が変わったというのです。
「さっきは食事に行きたくないといって、今度は行きたいというのか!別に無理して食事に付き合ってもらわなくていいよ!」
私は腹を立てていいました。
食事代は私が払うのです!
結局、スニールを無視して、レミーと2人だけで昨晩のレストランに行って、またゆっくり時間をかけて食事をし、そのあと、スニールの小屋の隣のマッサージ師の小屋に行きました。
マッサージ師は、今夜は家族のいるトリヴァンドラムに戻るので、私たちのために小屋を空けてくれたのです。
小屋の床は砂浜の地面で、その上にゴザを敷き、さらにその上にシーツ替わりの布を敷いて寝たのですが、隣の小屋にいるスニールがひっきりなしにレミーに話しかけ、レミーがそれにたいして言い返しています。
隣の小屋とは椰子の葉で編んだ壁で仕切られているだけで、声は筒抜けなのです!
レミーによると、スニールは昨晩みたいにまた3人で寝たいといっているそうで、レミーはそれを断っているのだといいます。
「ボクもスニールにはウンザリしてるんだよ!」
私を喜ばすためか、レミーはそんなことをいいます。
いくら声をかけても、レミーから色よい返事は返ってこないので、とうとうスニールは、こちらの小屋に侵入しはじめました。
小屋の床は砂浜なので、簡単に掘ることができ、2つの小屋の仕切りになっている椰子の葉を編んで作った壁の下をくぐりぬけてこちらの小屋に入ってこれるのです!
スニールがそうして入ってきたとき、私の堪忍袋の緒が切れ、
「レミーがお前と寝たくないっていってるのがわからないのか!さっさと自分の小屋に戻れ!」
と怒鳴りつけると、やっとおとなしくなって、自分の小屋に戻って行きました。
スニールが自分の小屋に戻ると、レミーは、
「やっと二人きりになれたね」
と私に寄り添ってきました。
「こんなに幸せな気分は生まれてはじめてだよ」
私に抱きつきながらいいます。
ちょっとオーバーじゃないかと思いましたが、レミーは努力して雰囲気を盛りあげようとしてくれているんだから、感謝しなければと思い直しました。
なんといっても、彼はとびっきりの美少年なのです。
コヴァラム・ビーチは、波の音が共鳴することで有名な海岸で、こうして小屋の中で二人で抱き合っていると、反響する波の音がまるで子守唄のように聞こえ、波に抱かれて寝ているような心地になります。
なにもない殺風景な小屋ですが、こうしているだけで十分、シアワセで、もうこれ以上、人生で望むものはないという気になってきます。
その夜、世界は2人のものでした。
レミーと別れて日本に帰国してから、レミーから手紙や絵葉書が頻繁に届くようになりました。
どの手紙にも来年、あなたとコヴァラム・ビーチで再会できるのを楽しみにしていると書いてあり、末尾は I LOVE YOU ! で結んでありましたが、
そのあと必ず、こちらが聞きもしないのに「スニールも元気です」と書き添えてありました。
スニールとの仲は切れずに続いているようで、結局、倦怠期のカップルの刺激剤として利用されただけのような気がしないではありませんでした。
私は次の年もコヴァラム・ビーチに戻ってくるとレミーに約束し、その言葉は決して嘘ではなかったのですが、日本に帰国するとその約束をしたときには忘れていた「現実」が私の前に立ちはだかり、
その現実に追われて、結局、翌年の暮れはコヴァラムビーチには行くことはできませんでした。
それでお詫びの気持ちもかねて、レミーに2万円ほどの現金を郵便為替で送りました。
2万円は日本では大した金額ではありませんが、警官の月給が6千円ほどのインドではちょっとした金額です。
その金でなにか欲しいものでも買ってくれれば、と思ったのです。
しばらくして、レミーから金を受け取ったという手紙が届きました。
しかし、その手紙には、
「ボクはあなたにコヴァラム・ビーチに戻ってきてくれと頼んだけど、金を送ってくれと頼んだ覚えはない。ボクはちゃんと仕事をして金を稼いでいるから、もう金は送らないでくれ」
と書いてありました。
あくまでもプライドは高いのです!
それでも私が送った金でマドラスまで遊びに行ったと書いてましたから、やはりお金を送ってよかった、と思ってます。
「世界OTOKO紀行」の目次に戻る
by jack4africa
| 2009-01-27 19:49