2009年 01月 30日
カミングアウトという幻想 |
「カミングアウト」というのは、ゲイリブ用語で自分が同性愛者であることを世間に公表することを意味します。
その反対が「クローゼット」で、「隠れホモ」を意味します。
ゲイリブにいわせると、クローゼット=隠れホモは、自分が同性愛者であることが周囲の人間にバレないかびくびくしながら、異性愛者のフリをして生きている人間ということになりますが、
アメリカのような同性愛者差別の激しい国であればともかく、日本のような同性愛に寛容な国では、同性愛者であることをオープンにしないことは必ずしも、ホモであることを隠していることを意味するものではありません。
以前、テレビで歌手の美川憲一が「あたしはこれまで自分からホモだっていったことは一度もないわよ」
といっているのを聞いて思わず笑ってしまったことがありますが、わざわざホモだといわなくても、
大晦日の紅白で派手な衣装を着て歌っている美川憲一を観て、彼が女とSEXしている姿を想像する日本国民は一人もいないでしょう。
美川憲一は自分から積極的にホモであることを主張しないという点では、ゲイリブのいうクローゼットにあたるかもしれません。
しかし、彼は言葉でカミングアウトする代わりに、オネエ丸出しの話し方やファッションで自分が男好きの人間であることを世間にアピールしているのです。
このことはわれわれ一般ホモにも当てはまります。
われわれ一般ホモは、美川憲一ほど派手にオネエっぽさを強調することはありませんが、それでも知らず知らずのうちに周囲にオネエのオーラを振りまいています。
その結果、自分であまり自覚していないだけで、けっこう周囲の人間にはホモであることがバレているのです。
それでも周囲の人間が、「お前、ホモだろ!」などと面と向かって言わないのは、われわれに対する思いやりで、ホモであることや、ホモであることを知っていることを指摘して傷つけたりしないように気を遣ってくれているのです。
ハゲを隠すためにカツラを被っている親父や、ブスの女性にその事実を指摘しないのと同じで、そういう意味では、ホモであることは一種の欠陥として見られていることになりますが、
欠陥といっても、チビとかハゲとかデブとかブスとか、本人にとっては深刻な問題かもしれないけど、他人にとってはどうでもいいような種類の欠陥で、
アメリカみたいに同性愛者であるというだけで、全人格を否定されてしまうようなことはないのです。
そのため、なまじっか、同性愛者であることをカミングアウトしたりすると、
「せっかく気がついていないフリをしてやってるのに、なんでわざわざ口に出していうんだよ!」
と反感を買ってしまうことにもなりかねません。
実際、同性愛が個人的な趣味嗜好の問題としてしかみられていないこの日本で、親きょうだいや親友ならともかく、
単なる職場の同僚でしかない人間に同性愛者であることをカムアウトしても、告白された方としては返答のしようがないんですよね。
「そんなこといわれなくても、とっくに知ってたわよ!」
などというのは嫌味に聞こえるだろうし、
「あらそう、それは良かったわね」
だとあまりに愛想がなさすぎるし・・・
ゲイリブなんかは、
「そうなの、ゲイなの。これまで随分とサベツされて辛い思いをしてきたんでしょうね。でもあたしはゲイだからってサベツなんかしないわよ。あなた方、ゲイの解放運動を応援するわ!」
などという言葉が返ってくるのを期待しているのかもしれませんが、よほど芝居っ気のある人間でない限り、そんな歯の浮くようなセリフは気恥ずかしくて口にできないでしょう。
私の場合は、仕事柄、若い女性と一緒に仕事をすることが多いのですが、もし彼女たちの一人に、
「実はあたし、レズなんです」
と告白されたら、
「それがどうした!そんなことはどうでもいいから真面目に仕事しろ!」
と怒鳴ってしまうような気がします。
私は常日頃、彼女たちの好い加減な仕事振りに腹を立て、怒ってばかりいるので、仕事をきちんとやってくれさえしたらそれで十分、満足で、プライベートでレズをやろうが、SMの女王様をやろうがどうでもよいのです。
無能な部下や同僚、あるいは上司を持って悩んでおられる方であれば、この私の気持ちを理解していただけるのではないでしょうか。
所詮、日本では同性愛なんてその程度の問題で、「カミングアウト」などと呼んで、さも重要なことであるかのように大げさに騒ぎ立てる方がおかしいのです。
by jack4africa
| 2009-01-30 00:05
| ゲイリブという幻想