2009年 02月 03日
貴族の愛人になり損ねた話 |
会社のメッセンジャーボーイやブティックの商品の配達係り、小学生の学校への送り迎えに、日本人観光客相手の土産物屋の店員、等々、フランス語が十分に話せなかったので、ろくな仕事はなかったです (--)
そういうアルバイトはどうして見つけるかというと、新聞に求職広告を出すのです。
いつも利用していたのはフランスで一番大きい新聞フィガロで、シャンゼリゼーにあるフィガロの本社に行って、「日本人学生、20歳、仕事を求む」などという3行広告を出すと大抵、返事が2、3通きます。
その中から良さそうなアルバイトを選ぶのですが、あるとき、
「私は日本人の若い男性を食事に招待するのが好きです。今度の日曜日に私のところに食事にいらっしゃいませんか。仕事のことも相談に乗れると思います。」
という手紙が来ました。
読んでピンときましたが、暇だったので行ってみることにしました。
手紙の主は、パリ20区モンマルトルに住む、昔、フランス映画によく出ていたドイツ人の俳優クルト・ユルゲンスそっくりの長身の渋い感じの初老の紳士でした。
彼はスイス出身の貴族で、男爵だと自己紹介しました。
20畳ほどの広さのごてごてした調度のリビング兼ダイニングルームで、男爵お手製の料理をかいがいしくサービスしてくれて、一緒に食事をしながら話をしたのですが、彼は日本人の若い男が好きで、これまで3人の日本人の世話をしてきたといいます。
男爵が日本人の若い男を好きになったのは、十年ほど前、赤十字の代表として日本に赴任したことがきっかけだそうです。
日本では赤十字の仕事のかたわら日仏学院でフランス語を教えていたそうですが、そのクラスに日本人の若い男の生徒がいて、その彼がある休日に男爵が当時、住んでいた横浜の家まで訪ねてきて、突然、男爵に愛を告白したんだそうです。
ホンマかいな?
その日本人の彼はフランス留学を熱望していたそうで(ヤッパリ!)、男爵は彼の愛に答えて、赤十字の仕事の任期が終わってフランスに戻ると直ぐに航空チケットを送って彼をフランスに呼び寄せ、
2人はそれから3年間一緒に住み、日本人の彼は男爵の庇護の下、パリで学校に通って勉強したのだそうです。
その彼が最初の愛人で、その後、2代目、3代目と続くのですが、男爵の本業は画商で、みずからも絵をたしなむそうで、部屋の壁には、男爵自身が描いたこれまで世話した日本人の若い男3人の肖像画が3枚並べて額に入れて飾ってありました。
男爵は日本時代の思い出のアルバムというのを見せてくれましたが、それが畏れ多くも赤十字の代表として当時の皇后陛下と握手している写真の隣に、
彼が可愛がっていた日本人の男の子が全裸でベッドに寝そべってニターッと笑ってる写真が貼ってあったりするトンデモないアルバムで・・・
男爵は、これまで世話した3人の日本人の中では、3人目の男の子が一番気に入っていて、その彼とは2年間、一緒に暮らしたそうですが、
その間、北はノールカップから南はジブラルタルまでヨーロッパ中を一緒に旅行し、自分の人生で最もシアワセな2年間だったと述懐してました。
その最愛の日本人の男の子がフランスでの勉学を終えて最近、日本に帰国したので、現在、4人目の日本人の愛人を探しているとのことで、私に4代目の愛人になる気はないかと聞くのです!
男爵はスペインに所有する別荘の写真も見せてくれました。
その別荘はプール付きの広い別荘で、プールサイドにはやはり全裸のスペイン人の若い男が寝そべっていて・・・
「自分の愛人になれば、こんな贅沢ができるんだよ」
とアピールするために、そんな写真を見せたのだと思いますが、男爵とセックス抜きで付き合って、そういう贅沢ができるんなら良いんだけど・・・
彼は前述したようにクルト・ユルゲンス似の渋い中年で、優しそうな人だし、お金持ちだし、私がフケ専だったら喜んで愛人になったかもしれません。
しかし、あいにくと私はフケ専ではなく、若い男にしか関心がないのです。
それでも、よほど高額の愛人手当てがもらえるなら、我慢できるかもしれませんが、
「それであなたの愛人になった場合、月々いくら、お手当てをいただけるんでしょうか?」
と単刀直入に訊いたら、
「金目当ての若い男とは付き合いたくない」
との返事です。
「金で買える若い男なんてこの界隈(モンマルトル)にはいくらでもいる。私が求めているのは精神的な愛だ。もし君が私を精神的に愛してくれたら、私も君のためにできるだけのことをする。しかし、まず君が私を精神的に愛してくれることが前提条件だ。」
男爵の言いたいことは分かりますが、残念ながら、彼を恋人として愛するなんて私にはとても無理です。
正直にそう言うと、
「君はお父さんのことが好きだろ? お父さんに抱かれたいとおもったことはないかい?」
と訊きます。
「そんなことある訳ないでしょう」
笑って否定すると、がっかりした顔になりました。
そんな次第で、愛人になるという話は不成立に終わったのですが、私としては最初から冷やかし半分で、本気で男爵の愛人になりたいなどとは思ってなかったので、別に失望はしませんでした。
食事をご馳走になって、面白い話を聞かせてもらっただけで十分満足で、帰りしなに、男爵がコートを着せかけてくれたときに、私を背後から抱きしめてキスしようとするのをスルリとかわし、
「ご馳走様でした!」
と明るく別れの挨拶をして、彼のアパルトマンを辞去して、そのまま彼のことはケロッと忘れてしまったのでした。
そんな男爵のことがしきりと思い出されてくるようになったのは、それから1年くらい経ってからです。
パリにいる間、ずっとアルバイトをしていたものの、学校の勉強を優先していたので、フルタイムの仕事に就けず、アルバイト代だけでは生活費が賄えず、
日本から持ってきた金を少しずつ取り崩して不足分を補填していたのですが、その資金がいよいよ底をついてきたのです。
そして情けないことに金がなくなると男爵のことを思い出すようになったのです (^^;
いまさら、愛人にして欲しいなどと虫の良いことは考えませんでしたが(やっぱり、ジジイと寝るのは嫌だし)、男爵ならわりの良いアルバイトの口を紹介してくれるかもしれないと思ったのです。
最初にくれた手紙には仕事のことも相談に乗るって書いてたし、一緒に食事をしたとき、映画が好きなので、将来、映画の仕事をしたいと言ったら、「マルセル・カルネとは仲の良い友人だから、彼に紹介してもいい」と言ってくれたのです。
マルセル・カルネは『天井桟敷の人々』や『北ホテル』などの名作で知られるフランス映画の巨匠ですが、ホモとしても有名でした。
しかし、男爵のアパルトマンの電話番号をメモした紙切れがどこを捜しても見つからないのです。
私って人間関係に淡白というか、薄情なところがあって、こういうことってよくあるんですよね。
結局、男爵との再会は果たせず、私のパリ生活は最後まで、貴族的な優雅さとは無縁のビンボー生活が続いたのでした。
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by jack4africa
| 2009-02-03 00:08