2009年 05月 12日
ハーヴェイ・ミルクの神話 |
1977年にカリフォルニア州サンフランシスコ市の市政執行委員(日本の市会議員に相当)に当選し、アメリカで初めてゲイであることを明らかにして選挙で選ばれた公職者となり、
その1年後、同僚委員によって射殺されたゲイリブ活動家、ハーヴェイ・ミルク(1930-1978)の伝記映画、『ミルク』(ガス・ ヴァン・サント監督)が公開され、リブ釜たちがはしゃいでいます。
あるリブ釜は自分のブログに次のように書いています。
ハーヴェイ・ミルクの名前をどれくらいのゲイが知っているのだろうか。我々が今、享受している「LGBTの権利」がどのような闘争を経て獲得されてきたものなのか、どれくらいのゲイが知っているのだろうか。それを知るためだけでもこの映画は見る価値がある。
彼はまた次のようにも書いています。
私たちは今のゆるい日本で逮捕されない程度のLGBTの自由(?)を謳歌している。日本の民主主義は戦って獲得されたものではなく敗戦によって与えられたものだから、我々がゲイを公言しても捕まりはしないのは元をたどればアメリカ経由のミルクの功績に負っている。
いったいぜんたい、どうすればこのような勘違いというか、無茶苦茶な牽強付会ができるのか、ゲイリブのぶっ飛んだ思考は常人には諮りがたいというか、とてもじゃないけどついていけません。
まず彼がいう「LGBTの権利」あるいは「LGBTの自由」ですが、かってのアメリカでは、このような権利や自由が認められていなかったのは事実です。
アメリカでは1960年代まですべての州で同性愛行為を禁止するソドミー法が存在し、ゲイバーは警察の目を隠れてこっそり営業し、ダンスフロアで男同士、ダンスしただけで逮捕されてしまうような状況でした。
そのような状況に耐えかねてゲイたちが立ち上がったのが1969年のストーンウォール事件で、この事件をきっかけにアメリカでは、ゲイリブの運動が活発になるのですが、
私がこのブログで口を酸っぱくしていっているように、アメリカでゲイリブの運動が起こったのは、それだけアメリカにおける同性愛者差別が酷かったからで、
日本でゲイリブの運動が起こらなかったのは、日本ではアメリカのような同性愛者差別が存在しなかったからです。
日本には戦前も戦後も同性愛を禁止する法律など存在しませんでしたし、日本のホモはアメリカでゲイリブの運動が起こるずっと以前から、自由に男同士の交際を楽しんでいました。
ゲイバーに警察の手入れが入ることもなかったし、男同士でダンスしただけで逮捕されるなんて、日本では考えられないことでした。
上で文章を引用したリブ釜は、このような日本とアメリカの同性愛者が置かれていた状況の違いを完全に無視し、日本とアメリカをごっちゃにして、
「日本のホモはハーヴェイ・ミルクのお陰で男同士セックスしても警察に逮捕されずにすむようになった」などと頭の構造が疑われるような噴飯ものの意見を述べているのです。
日本のホモが彼のいう「LGBTの自由」を享受できていたのは、偏狭なキリスト教的道徳観に汚染されていない性に対して大らかな日本の社会風土のお陰であって、アメリカのゲイリブの運動とはまったく関係がありません。
そんなことはちょっと考えれば判ることなのに、日本のホモが享受している自由を無理やりアメリカのゲイリブ運動と関連づけようとするから、こんなめちゃくちゃな論理になってしまうのです。
彼がいうようにアメリカは民主主義国家ですが、彼の崇拝するアメリカは同時にキリスト教原理主義国家でもあって、アメリカでは同性愛者は、男とセックスすることを好むというだけで犯罪者扱いされていたのです。
実際、アメリカが最も保守的だった50年代から60年代にかけて、多くのアメリカ人ゲイが故国での同性愛者に対する厳しい弾圧を逃れ、日本を含めた同性愛に対して寛容な国に「亡命」しています(「地の果ての夢、タンジール」を参照)。
アメリカでソドミー法が違憲であるとの最高裁の判決が出たのは2003年、21世紀に入ってからです。
その時点でまだ、テキサス州をはじめとしてアメリカの13の州でソドミー法が存在し、これらの州では男同士でセックスしているところを警察に見つかったら逮捕されていたのです!
これは昔の話ではなく、つい6年前の話です。
この事実だけみても、いかにアメリカという国が同性愛者差別の激しい国であるかよく判りますが、そんなゲイ差別先進国ともいうべきアメリカを、アホな日本のリブ釜たちはゲイリブ先進国として崇め奉っているのです
たしかにアメリカはゲイリブ先進国ですが、アメリカがそうならざるを得なかったのは、それだけ過去のアメリカの同性愛者差別が激しく、現在でもなお強い差別が残っているからで、それは羨むようなことではなく、むしろ同情すべきことなのです。
ところで、ハーヴェイ・ミルクですが、彼については、面白いエピソードが残っています。
彼は生前、支持者にむかって、同性愛者であることをカミングアウトすることの重要性を説いていたそうですが、死んだあと、彼自身は,自分の親きょうだいに同性愛者であることをカミングアウトしていなかったことが判明したそうです。
嘘みたいですが、これは本当の話です。
あとハーヴェイ・ミルクを射殺した犯人のダン・ホワイトですが、彼が狙っていたのはミルクではなく、当時のサンフランシスコ市長、ジョージ・マスコーニでした。
市政執行委員を辞任していたダン・ホワイトは再任されることを望んでいたのですが、市長に再任を阻まれたことで市長を恨み、市庁舎に忍び込んで執務室にいるマスコーニ市長を射殺したのです。
市長を射殺したあと、彼は市庁舎内で偶然、ミルクと出会い、ついでにミルクも射殺したのですが、
ミルクはサンフランシスコのゲイたちによって、「ダン・ホワイトという反同性愛主義者によって政治的に暗殺されたゲイの英雄、殉教者」に祭り上げられてしまったのです。
アメリカのゲイリブ運動にもかなりいかがわしいところがあるということです。
by jack4africa
| 2009-05-12 07:08
| ゲイリブという幻想