2009年 06月 12日
今東光と谷崎潤一郎の男色談義(2) |
一方の谷崎潤一郎は、男色趣味はまったくなかったそうです。
東京の下町生まれの谷崎は子供の頃から男女のことを見聞きして育った早熟な子供だったので、女に関心を抱くことはあっても、男色に興味をもつ暇などなかったといいます。
「ありゃね。薩長の田舎っぺ武士が江戸を征服した結果、薩摩の芋侍がもたらした薩摩の風俗だよ」
と一刀の下に切り捨てています。
生粋の江戸っ子である谷崎には、男色などという風俗は田舎者のダサイ趣味としかみえなかったようです。
しかし、田舎者がもたらした男色の風俗が東京の学生の間で猖獗(しょうけつ)をきわめていたことは谷崎も認めていて、
「俺の小さい頃は、決して戸山ヶ原などに独りで遊びにいくんじゃないと警められたもんだよ」
と語っています。
戸山ヶ原というのは、現在は戸山公園になっている、早稲田大学の近くにある原っぱですが、そんなところに迷い込んだら、地方出身者の多い早稲田の学生に捕まってオカマを掘られる恐れがあるから気をつけろといわれたのだそうです。
早稲田の学生って昔からレイプが好きだったんですね(笑)
あと早稲田でロシア文学を教えている某教授にそのケがあって、目をつけた教え子の男子学生に抱きついたり、キスを迫ったりするので有名だったそうです。
今、そんなことをしたら、直ぐにセクハラで訴えられてしまうでしょうが、当時は大らかな時代だったらしく、そのような行動が特に問題にされることはなかったようです。
東光にいわせると、そもそも学生に惚れられないような教師は、教師として失格で、教師は学生に惚れられるくらいでなければならないのだそうです。
この小説が執筆された当時、大学教授が女子学生と性的な関係をもっていたことが明らかになるスキャンダルが相次いで世間を賑わせていましたが、
東光は、教授と教え子が肉体関係を持つのはあたり前のことで、真の教育とはそんなものだといっています。
そういえば、私の若い頃も、男との初体験の相手が学校の先生だったというホモがけっこういたものです。
彼らはみんな、初体験の相手だった先生を「良い先生だった」と懐かしんでいましたが、
そういう「麗しい師弟関係」まで「性的虐待」などという醜い翻訳用語を使って貶める昨今の風潮はおかしいと思いますね。
谷崎潤一郎は、今東光と違って、一中、一高、東大とエリートコースを歩んだ人ですが、男色については一中時代はそれほど話題にならなかったのが、一高に進んでからはけっこう見聞きするようになったと語っています。
「あの花の一高生でも男色をするんですか」
と驚く東光に、谷崎は、
「一高生だって誰だって変わりはないよ」
といい、級友の武林無想庵と和辻哲郎が男色の仲だったことを本人の口から直接、聞いたと教えます。
「あの哲学者の和辻哲郎先生が」
東光は目を白黒させます。
和辻哲郎の男色相手だった武林無想庵は文学者で、実の妹と関係をもって子供を産ませたことで知られていますが、妹と近親相姦の関係になる前は、和辻哲郎と男色関係にあったというのです。
天下の秀才が集る第一高等学校でさえ、学生たちが性欲をもてあまして男色関係を結ぶのであれば、劣等生で不良だった自分が男色に耽ったとしてもちっともおかしくはない。
それなのに自分だけが次々と中学を退学させられる羽目になったのは、いったい、どこで歯車が狂ったのだろう。
と不思議がる東光がおかしいです。
いずれにせよ、われわれの祖父や曾祖父にあたる世代の日本の男たちは、エリートと非エリートの別なく、またホモもノンケも関係なく、
現在よりもずっと気軽に、罪の意識を感じることなく、男同士のセックスを楽しんでいたみたいです。
「昔の日本人」
by jack4africa
| 2009-06-12 00:09