2009年 08月 14日
加藤守男「わが師 折口信夫」(2) |
大学講師の職を提示されたのが効いたのか、著者は、折口信夫の説得を受け入れて、東京に戻る決心をします。
折口の後ろ盾を得て、学者として世に出たいという野心も当然、あったものと思われます。
東京に戻った著者は折口の家に完全に住み込んで、身辺の世話をすることになります。
折口の方も新米講師である著者が大学でうまく講義できるように、講義の前日に講義すべき内容を著者に口述したりします。
フツー、ここまでくると覚悟を決めると思うのですが、著者は折口と同衾することだけは頑なに拒み続けるんですね。
夜毎、著者の布団に忍び込もうと虎視眈々と狙っている折口とそうさせまいと必死で拒絶の意思を示す著者。
その息詰まる神経戦の記述を読んでいると、苛々してきます。
「なぜ、やらないのか!」って。
「ノンケに男同士のセックスを求める方がおかしい」といわれるかもしれませんが、これまで500人以上のノンケを喰ってきた私にいわせれば、
なにがあっても絶対、男とは寝ないと固く心に誓っている鉄の処女みたいなノンケは、全体からいってほんの一部で、大抵のノンケはきっかけさえあれば、マグロになって男に自分のモノをしゃぶらせるくらいのことはやります。
ましてやこの場合、相手は著者が尊敬する先生で、その先生が懇願しているんだから、マグロでいいから相手をしてあげればいいじゃないか、と私なんかは思うわけです。
減るもんじゃなし!
ある日のこと、著者は折口と一緒に折口の師である柳田國男の家を訪ねます。
用件が終わって柳田邸を辞するとき、柳田は突然、著者に向かって、
「加藤君、牝鶏(めんどり)になっちゃいけませんよ」
といいます。
牝鶏というのはアナル・セックスを意味する鶏姦から連想した言葉だと思いますが、
民俗学者の赤松啓介によると、日本の民俗学の父と呼ばれる柳田國男は、夜這いや混浴、男色の習慣など、西洋人から野蛮と非難される日本の伝統的な性風俗を徹底して隠蔽し、なかったものにしようと企てた学者だそうで、
当然のことながら、男色を嫌っていて、わざと折口のいる前でそんなことをいったのです。
よくそんな酷いことが言えたもんだと思いますが、帰宅した折口は、著者に対して、
「同性愛を変態だと世間ではいうけれど、そんなことはない。男女の間の愛情よりも純粋だと思う。変態と考えるのは常識論にすぎない」
ときっぱりした口調でいったそうです。
これは立派だと思いますね。
そして、著者に言い聞かせます。
「柳田先生のおっしゃった意味はぼくには良くわからないけれど、師弟というのはそこまでゆかないと、完全ではないのだ。単に師匠の学説を受け継ぐというのでは、功利的なものになってしまう」
随筆家の白洲正子は、その著書「両性具有の美」の中で、この折口の言葉を引用して、賛同の意を表明し、「究極のところ、伝統というものは肉体的な形においてしか伝わらない」と言い切っています。
また小説家の今東光も、絶筆となったその作品、「十二階崩壊」で「師匠と弟子が肉体関係を持つのは当然のことだ。真の教育とはそういうものだ」と明言しています(「今東光と谷崎潤一郎の男色談義」を参照)。
もしこれが封建の江戸の昔であったなら、師匠に身体を求められたら、弟子は迷うことなく、それに応じた筈です。
それが明治以降、西洋思想が流入したお陰で、日本人は「近代的自我」なるものに目覚めるようになります。
著者と折口信夫の間に起こった悲劇の原因は、著者が明治以降に生まれたこの近代的自我を身につけた新しいタイプの日本人で、かっての日本人のように自我を捨ててまで、師に仕えることができなかったことにあるように思われます。
これと対照的なのが、折口と15年間、一緒に暮らし、最後は折口の養子になった藤井春洋です。
春洋さんは、先生の身辺の世話から、家事や世間づきあいのはしばしまで、雑務いっさいを取りしきって、ひと時も離れたことはない。先生の分身のようだ。
と著者は書いていますが、
折口は二十歳以上、年下の春洋に子供みたいに甘え、春洋は逆に師である折口を自分の子供みたいに叱りつけていたそうです。
それだけ頼っていた春洋が硫黄島で戦死してしまったことは、折口にとっては痛恨の極みだったでしょう。
春洋は歌人としても大変、優秀だった人で、折口と春洋が互いを想って詠んだ歌は、二人の絆の強さをよく表しています。
最後に私が理解できないのは、著者がこの本を書いた動機です。
著者は、折口との同居に耐え切れず、郷里に戻って商売を始めるものの、それに失敗して、折口が死ぬ直前に、また東京に舞い戻って折口と再会し、おそらく折口のコネで教職に復帰しているのです。
そのような恩義のある師、折口信夫のプライバシーを暴いたこのような本を著者がなぜ、書く必要があったのか、私にはよく理解できないのです。
若い頃、折口に身体を弄ばれて、その恨みが続いていたというのであれば、話は別ですが、著者は徹頭徹尾、折口との同衾は拒絶しているのです。
これとちょっと似たケースとしては、若い頃、三島由紀夫と肉体関係があった小説家の福島次郎が三島について書いた小説、「三島由紀夫-剣と寒紅」があります。
この小説も一部の三島ファンの間では、三島由紀夫の恥部を暴いた暴露本であるといわれて評判が悪いのですが、私は福島次郎に対しては同情的です。
福島次郎は、なんといっても小説家で、小説家の業(ごう)として三島とのことを書かざるを得なかったその心情が理解できるからです。
ところがこの本の著者は小説家ではないし、この本を読んでも、どうしてもこのことを書いておきたかったという切実さが感じられないのです。
著者は結局、学者としては大成せず、学者としてのキャリアも大学講師どまりで終わっています。
もし、この本を書かなければ無名のまま、死んでいったことでしょう。
「森蘭丸は織田信長に愛されたことで、歴史に名が残った。君だって、折口信夫に愛された男として名前が残ればいいじゃないか」
折口はそういって著者を口説いたそうです。
しかし、著者はそれを拒否し、この本を書くことで、「折口信夫に愛された男」ではなく、「折口信夫に愛されることを拒絶した男」として名前を残すことになったのですが、
それって、決して名誉なことではないと思いますネ。
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by jack4africa
| 2009-08-14 08:07