2009年 10月 23日
沈まぬ太陽 |
10月24日に「沈まぬ太陽」という映画が公開されますが、これは山崎豊子が週刊新潮に連載した同名の小説を映画化したもので、主人公のモデルになった日本航空のOさんには、ナイロビでお目にかかったことがあります。
Oさんは東大卒のエリートなのですが、組合運動をやりすぎたお陰で、会社の上層部に睨まれて、JALのフライトが飛んでいないケニアのナイロビに左遷された人で、当時、ナイロビの日航支店長をやってました。
ケニアの前はパキスタンに左遷されていて、そこで狩猟を覚え、ナイロビに赴任後は、暇に空かせて、日本人として初のプロフェッショナル・ハンターの資格を取得して、狩猟三昧の生活をおくっていました。
プロフェッショナル・ハンターというのは、世界各地からケニアにサファリでやってきた金持ちの観光客を案内して、一緒に狩猟する資格を持つガイドなのですが、
各プロフェッショナル・ハンターには、毎年、ゾウが何頭、シマウマが何頭、インパラが何頭と狩猟可能な野生動物の割り当てがあって、彼らは、その割り当ての枠を使って自分のサファリの客に狩猟をさせながら、
サファリ客が獲物を撃ち損なったときには、援護射撃して動物を仕留めるという護衛の役目もします。
Oさんの場合は、日航支店長という本職があったので、そのような営業はせずに、純粋な趣味として狩猟を楽しんでいたのですが、
人食いライオンが出たときなどは、プロフェッショナル・ハンターである彼のところに警察から依頼が来て、退治しに行くことがあるといってました。
Oさんは、有色人種はOさんとナイジェリア大使しか住んでいないという、ナイロビの最高級住宅地に住んでいて、一度、夕食に招かれてお宅にお邪魔したことがありますが、
門番のいるゲートを入ってから、屋敷の玄関までだいぶ車で走らなければならないほど広壮な邸宅でした。
玄関を入ってまず驚かされたのは、玄関ホールにおいてあった長さが5メートル近くもある立派な頭蓋骨付きの象牙でした。
それはOさんが仕留めたアフリカゾウのオスの象牙で、その象牙が付いたままになっているゾウの頭蓋骨の眉間にはOさんの撃った銃弾が貫通した穴がはっきりと残っていました。
Oさんがいうには、ゾウを仕留めるときは、ゾウと自分の1対1の命を賭けた真剣勝負になるそうで、その醍醐味を一度、味わうとやめられないそうです。
実際、江田島の海軍兵学校を出たというOさんはいつも背筋がピンと伸びた姿勢の良い人で、歩き方も颯爽としていて、サムライの風格がありました。
案内されたダイニングルームは、壁にOさんが仕留めた象牙が何十本も立てかけられていて、そのほかにやはりOさんが仕留めたカモシカやインパラの毛皮が何枚も飾ってありました。
夕食で出たのは、ライオンの焼肉でした。
ライオンは禁猟動物なのですが、年老いてインパラやシマウマを襲って食べるだけの力がなくなって、民家の近くに現れて人を襲うようになる、いわゆる「人食いライオン」が出たときには、住民の命を守るために殺す必要があり、
食卓に出た肉は、一週間ほど前にそのような人食いライオンが出没したという通報を受けて、Oさんが仕留めてきたライオンの肉だそうで、
日本の焼肉屋の焼肉と同様、ちゃんと長方形の薄切りにしてあって、それをタレにつけて食べるようになっていたのですが、味はクジラの肉に似ていました。
一緒に夕食に招かれていた日本大使館の一等書記官が、「今度、ライオンの肉を食べた人間が集って「ライオンズクラブ」を作りませんか」と冗談をいってましたが、
正直いって、ライオンの肉はそれほど美味しいものではありませんでした。
しかし、一緒に出た米のご飯と豚汁と白菜の朝鮮漬けは絶品でした。
ナイロビでは、ほかの在留日本人のお宅にも招かれて、もっと豪華な食事をご馳走になったこともあるのですが、このときの米のご飯と豚汁と白菜の朝鮮漬けほどうまいと思った食事はほかにありませんでした。
さらに驚いたことに、これらの料理はすべて、初老の黒人のコックが作っているというのです。
Oさんはお子さんの学校の関係で、ケニアに単身赴任していたのですが、夏休みにお子さんと一緒にケニアに来られた奥さんが、
1ヶ月ほど滞在されて、黒人のコックに米の炊き方と味噌汁の作り方と漬物の漬け方を徹底的に教え込まれたのだそうです。
米は日航ですから、宮城県の最高級のササニシキを航空便で取り寄せているとのことでした。
Oさんはその後、左遷が解かれて日本に帰国し、あの御巣鷹山の日航機墜落事故をきっかけに日航の重役になるのですが、社内の権力闘争に敗れてまたアフリカに戻るという浮き沈みの激しいサラリーマン生活をおくります。
山崎豊子の原作は私は読んでいないのですが、Oさんを実際以上に悲劇的な人生を歩んだ人物として書き、彼と対立した日航社員を一方的に悪者扱いしていると日航OBから苦情が出ているそうです。
そのへんの事情は私にはよくわかりませんが、Oさんが左遷の身とはいえ、アフリカで王侯貴族のような生活をおくっていたことは事実で、
彼の家に連れて行ってくれた人は「あれで共産党なんだから」と笑ってましたが、
彼は彼なりの充実した人生を歩んだんじゃないかという気がします。
それにしても、あのデッカイ象牙とゾウの頭蓋骨はいま、どこにあるんでしょうね。
日本のマンションなんかには到底、収まりきれない大きさでしたから。
by jack4africa
| 2009-10-23 00:02
| アフリカの記憶