2010年 01月 05日
なぜアメリカの同性愛者は同性婚を望むのか(その2) |
先日、ジョージ・チョーンシー著「同性婚」(明石書店)という本を読みました。
この本には、アメリカの初期のゲイリブ運動では政治的アジェンダとして登場していなかった同性婚が、いつから「ゲイの権利」と呼ばれ、要求されるようになったのか、その経緯が詳しく書かれています。
著者によると、アメリカのゲイやレスビアンの間で同性婚の権利を求める声が強くなったのは1990年代に入ってからだそうですが、
それには1980年代に起こった2つの大きな出来事:ゲイの男性間のエイズの流行とレスビアンのベビーブームが影響しているといいます。
まずエイズの流行ですが、この疫病の蔓延によって、多くのゲイは若くして自分自身や恋人、友人の死に直面することになったと著者はいいます。
エイズに罹った若者の多くは、ホモフォビアの激しい故郷の町を逃れて、単身、NYのようなゲイに対して寛容な大都会に移住してきた人達で、
病気になったときには、故郷の家族ではなく、身近に住むゲイの恋人や友人の世話になったのですが、
法的には、ゲイのパートナーや友人は家族とは認められなかったことから、様々な困難に直面したそうです。
法的に家族と認められるのは、彼らが捨ててきた故郷の家族だけでしたが、家族の多くは、息子がゲイであることを知らされておらず、
息子がエイズを発病してはじめて息子がゲイであること、そして死につつある病気にかかっていることを知らされたそうですが、
二重のショックを受けた家族は、しばしば、息子のパートナーを息子を誘惑して同性愛の道にひきずりこみ、病気に感染させた張本人として非難したといいます。
その結果、多くのパートナーは、入院中の自分の恋人に面会することを拒絶され、治療方針や死んだあとの葬儀のやり方についても口を挟めなかったそうです。
さらに多くのパートナーは、遺産についても、結婚していれば、当然、自分のものになったであろう故人の遺産がパートナーである自分ではなく、故人の遺族に行くという現実にも直面しなければならなかったといいます。
故人が生前、自分の遺産はパートナーに譲るとの遺言を残していた場合でも、故人の家族がそれに異議を唱え、裁判を起こした場合、勝ち目は薄かったそうです。
また故人名義のアパートに一緒に住んでいた場合には、パートナーは故人が死亡した時点で、すぐに立ち退きを迫られ、共有名義にしておいた場合でも、
残りの半分を相続するために、結婚しているカップルと較べると非常に高額な相続税を払わなければならなかったといいます。
さらにアメリカは、連邦による公的な医療保険制度が未発達で、企業がその肩代わりをして健康保険に加入しているケースが多いそうですが、
結婚している夫婦の場合だと、配偶者はもう一方の配偶者が加入している企業保険の適用を受けられるのに対して、ゲイのパートナーはその恩恵には預かれないという不利が存在したといいます。
エイズに罹った人間のパートナー自身、エイズに感染しているケースが多く、恋人がエイズで死んで恋人名義のアパートを追い出され、
自身もエイズのお陰で失職して保険を切られ、多額の治療費を請求されて破産し、ホームレスに落ちぶれるという悲劇が相次いだそうです。
このような事態に直面して、多くのゲイが「自分たちの関係は法的には異性愛者の関係と平等ではない」と痛感するようになり、法的なパートナーシップを求める声につながっていったというのです。
もうひとつアメリカで同性婚の要求が高まった理由として著者が挙げているのがレスビアンのベビーブームです。
アメリカでは1980年代に入ってから、多くのレスビアン・カップルが人工授精などの手段を通じて子供を持つようになったそうですが、
子供の生物学的な母親である一方のパートナーが亡くなった場合、子供の親権は、第二の母ともいうべき残されたパートナーではなく、子供の生物学的母親の親族に与えられるというケースが多かったといいます。
またレスビアンのカップルが別れたとき、子供を引き取った母親がかってのパートナーである第二の母と子供の面会を拒絶した場合、
男女の夫婦のように法的関係が存在しなかったことから、子供との面会を拒絶された別れたパートナーは泣き寝入りせざるを得なかったそうです。
このような死別や関係の破綻によって、子供の親権や子供との面会権を失う事態に直面して、レスビアンもまた法的な保証のある結婚を望むようになったといいます。
以上がこの「同性婚」の著者、ジョージ・チョーンシーが挙げている、アメリカのゲイやレスビアンが同性婚を望むようになった理由ですが、
私はもっと大きな背景として、アメリカ社会がカップル社会であることの影響が大きいのではないかと思います。
欧米に住んだ経験がある人はよく判ると思いますが、欧米社会では社交の単位がカップルになっていて、なにをするにしても、カップルで行動するのが普通です。
そのため、パートナーのいない人間は、なにかと不自由なおもいをすることが多いのです。
ジョージ・チョーンシーは、アメリカ社会は結婚していない人間に大変、不利にできている社会で、結婚していない人間は二級市民として扱われるといっています。
エイズが流行したときにも、多くのゲイはパートナーがいても、法的な関係とはみなされなかったことから、
結婚している夫婦であれば当然、受けられる健康保険を含む様々な制度の恩典を受けられず、
それにより、結婚していないことの不利を痛感し、同性婚を求めるようになったということですが、
私はエイズの流行が与えたもっと直接的で大きな影響として、アメリカのゲイたちの性行動の変化があると思います。
この本の著者も含めて、アメリカのゲイはその事実を中々、認めたがりませんが、アメリカのゲイの男性の間でエイズが大流行したのは、
ゲイたちがゲイ専用のバスハウスで不特定多数の相手と乱交に耽った結果であることに間違いありません。
自分の目の前で恋人や友人がエイズに罹ってバタバタ死んでいく様子を見て、多くのゲイはそれまでの乱脈な性行動を反省し、特定の相手と1対1のパートナー関係を結ぶことを重視するようになったのですが、
そのような1対1のパートナー関係になってはじめて、自分たち同性間のパートナーシップが異性間のパートナーシップとは法的に平等に扱われない現実に気づいた面もあるのではないかという気がします。
次に、アメリカの同性愛者の間で同性婚を求める声が強くなった2番目の理由としてジョージ・チョーンシーが挙げているレスビアンのベビーブームですが、
彼はなぜ80年代以降のアメリカで、突然、レスビアンが子供を生むようになったのか、その理由を明らかにしていません。
アメリカで初めて同性婚が認められたマサチューセッツ州で、初日に婚姻許可証を取得した752組のカップルの内、3分の2がレスビアン・カップルだったそうで、
レスビアンの場合、ゲイの男性ほど浮気ではないので、1対1のパートナーシップを望む割合が高いことは想像できます。
しかし、なぜ彼女たちが人工授精までして子供を持ちたがるのか、私にはもうひとつ理解できません。
レスビアンといっても女性に変わりないのだから、子供を産みたいと願うのは当然だという考え方もあるでしょうが、アメリカの場合、レスビアンのカップルだけでなく、養子縁組を通じて子供を持ちたがるゲイのカップルもいるのです。
先程のチョーンシーの説明では、アメリカの同性愛者が同性婚を望むのは、同性愛者のカップルが異性愛者のカップルと較べて様々な制度上の不利益を蒙るからだということですが、
この子供を持つという行為については、純粋な損得の観点だけでは説明できません。
DINKSではないけれど、子供なんか持たない方が経済的にはずっと楽だからです。
結局のところ、私にはアメリカの同性愛者はノンケカップルの真似をしたがっているとしか思えません。
それほどまでに結婚や子供を持つことに憧れるのであれば、いっそのこと異性と結婚して子供を作ればよいのではないかという気がするのですが・・・
実際、世界にはウクライナのゲイのように「自分の身の回りの世話をする妻と自分の子供の母親が必要だから女性と結婚する」というゲイもいるのです。
今、アメリカの同性愛者たちが目指していることは、
「人間は(異性と)結婚して、子供を作ってはじめて一人前」
というかっての社会通念のゲイバージョンである、
「同性愛者は(同性と)結婚して、(人工授精や養子縁組などで)子供を作ってはじめて一人前」
という社会通念を広めることで、そこには人間には結婚しない自由、子供を持たない自由があるという視点が欠けているような気がします。
「いや、そんなことはない。同姓婚というのはあくまでもそれを望む人間がすればよいことであって、同性婚を望まない人間に同性婚を強制しているわけではない」
と同性婚推進派はいうかもしれませんが、アメリカの社会保障制度が既婚者と比較して独身者に著しく不利な制度になっていて、
その結果として異性愛者だけでなく、同性愛者までが結婚せざるを得ないように仕向けられているのであれば、
同性婚の権利を求める代わりに、そのような制度上の差別を撤廃する方向に運動を展開する選択肢もあったのではないかと思うのです。
そもそも本来、フェミニズムの観点からいえば、結婚制度というものは、フェミニストが打倒することを目指している家父長制度を象徴するもので、
もしアメリカの社会制度が既婚者に有利になっているとすれば、それはそのような伝統的家父長制度を補強するためであって、
フェミニズムの運動から多大な影響を受け、それに師事しているアメリカのゲイリブが、そのような家父長制度の柱となっている結婚制度に擦り寄っていくのは自家撞着といわざるを得ません。
これについては、
「最近の結婚はジェンダー中立的になっているし、特に同性カップルの場合、夫や妻に与えられる伝統的な役割からは自由である」
という反論があるようですが、
いずれにせよ、ホモに生まれて一番よかったことは結婚して女房子供を養う義務から解放されていることだと考える、私みたいな人間には、
なぜアメリカの同性愛者がそこまで結婚や子供にこだわるのか、さっぱり理解できないのです。
私はアメリカの同性愛者が同性婚を「同性愛者の権利」と呼ぶことについても強い違和感を覚えます。
この本には、同性婚を役所に認めさせるために裁判を起こしたゲイの男性が述べたという、
「どんな権利であれ、異性愛者が持っている権利は私だって欲しいんだ」
という言葉が紹介されていますが、こういうことをいう人間て、根本的なところで勘違いしてるんじゃないかと思いますね。
まず第一に、彼のいう「異性愛者が持っている権利」には、同性と結婚する権利は含まれていません。
反対に、異性愛者が持っている異性と結婚する権利は、同性愛者にも平等に認められています。
もし異性愛者が同性と結婚する権利を持っていて、同性愛者にその権利がないのであれば、「異性愛者が持っている権利は私だって欲しい」といえると思いますが、
異性愛者にはそのような権利はないのですから、そんなことをいう方がおかしいのです。
なぜこんなピントのずれた言葉を口走るかというと、彼の頭には、異性愛者は異性と、同性愛者は同性と結婚するのが当然という、アメリカのゲイリブに特有のステレオタイプの思い込みがあるからでしょう。
しかし、現実には様々な理由により、異性と結婚している同性愛者は多数、存在します。
ゲイリブはこのような同性愛者の結婚を「偽装結婚」の一言で片付けますが、実態はそんな単純なものではありません。
結婚制度というのは非常に奥深いのです。
そもそも結婚相手の性別と自分の性的嗜好が一致しなければならないという法律はありませんし、もし同性愛者に同性と結婚する権利を認めるのであれば、当然、異性愛者にも同じ権利を認めるべきでしょう。
現実には同性と結婚したがる異性愛者なんていないだろう、といわれるかもしれませんが、もし同性婚の制度が普及すれば、ノンケの若い男が金目当てで金持ちのホモの年寄りと結婚するケースも出てくると思います。
異性間の結婚では、若い女が金目当てで金持ちの老人と結婚するケースはざらにありますから、その同性婚バージョンが出てきてもおかしくないでしょう。
いずれにせよ、私のようなノンケ好きのホモは、同性と結婚するのであれば、ホモではなくノンケと結婚することを望むでしょう。
私自身は、同性婚についてまったく関心がありませんが、他人が同性婚を望むことまで反対はしません。
ただし、その場合には、「同性愛者の権利」として要求するのではなく、同性愛者と異性愛者を問わない、すべての人間に開かれた新しい結婚の選択肢として提案すべきだと思います。
実際、同性婚が認められた場合、バイセクシュアルの人間は、異性と結婚するか、同性と結婚するかを選択しなければなりませんし、
同性愛者が異性と結婚する権利を保持しながら、同性婚の権利を「同性愛者の権利」として、同性愛者のためにだけ獲得した場合、同性愛者だけが特別扱いされ、優遇されることになります。
これは異性愛者に対する逆差別でしょう。
あとチョーンシーは、過去に黒人奴隷が結婚を禁じられていたことや人種間の結婚が法律で禁じられていたことを例に挙げて、これらの禁止が現在では撤廃されているように、
現在、法律で認められていない同性婚もやがては認められるようになるであろうと述べていますが、
黒人奴隷が禁じられていた結婚も人種間で禁じられていた結婚も異性婚であって、同性婚ではありません。
同性婚という概念自体、ごく最近になって生まれたもので、かっては結婚というのは男女間の結婚を指すのが普通で、同性愛者がそのような結婚を禁じられたことは一度もないのです。
チョーンシーのような同性婚擁護者の言葉を聞いていると、まるで同性愛者には同性婚しか選択肢がないように思えてきますが、
実際には、われわれ同性愛者は、その気になれば異性と結婚できますし、結婚せずに独身で生きていくこともできます。
さらに同性と結婚することを選択した場合でも、結婚相手は同性愛者とは限らず、異性愛者である可能性もあるのです。
アメリカの同性愛者が同性婚を要求するのは勝手で、反対はしませんが、「同性愛者は異性ではなく同性と結婚するのが当然、結婚相手も同じ同性愛者でなければならない」というゲイリブ特有の教条主義の押し付けはゴメンです。
☆ 結論
なぜアメリカの同性愛者は同性婚を望むのか、その理由を知りたいと思って、この「同性婚」という本を読んだのですが、結局、納得できる答えは得られませんでした。
アメリカの社会保障制度が既婚者に較べて独身者に著しく不利にできていることはわかりました。
また70年代の性革命が80年代以降のエイズの流行により挫折し、アメリカのゲイが保守的になったこともわかります。
しかし、だからといって、なぜ同性愛者が異性愛者の真似をして結婚して子供まで持たなければならないのか、その理由がわからないのです。
おそらくこの「わかりにくさ」を解く鍵は、宗教にあるような気がします。
チョーンシーは、アメリカでは最近、国民に対するキリスト教会の影響力は低下しつつあると述べていますが、それでもアメリカが日本などと比較にならないほど宗教的な国家であることに変わりありません。
そもそもアメリカで同性愛者に対する差別が特別、激しかったのは、アメリカがキリスト教原理主義国家であるためですし、
同性婚をめぐる論争が国論を二分する論争にまで発展し、大統領選挙の争点にまでなったのは、キリスト教右派が同性婚に強硬に反対したからです。
そういう意味では、アメリカの同性愛問題は、宗教問題であるといっても過言ではなく、アメリカにおける同性婚をめぐる論争は一種の神学論争ではないかという推論を述べた、
以前、私がおこなった考察も完全に的外れとはいえないような気がします。
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by jack4africa
| 2010-01-05 00:04