2010年 04月 13日
ホモに生まれて良かったと思う10の理由 |
私は、正直いって、ホモに生まれて良かったと思っています。
生まれ変わっても、またホモに生まれたいと思うくらいです。
その理由を以下にまとめてみました。
1.女と深く付き合う必要がない
世の中のノンケ男は、女という獰猛で、したたか、いかにして男をたぶらかすかの企みに日夜、余念のない、腹黒い動物とセックスしたいがために、彼女たちに鼻面を引き回され、いいようにあしらわれて苦労しています。
ところが、われわれホモは、そんな女と付き合う必要がないのです。
この世の中が女と男でできている以上、完全に女と付き合わずに生きていくことは不可能ですが、ノンケ男のように女を恋人にしたり、女房にして、彼女たちの奴隷として奉仕する必要がないのです。
もちろん、女と付き合うことにメリットがないわけではありません。
女というワガママで、強欲、見栄っ張り、移り気、嫉妬深く、意地悪、非論理的で、感情的、ちょっとしたことですぐにヒステリーを起こす、
手のかかる生き物を相手にして、彼女たちの横暴に耐えることで、ノンケ男は人間としての修養ができます。
私自身も含めて、ホモに中々、オトナになれない子供っぽい人間が多いのは、女で苦労してないからです。
しかし、女という厄介な生き物を相手にせずに気楽に生きていけるメリットと、女で苦労しないためにオトナになれないデメリットを天秤にかけた場合、私は気楽に生きていけるというメリットの方を取りますネ。
「悠ちゃん、僕たちは大人になんかならなくてもいいんだよね」(三島由紀夫「禁色」より)
2. 結婚して女房、子供を養う必要がない
最近は、だいぶ変化してきていますが、世間では、男は結婚して子供を作って一人前という考え方は、まだまだ根強いです。
実際、現在でも、多くのノンケ男は、特別、疑問を抱くこともなく、女と結婚して子供を作り、女房子供を養うために営々と働いています。
私はこういうノンケ男の生き方を否定しません。
それどころか、彼らに感謝しています。
彼らが頑張ってくれるお陰で、可愛い男の子が生まれ、将来、われわれホモの相手になってくれるわけですから。
われわれホモ自身、ノンケの両親のお陰でこの世に生を受け、ノンケの両親によって育てられて大きくなったわけで、ノンケの生き方を批判することは、自分の存在を否定することにつながります。
ということで、結婚して子供を作るというノンケの生き方は尊重されるべきだと思うし、決して否定はしないのですが、私自身はそんな生き方をしたいとは思いません。
「結婚」の二文字は、私の辞書には存在しないのです。
結婚せず、子供も作らず、独身で生きる人生が惨めで、孤独な人生かというと、そんなことはありません。
独身貴族という言葉があるように、むしろ、気楽で優雅な人生です。
なんといっても、女房子供を養わずに済むのは大きいです。
給料を全額、自分のために使うことができるんですから。
さらにホモの場合、社会的には一応、男ですから、雇用の面での男女差別を受けなくてもすみます。
会社に勤めた場合、給料は一人前の男の給料が得られるのです。
実際、ホモのカップルで、片方が専業主夫ではなく、共働きの場合、二人の給料を合わせて、月収が100万を超えるケースはめずらしくありません。
独身でも、外資系企業勤務で高給を取り、タワーマンションに住み、年に何回も海外旅行を楽しむなど、優雅な生活を送っているホモはけっこういます。
ある意味、ホモに生まれるということは、社会的には男として男社会の恩恵に預かりながら、結婚して子供を作り、女房子供を養うという男としての義務は果たさずに済むという、
男と女の「いいとこどり」のような人生を送れるということなのです。
少子化が問題になっている現在、そのような生き方は許されるべきではないと考える方もいらっしゃると思いますが、私はそうは思いません(「少子化」を参照)。
独身者は仕事を通して、社会に貢献していけばよいと思っています。
3. 水平的な生き方ができる
大学を卒業し、企業に入社し、結婚して子供を作り、定年退職まで働くという生命保険の人生プランのような生き方を垂直的な生き方だとすると、
独身で、女房子供というしがらみを持たないホモは、もっと自由で水平的な生き方ができます。
たとえば、サラリーマン生活に飽きたら会社を辞めて、どこかの国に行って何年か住み、その国に飽きたら、また日本に戻ってくるというような・・・
映画の「男はつらいよ」があれほど人気があるのは、多くの人が寅さんの自由な生き方に憧れを抱いているからでしょう。
しかし、現実には自由な生き方というのは、他人が思うほど楽な生き方ではありません。
自由に生きるというのは、自分の人生に対して責任を持つということで、自分の不幸の原因をすべて社会のせいにして泣き言をいうリブ釜みたいな意気地のない連中には一番、向いていない生き方です。
それでも、こういう最底辺のホモを除けば、努力次第で、フツーの人生とは一味違う、世間一般の常識にとらわれない、個性的で面白い人生を生きることができるのは、ホモに許された特権だと思いますネ。
4.女心がわかる
ノンケ男はよく「女の考えていることがわからない」と愚痴をこぼしますが、われわれホモは、心がオンナなので、女の気持ちなんて理解したいと思わなくとも、自然にわかってしまいます。
だから、女に騙されるということがありません。
女が企んでいることなんてすべてお見通し、ノンケと勘違いして、鼻声だして甘えてきたりすると苛々して、
「あたしにはその手は通じないのよ!」
といいたくなります。
ようするに、女性が同性を見るのと同じ厳しい目で、女を見てしまうのです。
男女共同参画とやらの影響で、最近は昔と較べて男にべたべた甘える女が減ってきていますが、けっこうなことだと思いますネ。
5.両性具有的な人間になれる
ホモは女心がわかりますが、社会的には男として育てられて、男として生きているので、男の気持ちもある程度、理解できます。
そういう意味で、ホモというのは両性具有的です。
私はセックスの対象としては、ノンケ男が好きなのですが、友人にするのはやっぱりホモが一番です。
お互いツーカーで分かり合えるということも大きいですが、ホモには面白い人間が多いからです。
ホモはノンケの男女と比較して、自分を客観視し、戯画化することに長けていて、人を笑わせるサービス精神が旺盛です。
ノンケの間でオカマバーに行くのが流行ったり、テレビでオカマタレントが幅をきかしているのはそのためで、
ホモ達とホモネタで盛り上がって笑い転げているときなど、ホモでいることは楽しいとしみじみ思います。
6.母親の助けになれる
メキシコ南部のオアハカ州に住むサポテカ族の間では、ムシェと呼ばれる女性的な男性が存在し、男でありながら女装して生活しているそうです。
サボテカの母親は、自分の息子がムシェであることがわかると嘆くどころか、喜ぶといいます。
ムシェは、普通の息子や娘のように結婚せず、ずっと母親と同居して母親の仕事を助けてくれるからです。
地域によっては、5人続けて男の子が生まれると、5人目の男の子はムシェとして育てるという習慣もあるそうです。(「インディオの遺産」を参照)
実際、私の体験からいっても、ホモの息子は、ノンケの息子と較べて母親の気持ちがよくわかるし、いざというときには、母親の頼もしい味方になれます。
私の母は、去年、ガンで亡くなったのですが、2年半前にガンが見つかってから、抗がん剤と放射線による治療を受け、一時はその治療が効果をあらわし、腫瘍が縮小したのですが、しばらくしてまた新しいガンが再発しました。
母はそのとき、もうこれ以上、治療は受けたくない。ホスピスに入って痛みを緩和するケアだけを受けて静かに死んでいきたいといい、
私はその願いを聞き入れて、末期がんの患者のためのホスピスを捜してきて、母が入所できるようにしました。
そのホスピスは多少、費用はかかりましたが、とても環境の良い綺麗なところで、母は看護婦さんたちからいたれりつくせりの介護を受けて喜んでいました。
母は、親戚の女性に、私がいてくれて本当に助かったと述懐していたそうですが、もし私がノンケだったら、ここまで母の気持ちを汲んで、母の満足の行くように手配できなかったと思います。
それでも、結婚せずに独身でいて、親に孫の顔を見せることができないのは親不孝ではないかといわれるかもしれませんが、
ウチの場合、弟が結婚して子供を作っているので、親は孫の顔を見ることができました。
つまり、兄弟で役割を分担したわけで、兄である私は、男兄弟の中で、息子というよりは、娘の役割を演じていたのです。
7. 簡単にSEXできる
ホモ同士のSEXは非常にお手軽です。
一緒にお茶を飲むのと大して変わりません。
ホモの社交施設であるゲイサウナや有料ハッテン場に行けば、1000円から2000円くらいの入場料を払うだけで、何人もの男と遊べます。
あとホモの性的嗜好は、実に多種多様で、若いイケメンや美少年を好むホモだけでなく、中高年を好む老け専や、太った男を好むデブ専、ブ男を好む不細工専、等々、千差万別です。
お陰で、相手にあぶれることはありません。大抵の人間はどれかのカテゴリに入るからです。
「ホモに捨てるゴミなし」といわれるゆえんです。
そんなホモからみたら、本番もやらないのに抜いてもらうだけで1万円とか、ノンケ向けのフーゾクの料金の高さは異常です。
同じフーゾクでも、ウリ専とかホモ向けのフーゾクは、ノンケ向けのフーゾクと較べてずっと安いです。
これは世界的に共通する傾向で、世界中、どこでも、売春夫の値段は売春婦よりも安く、大体、売春婦の半額程度です。
女性の場合は、一度に何人でも相手ができるのに引き替え、男性の場合は射精を伴うことから数をこなすことができず、
本来ならば、売春夫の値段の方が高くても不思議はないのですが、それでも売春夫の方が安いというのは、現実の需要と供給の関係を反映しているからでしょう。
つまり、売春夫は、売春婦と較べて需要が少ないのです。
売春夫の客は女性かホモになりますが、女性は男性みたいに簡単に買春しませんし、ホモの場合も前述したように無料でSEXできる機会が多いので、わざわざ金を出してまでヤリたがる人間は少ないのです。
ということで、SEXの自由に関していえば、ホモは大変、恵まれた環境にあるといえます。
ただし、あんまり簡単にSEXできるので、HIV感染が増えるというマイナス面もありますが。
8. SEXしても妊娠の危険がない
人間がSEXする目的は大別して、生殖目的と快楽目的の二つがあると思いますが、厄介なことに、男女のSEXの場合には、快楽のためにSEXを行う場合でも、妊娠する危険が常に存在します。
私のノンケの知人は、付き合っていた女の子を妊娠させてしまい、結婚できる状況ではなかったので、彼女を説得して病院に連れて行って、中絶手術を受けさせたそうですが、
彼女に泣かれて、しばらくは罪悪感で彼女とSEXする気になれなかったといいます。
ところが、ホモの場合は、いくらSEXしても、妊娠したり、させたりする危険がないので、快楽のためのSEXに安心して没頭できるのです。
9. 陰影の濃い性格になれる
私は日本には同性愛サベツなど存在しないと思っていますが、それでも、ホモは、社会的には少数派であるため、社会生活を営んでいくうえでなにかと肩身の狭い思いをしなければならないことは事実です。
また、ホモは生まれつき女性的であることから、そのことで子供時代にいじめを受ける人間も多いです。
その結果、いじけた性格になっているホモもけっこういるのですが、それでも私は過去にいじめを受けたり、少数派ゆえの疎外感を味わうことは、決して悪いことばかりだとは思いません。
そういう経験を積むことで、人間に対する理解を深めることができると思うし、物事を複眼的に見ることができるようになると思うからです。
10.ホモ人脈を活用できる
若い頃、パリに住んでいたとき、フランスでは、ユダヤ人か、ホモか、フリーメーソンのメンバーでないと、芸術家として成功できないと聞いたことがあります。
ということは、ホモのユダヤ人で、フリーメーソンの会員であれば最強ということになりますが、フリーメーソンはもちろんのこと、ホモのコミュニティーやユダヤ人のコミュニティーも閉鎖的で、
表面に出ない分、その結束力は強く、互いに助け合うので、様々な分野で成功する人間が多いのでしょう。
実際、「おかまの海外生活」に書いたように、外国に住んだ場合、その土地のゲイコミュニティーに入り込むと、ノンケと較べてずっと容易にその国の友人知己を得ることができます。
日本にいても、「男好きである」という共通点を通じて、それ以外にはなんの接点もない多種多様な人間と知り合うことができます。
これって、ホモだけに許された特権だと思いますネ。
私のホモの友人・知人の中には、もし自分がホモでなければ絶対、知り合うことはなかっただろうと思うような大物もいますが、私は、彼との関係を通じて特に利益を得たいとは思っていません。
それでも、なにか困ったことが起こったときには、彼に頼んだら助けてもらえるのではないかという思いはあります。
一種の保険で、そういうコネがあることは、やはり心強いです。
「私的男色論」
by jack4africa
| 2010-04-13 00:03