2010年 05月 04日
私はゲイでもクィアでもない、ただのオカマです |
「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」にも書きましたが、私は自分を指してゲイという言葉を使うことに抵抗があります。
最近では、ゲイという言葉ではなく、英語のスラングで「変態」を意味するクィアという言葉を使う人も一部にいるようですが、
私にとっては、クィアという言葉は、ゲイという言葉以上に馴染みのない、縁遠い言葉で、この言葉を使う気にはまったくなりません。
そもそも私は自分のことを変態だなんて思っていません。
ごくごくフツーのノーマルな人間だと思ってます(笑)
世間には、ホモを変態だと思っている人間が沢山、いることは知っていますが、私は他人にどう思われるかより、自分で自分をどう思うかを大切にする人間なので、他人の評価は気になりません。
私にとって男が好きという感情はごくごく自然な感情で、「変態性欲」とか「異常性欲」などという言葉が持つおどろおどろしい響きとはまったく無縁のものです。
このような感覚は、決して私だけに特有なものではないと思いますネ。
「変態性欲」とか「異常性欲」とかいう精神医学用語は、明治以降、西洋から日本に輸入されたもので、
それ以前の江戸時代までは、日本人にとって男同士のセックスは変態でも異常でもなく、性愛の一つの形態でしかなかったのですから。
今、「ホモって、キモい!」などとほざいている奴のご先祖様が男同士でヤリまくっていた可能性だって十分にあるわけです。
クィア=変態という言葉は、もともと侮蔑的な意味合いを持つ差別語だったのが、90年代に入ってから、アメリカの一部のゲイやレスビアンの間で、
ゲイやレスビアンという言葉ではカバーし切れない、様々な正常でないとみなされる性的嗜好を持つ人々を総称する肯定的な言葉として再定義され、
これら性的少数者をクィアと呼ぶことで、ひとつのグループにまとめ、多数派である「正常な異性愛者」と対抗させることにしたのだそうですが、
異性愛者でもSM愛好家など「正常な異性愛者」の規範から外れる人間はクィアに分類されるのだそうです。
ようするに、
「変態さん、いらっしゃい!」
といった感じで、正常な異性愛者以外は、すべてクィア=変態のカテゴリに含めることにしたということらしいですが、
そもそも、「正常な異性愛者」の存在自体、フィクションでしかないと私は思いますけどね。
例えば、キリスト教的な意味での「正常な異性愛者」は、厳密にいうと、男女間の生殖目的でのSEXしか行わず、
性交時に取る体位は常に正常位(Missionary Position)で、アナルセックスはもちろんのことオーラルセックスもやらない人間ということになると思いますが、
そんな人間はいまどきいないでしょうし、もしいたとしたら、彼らこそ少数派に分類されるでしょう。
かのフロイト先生は、
「軍人や裁判官、医師など社会的に尊敬される人間ほど、その性生活は倒錯的である」
とおっしゃったそうですが、異性愛者も含めて、個人の性癖というのは、一人ひとり違っていて、他人からみれば、大なり小なり、変態的な要素を含んでいるものです。
そのため、どこからどこまでが正常で、どこからが異常などと線引きするのは不可能だし、そのようなことを試みること自体、無意味だと思いますネ。
もちろん、快楽殺人のような他者に危害を及ぼす明らかに異常な性的嗜好は、犯罪として厳重に処罰すべきですが、
それ以外の性行為で、当事者の合意の下に密室でおこなわれるものについては、個人のプライバシーに属する事柄で、他人が干渉するものではないというのが、日本人一般の考え方でしょう。
人間の性に対する好みを、正常と異常、常態と変態に分類する発想自体、性というものを罪悪視し、生殖目的での性行為しか認めない偏狭なキリスト教的道徳観から来ているもので、
そのような偏狭なキリスト教的道徳観に毒されていない、大らかな性文化をもつわれわれ日本人が、たとえ開き直った形であっても、クィア=変態などという言葉を使わなければならない必然性はまったくないと思うのですが、
ネットなんかを見てると、「ゲイ」とか「クィア」とか自分で自分にレッテルを貼って、それで安心してしまい、それ以上はなにも考えない人間が多すぎるような気がします。
あと最近の若い人って、他人にどう見られるか、気にしすぎるんじゃないでしょうか。
他人の目ばかり気にして、「社会の偏見をなくす必要がある」なんていったって笑われるだけだと思いますけどね。
本当に社会の偏見をなくしたいと思うのであれば、他人にどう見られようがビクともしない強さを身に付ける必要があるはずで、
それができないなら、黙って偏見に晒されてるよりしょうがないでしょう。
「私的男色論」の目次に戻る
by jack4africa
| 2010-05-04 00:09