2010年 05月 07日
日本にはゲイの敵は存在しません |
ゲイリブ活動家たちはみずからを呼ぶのにLGBTという言葉を使用します。
これは、LESBIAN(女性同性愛者)、GAY(男性同性愛者)、BISEXUAL(両性愛者)、TRANSGENDER(性転換者)の頭文字をつなげたゲイリブ用語ですが、
非異性愛者であるということ以外はなんの共通点もない、これらグループをひとつにまとめるのには無理があるのではないかと前々から感じていました。
実際、以前、読んだことのある、カナダのバンクーバーに留学中の日本人ゲイのブログには、これらのグループは、同じ性的少数者を自称しているにもかかわらず、互いの交流はあまりなく、
バンクーバーで年に一回、開催されるプライド・デイでも、ゲイ、レスビアン、トランスのグループは一緒にパレードせず、別々にパレードすると書いてありました。
カナダを含む欧米のゲイはマッチョ志向が強く、男らしいゲイ(Male Identified Gay)を自称する人間が多いのですが、
このような男らしさにこだわる欧米のゲイの男性優位=女性差別的な態度は、フェミニストが多いといわれるレスビアンや、男から女に性転換したトランスセクシュアルには、当然、受け入れ難いものでしょう。
また欧米のゲイリブ運動は白人主体で、有色人種のゲイは運動の中で常に下位に置かれているという批判もよく耳にします。
事実、カナダやアメリカ合衆国、オーストラリア、ブラジルなどの多民族国家を標榜している国のゲイパレードの写真を見ると、多民族国家であるにもかかわらず、
パレードの参加者は圧倒的に白人男性が多く、結局のところ、欧米のゲイリブ運動というのは、白人キリスト教徒のゲイの運動ではないかという印象が拭い切れません。
欧米のゲイリブ運動がこのような白人優位や男性優位の性格を内包しているにもかかわらず、その構成メンバーであるLGBTが表面的には団結を示しているのは、キリスト教右派という共通の敵がいるからでしょう。
欧米キリスト教圏では、同性愛を悪とみなすキリスト教右派勢力が非常に大きな政治的勢力として存在し、
彼らに対抗して政治的な権利を勝ち取るためには、なるたけ多くの抵抗勢力を結集させる必要があるわけで、
そのためには小異を捨てて大同につくというか、多少の意見の相違には目をつむって団結をアピールしなければならないのでしょう。
欧米のゲイリブ運動を表面だけサル真似した日本のなんちゃってゲイリブには中々、理解できないことでしょうが、欧米のゲイリブ運動というのは、反対勢力との喰うか喰われるかの熾烈な政治闘争で、
クィアなどという言葉を発明してSM愛好家まで仲間に取り込もうとするのは、小沢一郎じゃないけど、政治は数で、
マイノリティーといいながらも、多数決で物事が決まる民主主義の政治体制下では、少しでも味方を増やす必要があるからです。
日本のゲイリブ活動家が欧米の真似をして、ゲイリブ運動を政治化しようとして失敗した最大の原因は、日本には欧米のキリスト教右派のような敵対勢力が存在しなかったからだと思います。
政治運動には敵対勢力の存在が必要不可欠で、そのことは日本のゲイリブ運動家も理解していたらしく、
彼らは東京都知事の石原慎太郎を「ゲイの敵」に仕立て上げ、前回の都知事選では石原が二丁目を潰そうとしているなどというデマを盛んに流しました。
石原慎太郎が「ゲイの敵」にされた理由は、彼がおすぎだかピーコだかに「俺はナマコとオカマは嫌いだ」といったことにあるとされていますが、
この言葉をみればわかるように、結局のところ、日本人にとって同性愛は好き嫌いの対象でしかないのです。
ナマコが嫌いなら喰わなきゃいいだけ、オカマが嫌いなら相手にしなきゃいいだけの話で、好き嫌いの問題は、そこで完結してしまうのです。
ナマコが嫌いな人間は、ナマコを好きな人間を内心で軽蔑することはあっても、他人がナマコを食べることまで非難はしません。
それと同様に、日本人はオカマ=同性愛者を嫌うことがあっても、欧米人のように同性愛者を弾圧して、同性愛をこの世から無くす必要があるなどとは考えないのです。
石原慎太郎もそのような日本人の一人であって、個人的にオカマが嫌いであっても、東京都知事として同性愛者を差別するなどという発想は、彼にはまったくないはずです。
事実、東京都は、HIVの予防・啓蒙などの活動を行なっているゲイ団体を助成していて、ゲイリブ達もそのおこぼれに預かっているのです。
東京都にたかる一方で、その首長である都知事を「ゲイの敵」に仕立て上げるというダブルスタンダードを見抜かれて、
都知事に対するネガキャンは一般ホモからは完全に無視されたのですが、そもそも日本のように性に対して寛容な国で「ゲイの敵」をみつけようとすること自体、最初から無理があったと思いますネ。
欧米では、日本とは異なり、同性愛は好き嫌いではなく、善悪の問題としてみられているのですが、それはキリスト教が同性愛を禁止しているからで、その結果、同性愛者に対する激しいホモフォビアも存在するのです。
一方、非キリスト教徒が大半を占める日本では、そのような宗教的な感情に根ざしたホモフォビアが存在する筈もなく、無理やり、欧米の真似をしてゲイリブの運動を展開しようとしても、空回りするだけなのです。
by jack4africa
| 2010-05-07 00:02
| ゲイリブという幻想