2010年 06月 25日
アリダ・ヴァリ |
父親がオーストリア人だったせいで、ドイツ的な風貌を持ち、イタリア語のほかに英語、フランス語、ドイツ語に堪能で、
ローマの映画実験センターなどで演技を学んだあと、映画界にデビューし、イタリア映画の人気女優になります。
その後、ハリウッドの大プロジューサー、デビッド・O・セルズニックの目にとまり、1947年にハリウッドに招かれて、何本かのアメリカ映画に出演します。
その内の1本が、名作中の名作といわれるキャロル・リード監督の「第三の男」(1949)です(映画史上最高といわれるラストシーンはウィーン&ブダペスト周遊5で見ることができます)。
第二次大戦直後の英仏米ソの4カ国の共同統治下にあるウィーンを舞台にしたこの映画で、ソ連軍に占領された故国、チェコから逃れてきた薄幸な女、アンナを演じた彼女は、一躍、国際的に知られる女優になります。
ただし、彼女の代表作は、この5年後に主演したルキノ・ヴィスコンティ監督の作品「夏の嵐」(1954)だと思います。
「夏の嵐」は、ヴィスコンティの最高傑作でもあると思いますが、「第三の男」では色気のあまり感じられない、固い感じだった彼女が、
この作品では成熟した女の色香がぷんぷん匂う、堂々たる押し出しの伯爵夫人として登場します。
舞台はオーストリアの支配下にあった1866年のヴェネティア。アリダ・ヴァリ演じるセルピエーリ伯爵夫人は、ファーリー・グレンジャー演じる美貌のオーストリア将校、マーラー中尉と出会い、恋に落ちます。
しかし、何度か逢瀬を重ねるうちに伯爵夫人に飽きてしまったプレイボーイの中尉は、彼女が会いに行っても居留守を使うようになり、二人の関係は破綻してしまいます。
傷心の伯爵夫人は、夫の伯爵の領地に引き込もり、中尉のことを忘れようと努力するのですが、そこに突然、自分を棄てたはずの中尉が姿を現すのです。
伯爵夫人は中尉の不実をなじり、帰るようにいうのですが、女たらしの年下の男に甘えられ、うまく丸め込まれてしまい、また関係を持ってしまいます。
実は中尉は、軍隊が嫌になり、病気を理由に軍を除隊するために医者を買収して偽の診断書を書いてもらう金が必要になり、彼女のもとにやってきたのです。
恋に盲目になった伯爵夫人は、中尉にくどかれて、オーストリアからの独立運動を闘っているイトコから預かっていた大切な闘争資金を中尉に渡してしまいます。
その金で医者を買収した中尉は首尾よく軍を除隊するのですが、仲間を裏切って、不正な手段を使って軍を除隊した負い目から酒びたりの日々をおくるようになります。
そして中尉が軍を除隊したことを聞いて、中尉の住むベローナまで馬車を飛ばしてやってきた伯爵夫人を冷たくあしらい、その場に居合わせた愛人の若い娘と伯爵夫人を較べて彼女を侮辱します。
最愛の男に裏切られ、半狂乱に陥った伯爵夫人は、自分を棄てた男に恐ろしい復讐を果たすのです。
年下の男への愛に狂うアリダ・ヴァリの演技には鬼気迫るものがあり、女の哀しさ、女の愚かさ、女の恐さを極限まで表現して見事です。
この映画、特に台詞が洒落ていてよかったのですが、エンド・クレジットをみたら、アメリカの劇作家、テネシー・ウィリアムズが台詞の作者として出ていて「なるほど」と納得しました。
テネシー・ウィリアムズもルキノ・ヴィスコンティも男色家で、精神的には女であることから、女の気持ちが手に取るようにわかり、そのお陰で女の内面をここまで残酷に描き出すことができたのでしょう。
この「夏の嵐」の6年後に出演したアンリ・コルピ監督の「かくも長き不在」(1960)も映画史に残る名作で、
「第三の男」、「夏の嵐」、「かくも長き不在」とまったくタイプの異なる名作に3本も主演した彼女は、やはり凄い女優だったと思います。
晩年はパゾリーニやベルトリッチの作品に脇役でちょくちょく出てましたが、アラン・ドロン主演の「高校教師」(1972)の鬼婆役はショックでしたねぇ。
かりにも「第三の男」のヒロインを演じた女優があんな役を演じるなんて・・・
どんな役でもオファーされると演じてしまうのが女優の業なのかもしれませんが。
彼女は映画のほかに舞台にも立っていたようで、70年代後半にローマに行ったときに、街角に貼られた彼女の芝居のポスターを見かけたことがあります。
夏の嵐
本日のつぶやき
「日本列島は日本人だけのものではない」byルーピー
「いっそ沖縄は独立してしまえばいい」byカンガンス
特ア3国の喜びそうなことばかり口にする人物が党首を務める民主党がなぜ日本国民に支持されるのかさっぱり理解できません。
by jack4africa
| 2010-06-25 00:00
| 思い出の女優たち