2010年 07月 23日
狙われる丁稚小僧 |
江戸時代に詠まれた川柳の中から性愛に関する句だけを集めて編纂した「俳風末摘花」(はいふうすえつむはな)という句集があります。
歴史研究家、氏家幹人氏が、その著書「江戸の性談」で、この「俳風末摘花」から男色に関連した句をいくつか紹介されてますので、ここに引用させていただきます。
酒かって尻をされるはたるひろひ
たるひろひ=樽拾いとは、得意先から空になった樽を集めて回る酒屋や醤油屋の小僧のことで、小僧が酒樽を回収に行って、客に犯されることもあったようです。
けつをするさかいと御用よりつかず
しかし、調子に乗ってやってると、「あのお客さん、嫌や、ケツするんやもん!」と小僧に嫌われて、御用聞きに来なくなってしまいます。
この句のポイントは「けつをするさかい」という関西弁で、陰間茶屋では、物腰の柔らかな京・大坂から下ってきた陰間が客に持て囃されたそうで、丁稚小僧の場合も上方出身の少年の方が一層、客のスケベ心をそそったようです。
けつをされますととくりを取て来ず
これも同様、空になった徳利を取りにいったら、客が襲ってきたので、徳利を受け取らないまま、逃げて帰ってきたという句です。
廻りをとるぞよと御用おどされる
「廻りをとる」とは輪姦の意で、中には、こういって小僧を脅すタチの悪い客もいたみたいです。
百にぎり顔をしかめて御用させ
これは、小僧が客に「百文やるからヤラせろ」といわれてOKし、客からもらった百文を握りしめて、痛さに顔をしかめながら尻を掘らせている情景を詠んだ句です。
百文は現在の貨幣価値に直すと千円くらいだそうです。
さつまいもなどて御用はころぶ也
百文どころか、さつま芋1個で転ぶ御用聞きの小僧もいたようで、よっぽど腹を空かしていたのでしょう。田舎出の純朴そうな顔が目に浮かびます。
というような具合で、氏家氏は、なぜか丁稚小僧に関連する句ばかり挙げておられますが、男色=少年愛が流行した江戸時代には、
僧侶の相手は小坊主、武士の相手は小姓、町人の相手は丁稚小僧がもっぱら務めていたということでしょう。
丁稚小僧はまた自分が勤める商店の番頭に尻を狙われることも多かったようです。
大きな商店の番頭は、妻子をもち別宅を構えて通いの者もいたそうですが、中小の商店の番頭は住み込みで、40代50代になっても独身の人間が多かったといいます。
番頭にかまをかすのは朝寝する
番頭にヤラせる丁稚小僧は朝寝坊しても叱られなかったようです。
けつをする内ハ番頭こわくなし
夜ごとけつを貸してもらっていると、番頭も丁稚に頭が上がらなかったみたいです。
昭和の初めに兵庫県の田舎から大阪に丁稚奉公に出た経験のある民族学者の赤松啓介は、丁稚小僧をしていたとき、
客の人妻や同じ商店街の商店のおかみさんによく誘われたと語っていますが(「夜這いの話(3)」を参照)男の客に誘われた経験はなかったみたいです。
それでも、住み込みで働いている丁稚小僧が男色の対象になることはよくあったみたいで、夜中に目が覚めたら、隣の布団で男同士、重なってるのが見えたりしたそうです。
こういう住み込みの丁稚小僧相手の男色の習慣は、どれくらい続いたかはっきりとは分かりませんが、
少なくとも、集団就職で中卒の少年が大量に都会に出て住み込みの仕事をしていた1960年代くらいまでは続いていたのではないかと推察されます。
以前、ある芸能界の暴露本を読んだことがあるのですが、その本の著者によると、某有名演歌歌手は、本人はホモっ気はないそうですが、ある偉い作曲家とホモ関係を持って、その作曲家の後押しでスターになったんだそうです。
この演歌歌手は、歌手としてデビューする前に、あるバンドで「ボーヤ」と呼ばれるバンドボーイをしていたそうですが、そのバンドのマスターがそのケがあって、
彼と寝てみたところ、可愛い顔に似合わず、もの慣れていて、達者なテクニックを使うので、かえって興ざめしてしまったといいます。
この演歌歌手は昭和22年(1947年)の生まれで、家が貧しかったために中学卒業と同時に集団就職で上京するのですが、最初に勤めた寿司店で、入った翌日、店長に誘われて寝て、
そのお陰で、店長に可愛がられて、なにかと面倒を見てもらい、店でもほかの店員にイジメられることはなかったそうです。
彼はまもなくその寿司店を辞めて、職を転々とするのですが、行く先々の職場でその職場の実力者とホモ関係を持ち、
その関係を利用してうまく立ち回るコツを覚え、バンドのボーヤになったときには、バンドマスターが驚くほどの閨房テクニックの持ち主になっていたということらしいです。
私自身は住み込みで働いた経験はないのですが、20代の頃、歌舞伎町をぶらついていたら、若い男の客引きに捕まって、その客引きが私の首に腕を回して、私が逃げられないようにしてから、
しつこく私の身の上を訊いてきて、適当に答えていたら、私が会社の寮で暮らしていると思い込んだみたいで、助平そうな笑いを顔に浮かべて、
「お前、毎晩、寮で先輩にヤラれてるんだろう」
といわれたことがあります。
そのときは、「はぁ?」という感じでしたが、多分、その客引きの若い男は、どこかの会社で寮暮らしをした経験があって、そこで先輩か後輩を相手にそういうことをヤッていたのではないかと思います。
現在は、会社の寮はほとんど個室になっていて、そういうことはないでしょうが、日本が高度経済成長の真っ只中にあった1960年代に集団就職で東京に出て来て、
住みこみで働いていた現在、60歳前後の年配の男性の中には、ホモでなくとも、そういう経験をしている人間がけっこういるんじゃないかという気がします。
参照文献:
氏家幹人「江戸の性談」
花咲一男「江戸のかげま茶屋」
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追記
先日、四国の田舎から大阪にやってきた少年が昆布屋の丁稚になって、頑張って働いて暖簾分けしてもらい、一人前の大阪商人になるという川島雄三監督の映画、『暖簾』(1958)のDVDをみましたが、
夜、丁稚や手代や番頭など男の従業員が広い部屋に布団を敷きつめて寝ているシーンで、隣りの男と互い違いになって寝ている若い男が寝ぼけて隣りの男の足に抱きついてキスしていたり、
部屋の隅では布団の中で男が二人、もこもこ動いていてたりして、成るほど、こういう感じだったんだな、と納得しました。
by jack4africa
| 2010-07-23 00:05