2011年 04月 22日
外専ホモ |
ゲイが普通にノンケ社会でカムして受け入れられて、
自分の事ゲイだとみんな知ってるけど、ノンケ男女友達もいるし、
セックス抜き好み関係なしゲイ友達も仕事場や公共の場で普通に作れるし、
彼氏作ったら誰にでも紹介できるし、
ゲイである事が個性的でさえもない生活に慣れたら、日本には住みにくいだろうね。
こういうの日本にいたら想像もつかないんじゃないかな。
上の文章は、2ちゃんねるの掲示板で見かけた「日本よりもアメリカの方がゲイにとって住みやすい」と吹聴する自称、アメリカ在住の外専ホモの書き込みですが、
こういう外専特有の木を見て森をみない主観的な感想を聞かされるのは毎度のことながらうんざりさせられます。
この手のアメリカコンプレックス丸出しの外専ホモはニューヨークやサンフランシスコなどの大都市の多数のゲイが固まって住んでいる限定された地域でしか見られない特殊な状況を、
あたかもアメリカ全土で普通に見られる普遍的な状況であるかのように語るのが常ですが、
カンサスでも「ゲイが普通にノンケ社会でカムして受け入れられている」のでしょうか?
オレゴンでも「自分の事ゲイだとみんな知ってるけど、ノンケ男女友達もいる」のでしょうか?
テキサスやアーカンソーでも「セックス抜き好み関係なしゲイ友達も仕事場や公共の場で普通に作れ」たり、「彼氏作ったら誰にでも紹介できる」のでしょうか?
もしそれが本当なら、なぜアメリカ各地で同性愛者に対するヘイトクライムが頻発し、多くの同性愛者が同性愛者であるという理由だけで、ペニスを切り取られるなどの残虐なやり方で殺されているのでしょうか?
この外専ホモは実際にアメリカに住んだ経験はなく、勝手に妄想を膨らませているだけではないでしょうか。
このブログの読者で、ちょくちょくメールをやりとりしているサンフランシスコ在住の日本人によると、
SFでもゲイが大手を振って歩けるのはカストロ地区とその周辺だけで、それ以外の地区ではフツーにゲイバッシングが起こっているそうです。
また性的指向に基づいた雇用差別を禁止する法律が存在することや訴訟社会であることから、表立ってゲイ差別発言をする人間は少ないものの、その反動で同性愛者に対する陰口は凄まじいといいます。
ニューヨークについても、知り合いのNY在住日本人の話を聞く限り、決してゲイの天国なんかではありません。
まずNYのHIV感染者/エイズ患者数の人口に占める比率は、アフリカ南部などの発展途上国並みに高く、30代と40代のゲイの2人に1人はHIVに感染しているか、エイズに罹っているそうです。
HIVに感染したり、エイズが発症した場合、当然のことながら医者にかかる必要があるのですが、アメリカは医療費がバカ高いことで知られています。
保険に入っていても、保険の枠内で出来る治療は限られていて、ちゃんとした満足の行く治療を受けようとすると大抵、保険の対象外になって目の玉が飛び出るほどの料金を請求されることになるといいます。
別の知人は、90年代半ば、アメリカ人の恋人がいて、その恋人に会うためにしょっちゅう、アメリカに旅行していたそうですが、
先日、久しぶりにその元カレと連絡が取れて、当時、一緒によく遊んでいた3人のアメリカ人の消息を訊ねたところ、3人ともエイズで死んだといわれてショックを受けたそうです。
日本のこれまでのエイズによる累積死者数は約1万5000人、一方、アメリカのエイズによる累積死者数は約50万人で、日本とは桁違いの多さです。
アメリカマンセーの外専ホモは、これでもまだアメリカは同性愛者にとって住みやすい国だと強弁するのでしょうか?
文化人類学者の中根千枝先生は、その著書「適応の条件」の中で、アメリカやフランスに留学したり、仕事で滞在したことのある日本人で、
「アメリカ(フランス)ほど素晴らしい国はない!」
といいふらしている人間に限って、現地の人々から高く評価されていなかったり、現地生活を本当にエンジョイしてなかったりする、と書いています。
”もし、現地で満足な精神生活ならびに社会生活をしていたら、現地経験を共有しない故国の人たちに対して、それをことさら誇示するなどという趣味はもたないはずである。そうした日本人にたまに出会うと、不快感もさることながら、私は「この人はあちらでずいぶん苦労したんだろうな」とつい思ってしまう。そしてそれはほとんどあたっている”
”また、「アチラにイカレル」タイプは、どちらかといえば、個性が弱く、思慮に乏しいか、あるいは故国でのその人の過去の、または現在の、社会生活が貧しいか、何か大きな不満がある人々により見いだされるといえよう。その個人自身、人間関係に恵まれていないと、自国の認識が貧弱になったり、相手の文化をけなしたくなるものである”
あたり前のことですが、どこの国にも良いところと悪いところがあります。
そしてその良いところと悪いところはコインの両面のように表裏一体になっているのです。
たとえば、上の外専ホモがいうように、ゲイであることをカミングアウトして、それがノンケの男女を含む周囲の人間に受け入れられ、彼氏ができたら誰にでも紹介できるのは、(一部の)アメリカ社会の良いところかもしれません。
しかし、アメリカでそのような生活ができるのは、広大なアメリカの海に浮かぶ孤島のようなNYやLA、SFなどの大都会の多くのゲイが固まって住むゲイコミュニティーという名のゲットーの内部だけで、
ゲットーから一歩、外に出ると、そこには同性愛者というだけで殺されてしまうような激しいゲイバッシングの嵐が吹き荒れている事実について、この外専ホモは触れようとしないのです。
そもそもアメリカのゲイたちがこれら大都会のゲイコミュニティーに集まって生活しているのは、それだけ地方の同性愛者差別が激しいからで、その現実を無視して、
アメリカ全体から見れば例外でしかないゲイコミュニティー内部の状況だけを取り上げて、日本社会よりもアメリカ社会の方が同性愛者にとって住みやすいといくら主張しても説得力はないし、
逆に中根先生のいうように、そのような主張をせざるを得ない人間の精神生活と社会生活の貧しさ、思考の幼稚さ、コンプレックスの強さが浮き彫りになってくるのです。
by jack4africa
| 2011-04-22 07:43
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