2011年 07月 15日
在日という国はあるか |
鄭大世(チョン・テセ)という在日韓国人のサッカー選手がいます。
彼は韓国籍でありながら、北朝鮮系の朝鮮学校に通い、2006年のドイツW杯では北朝鮮代表チームの一員としてプレーしているのですが、
「あなたの祖国はどこか?」と訊かれて、
「僕の祖国は韓国でも北朝鮮でも日本でもない。僕は在日朝鮮人。在日(コミュニティー)が祖国だ」
と答えたそうです。
日本にも韓国にも北朝鮮にも帰属意識がなく、在日という身分をアイデンティティーにするしかない在日コリアンが置かれている特殊な状況をよく表している言葉です。
もう一人、韓国系のサッカー選手として、今年、カタールのドーハで開催されたアジア杯の日本対オーストラリアの決勝戦で決勝ゴールを決めた李忠成という日本代表選手がいます。
彼は在日韓国人4世として生まれ、一時は韓国代表チームのメンバーになることを目指して韓国に渡ったものの、
韓国で在日であることを理由に差別や虐めを受け、韓国代表にも選ばれなかったことから、仕方なく日本に帰化して日本代表になったという経歴の人物です。
彼は次のように語っています。
「五輪がなければ国籍変更していない。人生を変える大きな決断だった」
「韓国代表で出たかったが選ばれなかったので、日本代表でもいいかなと」
「在日同胞のためにがんばる」
「大舞台で得点し、世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい」
これらの言葉から推察すると、彼は日本に帰化したあとでも、自分のことを日本人ではなく、在日であると考えているようです。
在日社会では、いまだに帰化する事が韓民族への裏切り行為とみなされる場合があることから、李選手の言葉も額面通りに捉えることはできず、在日社会向けのタテマエをいっているに過ぎないとみる向きもあるようですが、
在日コリアンというのは日本に永住する許可を与えられた韓国籍と朝鮮籍の人間をいうのであって、彼は帰化して日本人になったのだから、最早、在日ではありません。
そんな区別もつかない人間が帰化しても日本人としての自覚を持てないのは当然かもしれませんが、そのような人間には帰化を認めるべきではないでしょう。
私は日本に帰化した人間は、生まれつきの日本人よりも「良き日本人」になるために特別、努力する義務があると考えています。
それが帰化を認めてくれた日本という国に対する礼儀というもので、これは日本に限らず、世界の常識であることは、同じサッカー選手で日本に帰化した元ブラジル人たちの言葉からもよくわかります
「日の丸の付いたユニフォームを着るなんて本当に夢のようだった。嬉しくて涙がこぼれたよ」byラモス瑠偉
「日本が大好きだから、日本サッカーの役に立てる仕事をしたい」by呂比須ワグナー
「日本人になったことを誇りに思う」by闘莉王
「帰化するならその国に骨を埋めてもよいという気持ちで帰化すべき。代表選手になりたいだけならやめておいた方がいい」by三渡洲アデミール
李忠成とはエライ違いです。
スポーツ選手が国籍を変えるのはわりとよく見られる現象です。
サッカーの分野でも、カタールのような湾岸産油国は金にあかせてブラジルやアフリカから有望な選手を引き抜いて自国に帰化させ、自国の代表にしています。
しかしそのような場合でも、カタールに帰化してカタール代表になった元ブラジル人選手がカタールを差し置いて「ブラジルのために頑張る」などと発言することは考えられないことです。
彼はあくまでもカタールの選手として新しい祖国カタールのために戦うことを誓う筈です。
ナショナルチームでプレーするのだから当然ですが、それを考えると、上記の李忠成の一連の発言がいかに非常識で、日本という国家と日本国民に対する礼を失しているかよくわかります。
李選手をハンチョッパリと呼んで散々、差別し、苛めておきながら、彼がアジア杯で決勝点を挙げた途端、手の平を返したように、
「日本はわれわれの同胞のである李選手のお蔭で優勝できた!」
と書き立てる韓国のマスコミにいたっては何をかいわんやです。
日本の在日によく似た存在として、ヨーロッパの移民の子孫が挙げられます。
たとえば、1998年のフランスW杯でのフランスチーム優勝の立役者となったジダンは、アルジェリア移民の子供ですが、
もし彼が「自分はフランス在住のアルジェリア移民の同胞のために戦う」などと発言したら、フランス国民から袋叩きにあったでしょう。
ヨーロッパは移民が多い地域ですが、各国ともナショナルチームには移民の子孫の選手はあまりいません。
例外はフランスチームで、フランスチームでは黒人やアラブ人の移民2世や3世の選手が目立ち、そのことでフランスの右翼に攻撃されていたこともあって、
ジダンのような移民の子孫である選手は特別、発言に注意を払い、フツーのフランス人選手よりもずっと徹底してフランス人選手として振る舞い、自分のルーツを主張するようなことはまったくなかったのです。
ジダンが去ったあとのフランスチームは凋落が甚だしく、2010年の南アW杯では、監督と選手の対立が激化し、選手が練習をボイコットするという異例の事態に発展し、チームは一次リーグで敗退してしまいました。
その原因の一つとして、フランス代表チームの移民の子孫の選手の間にジダンのようなフランス国家に対する帰属意識が失われ、
イスラム教徒であることを広言するなどしてフランス社会への同化を拒絶する選手が現れたこともあるのではないかという気がします。
by jack4africa
| 2011-07-15 00:03
| 日本と日本人