2011年 11月 04日
台湾&ベトナム周遊(8) |
☆フエ二日目
今日はフエの観光の目玉である王宮を見物しました。
ホテルからフォーン川に沿って歩いて行ったのですが、ホテルから王宮まで片道2キロ半あって徒歩で往復するのはけっこう大変でした。
シクロはいっぱいいてうるさく声をかけてくるのですが、料金のことで揉めるのが嫌なので、無視して歩いて行ったのです。
「ワンナワー、ワンナワー」と連呼していたところをみると、最低でも1時間は貸切りにする必要があるみたいでした。
あとで自転車をレンタルする方法もあったことを知ったのですが。
フエには1802年から1945年にかけてベトナムの王朝、阮朝(グエンちょう)の都が置かれていて、フエの王宮は北京の紫禁城を真似て造ったといわれていますが、
北京の紫禁城に較べると規模はずっと小さく、せいぜいが日本の平城京くらいでしょう。
王宮の建物は長年、放置されていたせいか、かなり傷んでいて、あちこちで修復作業が行われていました。
この王宮は世界遺産に指定されていて、フエの観光の目玉であるため、修復してもっと観光客を呼び込む必要があるのでしょう。
阮朝(グエンちょう)の皇帝は、フランスによるベトナムの植民地化後は、フランス植民地政府の傀儡として生き延びましたが、
1945年3月、日本軍はフランスの親独政権、ヴィシー政権の崩壊を受けてクーデータを起こしてフランス植民地軍を制圧し、阮朝最後の皇帝、バオダイにベトナムの独立を宣言させます。
同様にカンボジアでは、シアヌーク国王、ラオスではシー・サワン・ウォン国王を擁してそれぞれ独立を宣言させます。
つまり、日本軍はフランスの植民地政府を倒してベトナム、カンボジアおよびラオス3国を独立させたわけですが、日本の左巻きの歴史学者はこの事実を殆ど無視し、
その代わりに日本の統治下で日本軍が米を挑発したせいで200万人のベトナム人が餓死したなどというベトナム共産党の嘘八百のプロパガンダを日本で吹聴してまわっています。(ベトナム「200万人餓死事件」の真相を参照)
サヨクの学者たちは日本がベトナム、カンボジア、ラオスを独立させたといってもそれは名目的な独立でしかなく、その実態はこれらの国がフランスの属国から日本の属国に変わっただけにすぎないと主張していますが、
たとえ名目上の独立であったとしても、独立を与えられた事実は大きく、その後のこれらの国の人々がフランスからの独立運動を押し進めるきっかけになった筈です。
白人のフランス軍が黄色人種の日本軍に簡単に制圧されるのを目のあたりにしたことも彼らを勇気づけたでしょう。
日本の後押しでベトナムの独立を宣言したバオダイ帝は、1945年8月の日本の無条件降伏によって生じた軍事的空白を利用して一斉蜂起したホーチミン率いる共産ゲリラ、ベトミンによって退位させられますが、
その後、1946年にベトナムの再植民地化を目論むフランスとベトミンの間で戦争(第一次インドネシア戦争)が始まったとき、
数百人の残留日本兵がベトミンの兵士を訓練し、彼らと共にフランス軍と戦った事実もサヨク歴史学者から完全に無視されています。
続く
「2011 台湾&ベトナムの旅」
by jack4africa
| 2011-11-04 07:22