2013年 11月 04日
「東京物語」-小津安二郎が描いた家族の肖像- |
今年は映画監督、小津安二郎の生誕110年、没後50年の節目の年にあたり、各地の名画座で小津作品の回顧上映が行われています。
小津安二郎の代表作といえば「東京物語」(1953)ですが、「東京物語」は昨年、英国映画協会(BFI)が発行しているSight&Sound誌の発表した「映画監督が選ぶベスト映画」の1位に選ばれています。
全世界の監督358人が参加した投票で、映画史上、最も優れた映画に選ばれたわけで、これはかなり凄いことだと思います。
「東京物語」は一言でいって、「家族の崩壊」を描いた映画です。
尾道に住む老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が久しぶりに上京し、東京に住む医者をしている長男(山村聡)、美容師をしている長女(杉村春子)、戦死した次男の妻(原節子)に会うのですが、
実の子供である長男と長女は仕事の忙しさにかまけて上京してきた年老いた親を邪険に扱い、皮肉にも血のつながっていない次男の嫁だけが親身に面倒を見るという話で、
過去の小津作品でも繰り返し登場する「親の期待を裏切る子供」と「子供たちから見捨てられる親」という2つの親子関係のテーマが取り上げられています。
東京にやってきた老夫婦は、医者をやっている長男がしがない町医者で、老夫婦を泊める部屋もないほど小さな家に住んでいることを知って失望を隠せません。
長女がやっている美容院もごちゃごちゃした下町にあるみすぼらしい小さな店で、老夫婦はそれを見てがっかりします。
さらに老夫婦を失望させたのは、長男と長女が自分たち夫婦の久しぶりの上京を迷惑がっているようにみえたことでした。
長男と長女は、せっかく訪ねてきた両親を厄介払いでもするかのように熱海の温泉に追いやるのです。
しかし、老夫婦は自分たちにそのような仕打ちをした息子や娘を声高に非難することはしません。
周吉「でも、子供も大きいなると、変わるもんじゃのう。志げも子供の時分はもっと優しい子じゃったじゃにゃあか」
とみ「そうでしたなあ」
周吉「女の子は嫁にやったらおしまいじゃ」
とみ「幸一も変わりやんしたよ。あの子ももっと優しい子でしたがのう」
周吉「なかなか親の思うようにはいかないもんじゃ……(と二人一緒に寂しく笑って)――欲言や切りゃにゃが、まァええ方じゃよ」
とみ「ええ方ですとも、よっぽどええ方でさあ。わたしらは幸せでさあ」
周吉「そうじゃのう。まァ幸せな方じゃのう」
とみ「そうでさあ、幸せな方でさあ」
私は初めてこの映画を観たとき、老夫婦が内心の不満を押し殺して自分たちは幸せだと言い合うところに、非常に日本人的な諦観を感じて、
このへんの心理は外国人には理解できないだろうと思ったのですが、理解できるんですね、それが。
だからこそ世界の映画ベスト1に選ばれたのです。
この映画が欧米で評価が高いのは、この映画に描かれている家族や親子の関係が世界に共通する普遍的なものであることを示しています。
およそ人間として生まれて、親の期待を裏切らずに大きくなった子供はいるでしょうか? 親を見捨てた経験のない子供はいるでしょうか?
大抵の人間は、洋の東西を問わず、親の期待を裏切って成長し、人生のある時点で親を見捨てて生きていくのです。
老夫婦がそれを仕方がないと諦めるのは、老夫婦もまた若い頃に自分の親を見捨てた経験があるからでしょう。
老夫婦が故郷の尾道に戻って間もなく、東京まで旅行した疲れが出たのか、老妻が突然、病気になって死んでしまいます。
葬式には東京に住む長男と長女、次男の未亡人、そして大阪に住む三男が駆けつけるのですが、長男と長女と三男は葬式が終わると仕事が待っているからとそそくさと帰っていきます。
唯一人、妻を突然、失ってショックを受けている舅を気遣って、次男の嫁だけが残ります。
老夫婦には老夫婦と同居していた末娘(香川京子)がいるのですが、彼女は家に残った次男の未亡人である義姉に対して、
葬式が終わったらすぐに帰ってしまった兄たちや姉、特に母が亡くなるとすぐに母の着物や帯を形見に欲しがった姉に対する不満をぶつけ、義姉はそれをなだめます。
京子「でもよかった、今日までお姉さんにいていただいて――(と弁当を包みながら)兄さんも姉さんも、もう少しおってくれてもよかったと思うわ」
紀子「でもみなさんお忙しいのよ」
京子「でもずいぶん勝手よ。言いたいことだけ言うてサッサと帰ってしまうんですもの」
紀子「そりゃ仕様がないのよ。お仕事があるんだから」
京子「だったらお姉さんでもあるじゃありませんか、自分勝手なんよ」
紀子「でもねえ京子さん――」
京子「ううん、お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて、あたしお母さんの気持考えたら、とても悲しうなったわ。他人同士でももっと温かいわ。親子ってそんなもんじゃないと思う」
紀子「だけどねえ京子さん、あたしもあなたくらいの時には、そう思ってたのよ。でも子供って、大きくなると、だんだん親から離れていくもんじゃないかしら。お姉さまくらいになると、もうお父さまやお母さまとは別の、お姉さまだけの生活ってものがあるのよ。お姉さまだって決して悪気であんなことをなすったんじゃないと思うの。誰だって自分の生活が一番大事になってくるのよ」
京子「そうかしら、でもあたし、そんな風になりたくない。それじゃ、親子なんてずいぶんつまらない」
紀子「そうねえ。でも、みんなそうなってくるんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ」
京子「じゃお姉さんも?」
紀子「ええ、なりたかないけど、やっぱりそうなってくわよ」
京子「いやァねえ、世の中って……」
紀子「そう、いやなことばっかり……」
実際、小津安二郎は「この世の中なんていやなことばっかりだ」と考えてたんじゃないでしょうか。
それを突きつめていくと、戦前のサイレント映画の名作「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」(1932)に描かれた「この世に生を受けた哀しみ」に行きつくような気がします。
一人だけ残っていた未亡人の次男の嫁も東京に戻る日がきて、別れの挨拶をする彼女に舅はいつまでも亡くなった次男に義理立てせずに、早く再婚するようにいいます。
舅の優しい言葉にほだされて、彼女は自分は良い嫁を演じているけれど、この頃は亡き夫のことを思い出すことも少なくなってきていると告白します。
紀子「あたくしずるいんです。お父さまやお母さまが思ってらっしゃるほど、そういつもいつも昌二さんのことばっかり考えてるわけじゃありません」
周吉「いやァ、忘れてくれてええんじゃよ」
紀子「でもこのごろ、思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです。あたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このまま一人でいたら、一体どうなるんだろうなんて、ふっと夜中に考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとても寂しいんです――ずるいんです」
この原節子の嫁が「ずるいんです」と繰り返す場面は、「東京物語」で一番印象に残るシーンですが、この彼女の告白はそう遠くない将来、彼女が新しい人生の伴侶を見つけて生きていくであろうことを予感させます。
彼女が去ったあと、茫然とした様子で、ひとり部屋に座っている年老いた父親の姿が映し出されます。
彼はまだ小学校の教師をしている末娘と同居しているので、完全にひとりぼっちではありません。
しかし末娘もやがて嫁に行きます。そうなったら彼は本当に一人になるのです。
結局、人間は最後はひとりになって死んでいく。。。
小津はそう言っているような気がします。
東京物語
http://www.youtube.com/watch?v=m9xQCEnWGK8
参照文献:井上和男編「小津安二郎全集」
本日のつぶやき
半世紀もの長きに渡り京都の公園を不法占拠した朝鮮学校に罰金10万円
不法占拠に抗議した在日特権を許さない市民の会に賠償金1200万円
これってどう考えてもおかしいでしょう。
by jack4africa
| 2013-11-04 17:23
| 日本映画