2014年 01月 24日
マレー半島南端周遊(12) |
☆シンガポールへ
旅の最終日。チャンギー空港を朝10時に出るフライトに間に合うように、早朝、シンガポール行きのバス&タクシーの発着所であるKotaraya 2に向かいました。
タクシー乗り場に停まっていたタクシーの運転手にチャンギー空港まで行きたいというと、
「マレーシアのタクシーが行けるのは、シンガポール側のタクシー発着所までだ。そこから先、チャンギー空港へ行くにはシンガポールのタクシーに乗り換える必要がある」
といわれました。
前日、ツーリストインフォメーションで訊いたところでは、約100リンギットで、チャンギー空港まで行けるという話だったのですが。。。
そのシンガポール側のタクシー発着所までの料金は60リンギットだといいます。
それでとりあえず60リンギット払ってシンガポールまで行くことにしました。
シンガポールにはバスでも行けるのですが、シンガポールに入国するとき荷物を持っていったんバスを降りて入国審査の列に並び、審査を終えてまたバスに乗らなければならないといいます。
タクシーの場合は、タクシーから降りることなく入国審査を済ませることができるそうで、それでタクシーで行くことに決めたわけです。
タクシーはジョホール水道を横断するコーズウェイを通ってシンガポールに向かいます。
途中、運転手が私にシンガポールの入国カードを渡して記入するようにいいます。
記入したカードとパスポートを運転手に渡すと、検問所のようなところで、運転手が私のパスポートと入国カードを係官に渡し、係官は後部座席にいる私の顔をチラッとみただけで、すぐパスポートを返してくれました。
これでシンガポールの入国審査は終わりで、タクシーに乗ったまま降りることなしに越境できるというのは本当でした。
シンガポール側のタクシー発着所に着いて運転手に料金を払い、空港に行くためのシンガポールのタクシーはどこで捕まえられるかと訊くと、
「タクシーで行く必要はない。ちょっと歩けばMRTの駅があるから、それに乗れば空港まで行ける」
それでキャリーバッグを引きずりながら歩いていったら、すぐにMRTのブギス駅に出ました。
ここから1回、乗り換えるだけでチャンギー空港まで行けるのです。
料金は1.70シンガポールドル、切符を買おうとしてシンガポールの金を持ってないことに気がつきました。
朝、まだ早い時間なので、銀行は閉まっています。
近くにいた新聞売りの若い女の子に「どこかお金を両替できるところはないか」と訊いたら、彼女がマレーシアリンギットをシンガポールドルに交換してくれました。
お蔭でMRTに乗って空港まで行くことができましたが、電車に乗るとき、インド系のハンサムな青年を見かけました。
マレーシアで見かけたインド人はみんな色が真っ黒で、肌の色の黒さばかり目立って美醜の判別がつかなかったのですが、彼はこんがり焼けたパン色の肌をしていて、端正な彫りの深い顔つきをしていることがよくわかりました
今回、マレーシアを旅行するにあたってインド系の美少年&美青年を見ることができるのではないかと期待していたのですが、
結局、マレーシアではカッコいいインド人は一人もみられず、最後にシンガポールに入ってやっとお目にかかれたのです。
☆シンガポールとマレーシア
ここでシンガポール建国のエピソードを紹介しておきます。
シンガポールもマレーシアも元は英領マラヤと呼ばれるイギリスの植民地でした。
太平洋戦争中は、日本軍により占領されてその支配下にありましたが、日本の敗戦によって再びイギリスの植民地になります。
しかしほかの東南アジア諸国と同様、戦後、活発な独立運動が展開され、1957年にマレー半島9州とペナン、マラッカがマラヤ連邦として独立します。
この時点でシンガポールはマラヤ連邦に含まれず、イギリスの植民地のままでしたが、1963年にマラヤ連邦にシンガポール、ボルネオ島のサバ・サラワク両州が加わってマレーシア連邦が結成されます。
しかし、中央政府が推し進めるマレー人優遇政策をめぐって、政府与党の統一マレー国民組織(UMNO)とシンガポールの人民行動党(PAP)が対立、1964年にはマレー系住民と中国系住民が衝突し、暴動に発展します。
この事態を受けてUMNOの党首であったラーマン首相は両者の融和は不可能であると判断し、PAPの党首であったリーカンユー副首相と協議して、シンガポールのマレーシア連邦からの分離独立を決めます。
新しく独立したシンガポールの首相にはリーカンユーが就任しますが、シンガポール市民は独立を国民に伝えるリーカンユーのテレビ演説をみて、はじめてシンガポールが独立したことを知ったそうです。
このときのテレビ演説でリーカンユーは涙を流したそうですが、マレーシア連邦から追い出される形で無理やり独立させられたのがよほど無念だったのでしょう。
ラーマン首相がシンガポールを分離独立させることに決めたのは、シンガポールがマレーシア連邦に加入したことで、
マレーシア連邦内の中国人の勢力が高まり、国を乗っ取られるのではないかという危機感を抱いたからだといいます。
分離独立後、シンガポールはリーカンユーによる開発独裁で経済発展し、一方のマレーシアもそれなりに発展するのですが、
マレー人優遇政策であるプミプトラ政策を積極的に推し進めたにもかかわらず、経済面での中国系の優位は変わらず、
マレー人優遇の結果、中国系やインド系の優秀な人材が海外に流出するという弊害も現れているそうです。
それでもマレー人優遇政策は、マレーシアという国家のアイデンティティに関わるだけにそう簡単に放棄できないでしょうね。
おわり
2013 マレーシアの旅 目次
by jack4africa
| 2014-01-24 00:01