2014年 09月 19日
ペルー&イースター島周遊(14) |
☆オロンゴ半日ツアー
イースター島滞在3日目、いよいよツアーに出発。
朝9時に指定場所の教会の前で待っているとマイクロバスが来て、中年のポリネシアンのガイドが降りてきて自己紹介し、私をバスに招き入れました。
バスには先着のツアー客が7人いて、私が一番最後のようでした。
私がバスに乗り込むと、ガイドが突然、今日のツアー客はあなた以外は全員スペイン語の客なので、ガイドは英語とスペイン語のバイリンガルの自分ではなく、スペイン語のガイドにしたい。
彼は英語は片言しか話せないけれど、あなたはガイドブックを持っているだろうから、ガイドの説明がなくても大丈夫だろうと言い出しました。
私一人のために英語とスペイン語のバイリンガルである彼がガイドとして働くのはもったいないということらしいです。
彼らにもいろいろ都合があるのだろうと思って承諾しましたが、あとでツアー料金を値切っておけばよかったと思いました。
日本人はこういうときにあまり文句を言わないのでなめられるのです。
マイクロバスはツアー会社のオフィスに寄ってそのバイリンガルの中年ガイドがバスを降りて代わりに若い男のスペイン語ガイドが乗り込んできました。
彼は英語は本当に片言だったけど、いろいろと気を遣ってくれて印象は悪くなかったです。
ほかのツアー客も一人で参加してスペイン語が話せない私を気遣って親切にしてくれたし、
途中、立ち寄ったオロンゴ儀式村の観光案内所で英語のパンフレットももらえたし、英語のガイドなしでもそれほど不自由を感じなかったのも事実です。
イースター島は火山活動によって出来た火山島で、三角形をしています。
これから行くオロンゴは三角形の底辺の左端、島の南西部に位置し、ここにはラノカウという死火山があり、巨大な火口湖ができています。
オロンゴ岬ではかって鳥人儀礼という行事が行われていました。
毎年、春先にオロンゴ岬の沖合にある小さな島に海鳥が産卵のために飛んでくるのですが、島の各部族を代表する若者たちが競争でその島まで泳いでいって卵を探し、
一番先に海鳥の卵をもって泳いで帰った若者がその年の「鳥人」に認定され、彼が属する部族の長がその後、一年間、島の王になったといいます。
山を除く島の平地は牛や馬が放牧されている牧草地帯で、牧草の緑と海の青のコントラストが美しい風光明媚なところです。
それにイースター島の島民は完全に外界から孤立していたわけではありません。
彼らはカヌーを操って外洋に乗り出し、タヒチやマルケサス諸島の島民、さらにはニュージーランドのマオリ族とも交流をもっていたのです。
そもそもイースター島の島民自体、その昔、タヒチから渡ってきた人々の子孫だといわれています。
☆アキビ半日ツアー
午前中、3時間ほどのオロンゴツアーを終わって、昼食のためにいったんハンガロア村に戻って午後1時半から今度は島の中央部分のモアイ像を見て回るアキビ・ツアーに参加しました。
ツアーのガイドもツアー客も午前中のオロンゴツアーと同じメンバーでした。
モアイ像は7世紀から17世紀にかけて建造され、各部族が崇拝する先祖や王様を表現しているそうですが、
その後、部族間の戦争で敵側のモアイ像を倒すことが勝利を意味するようになり、その結果、島の殆どのモアイ像が倒されてしまったそうです。
1996年に日本企業の協力によってトンガリキの15体のモアイ像が復元、修復されましたが、その後もユネスコによる復元・修復プロジェクトが継続しているそうです。
続く
「2014 ペルー&イースター島の旅」
by jack4africa
| 2014-09-19 00:01