2006年 08月 29日
ゲイバッシング |
日本の一部のゲイリブにかぶれているホモは、「ゲイバッシング」とか「ゲイフォビア」とかやたらとカタカナ言葉を振り回します。
最近では「ホモソーシャル」という言葉をよく耳にします。
なんの意味やら、さっぱりわかりませんが(笑)
ああいう、やたらとカタカナ言葉を使いたがる連中は、それがカッコ良いことだとでも思い込んでるんですかね。
私は仕事の関係で優秀な日本人の同時通訳者を何人か知っていますが、彼ら彼女たちは日本語を話すときには、見事なほどカタカナ言葉を使いません。
彼らは言葉使いのプロだから、外国語をカタカナに直しただけのまだ日本語に成りきっていない未熟な言葉を使うことに抵抗があるのでしょう。
さらに重要なことは、このような欧米直輸入のカタカナ言葉を使って日本の状況を説明した場合、日本で起っている物事の本質が見えなくなってしまう危険があるということです。
たとえば、数年前に台東区の新木場公園でハッテン中のホモの青年が中学生や高校生の不良グループに襲われて殺されるという事件が起りました。
日本のゲイリブ団体は、この事件を「ゲイバッシング」と呼んで大騒ぎしましたが、私はあれは、同性愛者にたいする憎悪の感情から生まれる欧米のゲイバッシングとはまったく性質の異なる事件だったと思っています。
当時の日本では、中学生や高校生の不良グループが、人通りの少ない夜道を一人で歩いている中年男性を襲う「オヤジ狩り」や、公園でテントを張って寝ているホームレスを襲う「ホームレス狩り」と呼ばれる事件が頻発していました。
新木場の事件もそれと同質の事件で、夜中に公園でハッテンしているホモが狙われたのは、彼らが一人歩きの中年男性やホームレスと同様、攻撃しやすい対象だったからで、新木場でホモの青年を襲った不良少年たちに、欧米でゲイを襲うスキンヘッドの連中のような同性愛者に対する強烈な憎悪があったとは思えません。
もちろん、だからといって、彼らの犯罪が許されるわけではありません。
私がいいたいのは、欧米で頻発しているゲイに対するヘイト・クライム(憎悪犯罪)と表面的に似ているという理由だけで、アメリカでその種の事件を説明するために用いられている「ゲイバッシング」という言葉を日本の歴史的・社会的・文化的背景を無視して安直に使ってしまうと、事件の本質が見えなくなるということです。
ところで最近、また新木場で全裸でハッテンしていたホモが中学生や高校生のグループに金を脅し取られるという事件が起りました。
しかし、今回は「ゲイバッシング」という言葉はあまり聞かれず、代わりに「ホモ狩り」という言葉が使われているようです。
ネットの掲示板でも、「公共の場である公園で、素っ裸で歩き回っていた被害者の行動にも問題がある」など比較的冷静な意見が目立ちます。
日本の「ゲイ」も少しは成熟したのでしょうか。
by jack4africa
| 2006-08-29 07:16
| ゲイリブという幻想