2006年 09月 12日
M・バタフライ |
西洋人の東洋や東洋人にたいする偏見は現在でも相変わらず根強いですが、西洋の男が日本女性というか、アジアの女性にたいして抱く身勝手なステレオタイプのイメージが一番よく表現されているのが、オペラの『マダム・バタフライ』でしょう。
ご存知のように蝶々夫人は、長崎に船で立ち寄ったアメリカ人のピンカートンの日本妻となり、彼との間に子供をもうけますが、夫のピンカートンはアメリカに帰ってしまいます。
蝶々夫人はひたすらピンカートンの帰りを待ち続けるのですが、やっと戻ってきたピンカートンの傍らにはアメリカ人の妻が。絶望した蝶々夫人は自殺してしまうというストーリーです。
蝶々夫人は、男に頼ることなしには生きていけない、徹底的に受け身で弱い女として描かれていますが、日本の女というかアジアの女はたかが男に捨てられたくらいで自殺するほど弱くはありません。
ましてや子供がいるんですから、なおさらです。自殺なんかせずに女手ひとつで立派に子供を育て上げ、自分を捨てた男を見返してやろうと頑張るはずです。
私はこんな国辱的なオペラは、タイが、タイ王室を侮辱した『王様と私』(別名『アンナとシャム王』)のミュージカルや映画の上演、上映を禁止しているように、
日本では上演禁止にすべきだと思うのですが、禁止するどころが、日本人の女性オペラ歌手が主役を演じられる可能性の高い数少ないオペラとして日本では特に人気があるそうです。
1990年代にブロードウェイで上演されてヒットしたミュージカル『ミス・サイゴン』は、マダム・バタフライのストーリーをそのままべトナムに置き換えただけのミュージカルで、
プッチーニが『マダム・バタフライ』を作曲してから百年近くも経つというのに、西洋人の男が抱く東洋人女性のイメージがまったく変わっていないという事実にあらためて驚かされます。
この東洋人女性を馬鹿にした『ミス・サイゴン』がブロードウェイで上演されると決まったときには、東洋人が主役を張れる数少ないミュージカルだということで、出演を希望する東洋人の俳優がオーディションに殺到したそうです。
こういう話を聞くと、腹が立つというか、情けないというか、哀れというか、なんともいえない苛立たしい気持ちになりますね。
この『ミス・サイゴン』は、日本では東宝ミュージカルが上演したそうですが、この東洋人を蔑視したミュージカルを日本で上演しなければならない理由がどこにあるのか、理解に苦しみます。
日本で上演すべきは『ミス・サイゴン』ではなく、『M・バタフライ』の方でしょう。
『M・バタフライ』は、『マダム・バタフライ』に代表される、西洋人の男が東洋人の女に対して抱く身勝手な幻想を痛烈に皮肉った、
中国系アメリカ人劇作家、デイヴィッド・ヘンリー・ウォンの戯曲で、60年代に実際に起ったスパイ事件を基に書かれています。
北京駐在のフランス人外交官が、ある中国人女性と知り合って恋に落ちるのですが、実はその中国人は京劇の女形をやっていた男性だったという話で、
なんとフランス男は20年近くも相手の中国人を女性だと信じて付き合っていたのだそうです。
もちろん、2人はセックスもしていたのですが、中国人の男性はいわゆる素股でごまかしていたらしいです。
男であることがばれないように、セックスのときは照明を暗くしていたそうですが、フランス男は、それを東洋人女性特有の慎み深さの表れだと勘違いしていたのだそうです!
その後、彼は任期を終えてフランスに帰国するのですが、何年か経ったあと再び中国駐在を命じられ、北京に戻ります。
そのとき相手の中国人は、近所の子供を借りて彼を出迎えに行き、その子供を彼に見せて「あなたの子よ」といったのだそうです。
するとフランス男は、それを信じたんだそうです!(笑)
やがて中国人の男は中国共産党の諜報部に頼まれて、フランス男からフランス大使館の機密情報を入手するようになります。
それがフランス当局にばれて、2人でパリで一緒にいるところをスパイ容疑で逮捕されるのですが、裁判になってはじめて、フランス男は自分の中国人の愛人が女性ではなく男性であることを知らされて驚いたんだそうです!
まさに「事実は小説より奇なり」を地で行くような話ですが、この戯曲はデビット・クローネンバーグ監督で映画化されて、ジョン・ローンが女装の京劇俳優を不気味に演じています。
調べてみたら、この『M・バタフライ』は、日本では劇団四季で上演してるんですよね。
しかし、『ミス・サイゴン』と『M・バタフライ』の両方を上演するなんて、日本の演劇界は節操というものがないんですかね。
by jack4africa
| 2006-09-12 15:06
| 国際関係