2006年 10月 19日
今東光 「稚児」 |
今東光(1893-1977)作「稚児」は前回、紹介した稚児灌頂(ちごかんじょう)の秘儀の次第を詳しく記した、平安中期の天台宗の高僧、恵心僧都の作と伝えられる「弘児聖教秘伝」(こうちごしょうぎょうひでん)に想を得て書かれた小説です。
今東光は、作家であると同時に天台宗の僧侶でもあった人で、出家後、比叡山延暦寺で修行していたときに偶々、この秘本を見る機会があり、難しい漢文で書かれてある原文を分かりやすい日本語に直して、小説の形にして発表したのですが、
この小説の醍醐味というか、面白いところは、自身、天台宗の僧侶であった今東光が、それまでベールに包まれていた僧侶の性生活=男色の実態を小説の形で公表したことにあります。
今東光和尚といえば、生前は毒舌家として知られ、色っぽい小説も沢山、書いていたことから、エロ坊主呼ばわりされていましたが、
そういう生臭いというか人間臭いところのある坊さんだったからこそ、僧侶の男色という普通の僧侶であれば触れることをはばかるテーマを取り上げることができたのではないかと思います。
今東光自身は、基本的に女好きでしたが、中学時代には下級生をお稚児さんにしていたそうで、そのせいか、僧侶の男色については大変、寛容な見方をしています。
「秋の夜長物語」をはじめとする中世に数多く書かれた稚児と僧侶の恋物語を読めば、
「僧侶の破戒を憤る前に女人を求めることを禁じられた彼等のほのかな夢を如何にして結界に持ち来すことができたかの事実に幾分かの困惑を感じながらも同情と興味を感じられるであろう」
と述べていますし、
僧侶が稚児を観音の化身とみなして性的関係をもったことについても、
「稚児愛をも仏教に附会して彼等の愛欲を合理化したと責めるよりは、迷悟一如とした当代の僧侶の真に左様に思惟した点を理解してやらなくてはならない」
と弁護しています。
さて小説ですが、比叡山延暦寺の身分の低い初老の僧、慶算は、三塔(延暦寺の総称)一の美少年と謳われる美貌の稚児、花若に想いを寄せ、密かに恋文などを送るのですが、
花若は、阿闍梨(あじゃり)と呼ばれる高僧、蓮秀法師に囲われていて、慶算みたいな貧乏僧には鼻もひっかけません。
やがて花若は蓮秀法師によって灌頂を授けられ、花若丸と名を改め、正式に蓮秀法師の稚児になるのですが、
蓮秀法師は、悪僧の寛茂に「京の町に父母をなくした絶世の美少年がいるから、その少年も稚児にしたらどうか」と吹き込まれ、その気になってしまいます。
寛茂に連れられてやって来た美少年を見た蓮秀法師は少年に一目惚れしてしまい、まだ灌頂も済んでいないのに、花若丸やほかの僧侶達の見守る中で少年を連れて寝所に入ってしまい、
満座の中で恥をかかされた形になった花若丸は、ショックのあまり書き置きを残して、失踪してしまいます。
しかし、奸智にたけた悪僧の寛茂はこのことを予測していて、大津に逃げる途中の花若丸を待ち構えて捕らえ、人買いに売ってしまうのです。
小説は、花若丸が人買いに売られたとの噂を耳にした貧乏僧の慶算が、花若丸を救うために旅に出るところで終わりますが、
一時、ちやほやされても高僧の気分次第で簡単に捨てられてしまう稚児の哀れ、いくら稚児に恋しても高僧のようには簡単に稚児を自分のものにすることのできない身分の低い僧侶の哀れがよく描かれていて、余韻に満ちた、心に残る作品になっています。
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by jack4africa
| 2006-10-19 23:58