2007年 03月 26日
カトリックと同性愛 |
カトリックは世界に10億もの信者がいるといわれる一大宗教勢力ですが、カトリック教会は、昔から一貫して同性愛を認めない立場を取っています。
2005年4月にヨハネ・パウロ2世の死去を受けて、新しいローマ教皇にベネディクト16世が就任しましたが、同性愛や同性婚に反対するという立場は変わっていないようです。
その一方で、カトリックの神父による少年にたいする性的虐待事件があとを絶ちません。
少年絡みの性的スキャンダルがあまりに頻発するので、バチカンでは、同性愛的な傾向をもつ人間をカトリックの司祭に採用することを禁止する措置を取ることが検討されているほどだといいます。
実は、南欧やラテンアメリカ諸国では、伝統的に同性愛者がカトリックの神父になるケースが多いのだそうです。
同じキリスト教でも、プロテスタントの牧師には妻帯が認められていますが、カトリックの神父は、一生、独身を守ることが義務づけられています。
このことは逆にいうと、カトリックの神父になれば、結婚する義務を免れることを意味します。
カトリックの神父というのは唯一、独身でいても、周囲からヘンな目で見られることのない職業なのです。
そのために、女性との結婚を望まない同性愛者の若者がカトリック神父を志願するケースが自然と多くなり、その結果、少年との性的なスキャンダルもよく起るということらしいです。
このようなカトリック神父に特有の「性癖」は、南欧やラテンアメリカではよく知られていて、そのため、カトリックの神父が若者たちの間でからかいの対象になることも多いといいます。
もちろん、カトリック神父のすべてが同性愛者というわけではありません。
ヘテロセクシュアルのカトリック神父もいます。
しかし、ヘテロセクシュアルの神父にも問題があって、表面的には独身を通していても、実際には内縁の妻や愛人を隠しもっている神父が多いのだそうです。
若い頃、フランスに住んでいたとき、フランスの偉いカトリックの枢機卿が愛人宅で腹上死するという事件が起って話題になりましたが、
私の知る限り、フランス人はみんなその事件を面白がっていて、「聖職者のくせにケシカラン!」などと憤慨する声は聞かれませんでした。
日本の坊主と同様、カトリック神父には生臭坊主が多いことをフランスの国民はよく承知していて、今更、枢機卿に愛人がいたくらいで驚かないという感じでした。
このへんのカトリック特有のホンネとタテマエの使い分けは、イスラム原理主義が台頭する前のイスラム教のそれに共通するところがあると思います。
イスラム教では同性愛を禁止するというタテマエとは裏腹に、実際にはホモセックスは日常的に行なわれているというのは、私がこのブログで何度も繰り返し、いっていることですが、そのへんの事情は、カトリックの国もよく似ているようです。
ラテンアメリカで「ノンケ」の男が簡単にひっかかるという話は、これまでもしてきましたが、アメリカのホモセクシュアルの劇作家、
テネシー・ウイリアムズの自伝には、1950年代の戦後、まだ貧しかった頃のイタリアのローマで、イタリア人の若い男を路上でひっかけてヤリまくる話が出てきます。
イタリア人の若者が、テネシー・ウイリアムズの誘いに簡単に乗ってきたのは、金銭目的もあったと思いますが、元々、ホモセックスにたいして抵抗感がなかったのも一因でしょう。
テネシー・ウイリアムズが「当時のローマの街中では、ペニスを半分、勃起させて歩いている若い男が沢山いた」と書いているのを読んで、
70年代終わりから80年代はじめにかけてエジプトにいたときに目にしたエジプト人の若者のことを思い出したものです。
エジプトでもペニスを半分、勃起させて歩いている若者をよくみかけたからです。
当時、エジプトでは、身体にピッタリと貼り付くようなズボンが流行っていて、股間のモッコリは否応なく目に入ってきたのですが、
朝の通勤バスの中なんかでは、寝ぼけ眼で吊り皮につかまって立っている若者のズボンの前が朝だちでテントを張っている光景をよくみかけたものです。
そのような性欲の強いヤリざかりの若い男たちが、セックスの誘いを受けて喜んで相手になるのは、ごく自然なことで、そこにはホモとノンケの区別など存在しないのです。
このような「古き良き時代」の大らかなホモセックスの伝統は、アラブ・イスラム圏ではイスラム原理主義、南欧やラテンアメリカのカトリック圏ではゲイリブ運動の台頭によって徐々に消え去りつつあります。
キリスト教圏でゲイリブの運動がまず最初にアメリカのようなプロテスタントが優勢な国で起こったことは理由があります。
プロテスタントとはいってみれば、キリスト教原理主義で、カトリックのようなホンネとタテマエの使い分けを許さず、聖書に書かれてあることを忠実に守って生活することを信条とする宗派です。
同性愛についても、聖書で禁止されているという理由で、その行為を犯した者は忌むべき同性愛者として厳しく弾劾します。
そのような弾圧の反動として、ゲイリブの運動が、同性愛者にたいする差別が一番、激しかったプロテスタントの国、アメリカで起こったわけですが、アメリカでも、カトリックの国のようにホンネとタテマエの使い分けを認めていれば、
ゲイリブの運動は起こらなかったかもしれないし、もし起ったとしても現在、見られるような急進的で闘争的な運動ではなく、もっと穏やかなものになっていたと思われます。
原理主義のプロテスタントの宗派が成立するきっかけをつくったドイツの宗教改革者、マルティン・ルターを教会から破門したローマ教皇が、
若くて逞しい男にお尻をガン堀りされるのが大好きで、そのせいで「お尻の病気」になってしまったレオ10世だったというのは、カトリックとプロテスタントの違いを象徴する話だと思います。
男色好きのレオ10世は、贅沢も大好きで、金を湯水のように使い、そのためにカトリック教会は資金不足に陥って、ローマのサンピエトロ寺院の建立資金を調達するために免罪符を乱発して、宗教改革を誘発してしまったのですが、
彼は同時に教養のある文化人で、ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術家のパトロンでもあったのです。
一方、ルターはというと、ドイツのどん百姓で、信仰には熱心だったかもしれないけど、文化なんかとは程遠いところにいた人物です。
映画「第三の男」に登場する悪党のハリー・ライムが口にする「ボルジア家三十年の圧制はルネッサンスを生んだが、スイス500年の平和は鳩時計を生んだだけだ」という有名なセリフがありますが、
ルネッサンスの時代には、レオ10世をはじめとして、男色好きのローマ教皇が多数、輩出したのです。
☆ カトリックの日本人からのメール
上記の文章をブログに掲載してから、しばらく経って、私のブログの読者だというカトリックの日本人の青年から、「カトリックがタテマエとしては同性愛を禁止し、ホンネの部分では許容している、というあなたの指摘は正しい」というメールを受け取りました。
彼は男との初体験は15歳のときで、その相手とは教会で知り合ったのだそうです!
その頃、彼は南米の某国に住んでいて、地元の教会に通っていたそうですが、その教会の神父さんから20歳くらいの現地人の若者を紹介されたんだそうです。
その現地人の若者は背の高いイケメンで、カッコイイお兄さんという感じですぐに好きになり、誘われるまま関係をもってしまったといいます。
その現地人の若者とセックスした翌日、彼を紹介してくれた神父さんと教会で会ったら、「ラテンアメリカでは男とセックスするのを好む男が多いから気をつけなさい」と注意されたそうですが、もう遅すぎますよね(笑)
それで、「実は昨日、カレとヤリました」と答えたら、「ほどほどにしときなさい」といわれただけで、それ以上は何もいわれなかったそうです。
「その神父さんも男とヤッてたんじゃないかと思う」と彼はいうのですが・・・
そのカトリックの彼は現在、日本に住んでいるのですが、恋人(男)がイギリスに留学していて、彼に会うために、今年の春休みにイギリスに行ってきたそうです。
彼とイギリスで落ち合ってから、レンタカーを借りて、ヨーロッパをあちこち旅行し、バチカンではイースターのミサに出席したといいます。
カトリックではミサのあとに「幸福の挨拶」といって、まわりの人と抱き合ったり握手をする習慣があるそうです(日本ではお辞儀をするだけだそうですが)。
で、そのバチカンのミサで「幸福の挨拶」をするために恋人のカレと抱き合ったとき、いきなりカレが口にキスしてきたんだそうです。
二人のすぐ後ろには年配のイタリア人の尼僧がいたそうで、てっきり叱られるかと思いきや、「シアワセになりなさい!」と笑顔で祝福してくれたといいます。
バチカンのミサで男同士、キスして、カトリックの尼僧に祝福されるというのも凄い話ですが、そういえば、昔、ローマに行ったとき、バチカンのお膝元なのに、売春婦がそこら中にウヨウヨいるのに驚いたことがあります。
これもカトリック流のホンネとタテマエの使い分けなのかもしれませんが、タテマエとしてはもちろん、同性愛や売春は禁止されていて、避妊やエイズ予防のためのコンドームの使用さえも公式には認められていません。
アメリカでゲイのために司牧活動をしていた神父とシスターは、教皇から止めないと聖職停止にするという脅しを受けたそうで、おおっぴらに同性愛を支持するのは、やっぱりまずいみたいです。
「世界男色帯」
by jack4africa
| 2007-03-26 00:40