IE9ピン留め

自分の性的嗜好について日頃、考えていることや世界の同性愛文化の比較、世界の男色習俗の紹介、旅行記、大好きなアフリカ大陸や映画の話
by jack4africa
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LGBTという幻想

LGBTというのは、LESBIAN、GAY、BISEXUAL、TRANSGENDERの頭文字をつなげたゲイリブ用語で、これを総称して「性的少数者」と呼ぶこともあるそうです。

私はこの言葉をいまだに覚えることができなくて、無理にこの言葉を使おうとすると、GLBTといってみたり、LGTBといってみたり、しょっちゅう間違えてしまいます。

齢をとって記憶力が減退しているせいもあるのですが、そもそもこの言葉は、日本人の私にとっては、アメリカで造られた完全な外国語であって、その意味を説明されても、いまいち実感が湧いてこないのです。

たとえば、私はレスビアンという人種にまったく関心がなく、彼女たちとホモである自分の間になんの関連性も見出していません。当然のことながら、彼女たちに対して仲間意識や連帯感を持つこともありません。

別にレスビアンを嫌っているわけではなく、彼女たちは、自分とは完全に別世界の住民だと思っているので、こっちはこっちで好きにやるから、そっちはそっちで勝手にやってくれという気分なのです。

バイセクシュアルに至っては、なんで彼らが「性的少数者」に分類されるのがよくわかりません。

いつも言っているように、バイセクシュアルの人間は、世界的、歴史的にみれば少数派ではなく、むしろ多数派で、社会的には異性愛者として振舞っている人間が多いことから、特別、差別の対象にもなっていません。

さらにトランスジェンダー=性転換者の場合は、LGBTの中では、ゲイやレスビアンと較べてマージナルな存在で、性転換手術や手術後の戸籍の変更など、その主要な関心事は、一般のゲイやレスビアンと共有されていません。

また、性的少数者に中にLGBTだけが含まれ、少年愛者や少女愛者、SM愛好家などの性的マイノリティーが排除されていることについては、欧米でも疑問を呈する向きが多いそうです。


つまり、このLGBTという用語は、それが生まれたアメリカでも、定義や範囲について異論の多い、曖昧で、明確さに欠ける言葉なのです。

そんな曖昧で漠然とした呼び方を、なぜ日本人のゲイリブが喜んで使っているのかよく判りませんが、欧米コンプレックスの強い日本のゲイリブは、アメリカでこの言葉が使われているというだけで、意味もわからずにありがたがって使っているのでしょう。

ところで、今年は4月の統一地方選挙でゲイの男性が区議会議員に立候補し、7月の参院選挙ではレスビアンの女性が立候補しました。

彼らを支持し、応援したのがLGBTを自称するゲイリブたちでした。

そしてLGBTを自称する連中に支持された候補者は二人とも、同性愛者であることを前面に押し出した選挙運動を展開したのです。

特に参院選に出馬したレスビアン候補の場合、同性パートナーとの結婚式を挙げるなどして派手なパフォーマンスを繰り広げ、彼女の選挙カーは「レスビアンのOO、レスビアンのOOをお願いします」と連呼して走り回っていたそうです。

選挙期間中、オーストラリア在住のブログの読者の方からメールが来て、「オーストラリアにもゲイであることを公言している政治家はいるが、ゲイであることを売り物にしている政治家はいない」と不思議がっていましたが、

ゲイリブ運動が日本よりも進んでいるといわれるオーストラリアからみても、同性愛者であることをひたすら強調する、このレスビアン候補の選挙運動のやり方は、なんとも奇異なものに映ったようです。

実際のところ、私のようなホモも含めて、多くの日本人の有権者が選挙で重視するのは、候補者の政策や人柄であって、その性的嗜好ではありません。

そのため、当然のことながら、ゲイやレスビアンであることしか売り物はなく、有権者を惹き付ける政策を何ひとつ提示できなかった二人の候補者は落選しました。

問題はなぜ、このゲイやレスビアンの候補者やその取り巻き連中が、同性愛者であることを訴えれば、ホモやレズが投票してくれるだろうと安易に考えたかということです。

彼らは、LGBTを自称する自分たちゲイリブが、一般のホモやレズから、サヨクがかった胡散臭い連中とみられていることに気がついていなかったのでしょうか?

多分、そういう批判や悪口には耳を塞いで、聞こえないようにしていたのでしょう。

元々、被害者意識が強く、ちょっとでも批判されると、やれ誹謗されたの、中傷されたのと騒ぎ立てる連中なので、批判には一切、耳をかさず、LGBTを自称する自分たちは、社会の差別や偏見に晒されている被害者であると信じ込み、同類だけが集って傷の舐めあいをしていたのでしょう。

そして、仲間内だけのゲイリブごっこを続けるうちに、実際に日本社会にLGBTを自称する同性愛者が増えているかのような錯覚に陥り、

創価学会員が選挙となると公明党の候補に投票するように、LGBTの代表を自称して立候補すれば、日本中のホモやレズが投票してくれるだろうという誇大妄想にまで突き進んでしまったのではないかと思われます。

LGBTなんて集団は一部のゲイリブの脳内にしか存在せず、一般社会には存在しないという、我々一般ホモには明々白々な現実が、彼らには見えていなかったのです。

その結果、ゲイやレズの候補者たちは一般ホモの支持を得て当選するどころか、選挙期間中、ゲイやレスビアンを連呼する彼らにうんざりさせられた一般ホモのゲイリブ嫌いを一層、助長させるだけの結果に終わってしまったのです。



by jack4africa | 2007-09-14 00:19 | ゲイリブという幻想
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