2007年 12月 25日
院政期の日本人(5) |
☆ 僧侶と稚児
「少年愛の美学」で、日本の制度的な男色は、仏教寺院で始まったと書きましたが、院政期においても、当然のことながら、仏教寺院では、僧侶とその身の回りの世話をする稚児の間の男色は盛んに行なわれていました。
鎌倉時代に編纂された説話集、『古今著聞集』には、仁和寺の御室(門跡)だった覚性法親王の次のような男色エピソードが収められています。
法親王というのは、出家した天皇の皇子(親王)のことで、覚性法親王は、鳥羽天皇の親王、後白河天皇の弟にあたる人です。
さて、覚性法親王は、千手という稚児を大層、寵愛していたのですが、そこに新しく参川という稚児が登場します。
その結果、よくあることですが、覚性法親王の寵愛は千手から新しい稚児の参川に移ります。当然、千手は面白くなく、ふて腐れて実家に帰ってしまいます。
ある晩、仁和寺で酒宴が開かれたとき、覚性法親王の弟子の守覚法親王(後白河天皇の出家した親王)が「笛がうまくて、今様(当時の流行歌)も得意な千手がここにいないのはつまらないですね。彼を呼びましょう」といって、呼びに行かせます。
しかし、千手は病気だと偽って参上するのを拒みます。それでも法親王がしつこく使いを寄こすので、不承不承、姿を現します。
そして今様を謳えといわれ、「過去無量の諸仏にも、捨てられたるをばいかがせん」と謳うのです。
「法親王様に見捨てられて、ボクはどうしたらよいかわかりません」といった意味でしょうか・・・
その姿があまりに哀れだったので、覚性法親王は耐えられず、千手を抱いて、そのまま寝所に入ってしまいます。
そうすると収まらないのは、参川の方です。その夜、恨みの歌を残して、出奔してしまうのです。
『平家物語』の「祇王・祇女と仏御前」のエピソードの男色バージョンといったところですが、今東光の小説「稚児」もこの話から着想を得ているような気がします。
この覚性法親王には、平清盛の甥の平経正(つねまさ)も幼少時に稚児として仕え、法親王の寵愛を受けています。
経正は、琵琶の名手として知られており、覚性法親王は元服した経正に仁和寺に伝わる唐伝来の琵琶の名器「青山」を賜っています。
『平家物語』には、源氏勢に追われて都落ちする経正がこの青山を仁和寺に返しに行く話が出ています。
そのとき、覚性法親王はもう亡くなっていて、跡を継いだ守覚法親王が代わって青山を受け取るのですが、守覚法親王に仕える行慶という僧都が別れを惜しんで、経正を桂川の端まで見送ります。
実はこの行慶という僧侶は、経正の稚児時代からの知り合いで、経正は彼とも男色関係にあったのだそうです。
経正はその後まもなく、義経のひよどり越えで有名な一の谷の合戦で討ち死にします。
義経もまた、幼名、牛若丸を名乗っていた時代に母の常盤御前から引き離され、都の北にある鞍馬山の鞍馬寺に稚児として出仕させられ、鞍馬寺の僧侶たちの男色の相手をしたといわれています。
私は読んでいないのですが、司馬遼太郎の小説「義経」にそのへんのことが詳しく描かれているそうです。
☆ 俊寛と有王
哀切なエピソードの多い『平家物語』の中で、とりわけ胸を打つのは、俊寛と有王の話です。
俊寛は、後白河法皇の側近で、法勝寺の執行の地位にあったときに、鹿ケ谷の陰謀に連座した咎で、同じく陰謀に加担した藤原成経と平康頼と共に南海の絶海の孤島、鬼界ヶ島に配流されます。
一年後、成経と康頼は赦免され、都に戻ることができたのですが、俊寛だけは許されず、一人、孤島に取り残されます。
ここに俊寛に侍童として仕えていた有王という若者がいます。
有王は、俊寛と一緒に流罪になった成経と康頼が赦免されて都に帰ってきたのに俊寛だけが戻って来ないのを心配し、俊寛に会うためにはるばる鬼界ヶ島まで出かけて行きます。
そして、鬼界ヶ島で乞食のような姿になって生きている、かっての主人を発見するのです。
俊寛は有王が来て安心したのか、有王に抱かれて息を引き取り、有王は俊寛の遺体を荼毘に付して、遺骨を都に持ち帰り、俊寛の唯一の肉親である俊寛の娘に手渡すのです。
『平家物語』には俊寛と有王が男色関係にあったとは書かれていませんが、たとえ元の主人とはいえ、ここまで献身的に尽くしたのは、二人の間に男色関係を通した強い絆があったからだと思います。
このような主従間の男色関係は、前述した藤原頼長と秦公春の関係を例外としてほとんど記録に残っていないのですが、これはこの時代に主従間の男色関係が少なかったからではなく、
反対に、当時の人々にとっては、ごくありふれたよくある関係だったために、わざわざ記録に残す必要を感じなかったからではないかという気がします。
参照文献:
-『日記にみる藤原頼長の男色関係-王朝貴族のウィタセクスアリス』東野治之(『ヒストリア』84号、1979年、大阪歴史学会)
-『院政期社会の研究』五味文彦、「院政期政治史断章」
-『平家物語』杉本 圭三郎(講談社学術文庫)
「昔の日本人」
by jack4africa
| 2007-12-25 00:44