2008年 04月 22日
エジプト人が見たQueen Boat 事件 |
昨年 (2007年) 2月にエジプトを旅行したとき、カイロのナイル河岸に係留されている船上レストランや船上ナイトクラブを見て、Queen Boat事件のことを思い出しました。
この事件については、欧米のメディアやゲイ団体が「エジプトにおけるゲイの弾圧」として大々的に報じたのですが、日本に伝わってくる情報は、
これら欧米のメディアやゲイ団体を経由した情報ばかりで、肝心のエジプト国民がこの事件をどう見ていたかを伝える情報は、ほとんどなかったような気がします。
同じ事件でも、欧米人の目で見るのとエジプト人の目で見るのとでは、様相が異なって見えるのではないか、そう思って、日本に帰国してから、この事件がエジプトでどのように受け止められたかを調べてみることにしました。
まず最初に、この事件の経緯を簡単に振り返ってみますと、2001年5月11日未明にナイル河に浮かぶ船上ディスコ Queen Boat を多数の警官が襲って、船内でゲイパーティーを開いていたエジプト人ゲイを52人逮捕したというのがことの発端です。
警察が船内に踏み込んだときには、エジプト人以外に外国人の客も何人かいたそうですが、彼らは逮捕されなかったそうです。
ただし、エジプト人のゲイは同性愛者であるという理由で逮捕されたのではありません。
エジプトには同性愛を禁じる法律は存在せず、彼らは乱交 / 売春を行なっていたという容疑で逮捕されたのです。
彼らに対する裁判は2001年7月18日に、控訴が認められない国家保安裁判所(State Security Court)で始まりました。
この国家保安裁判所は、1981年に当時のエジプト大統領、アンワル・サダトがイスラム過激派に暗殺された事件をきっかけに設立された裁判所で、それまでは主としてイスラム過激派の裁判に使われていました。
その法廷が今度は同性愛者を裁くために使われることになったのです。
判決は11月14日に下され、主犯格の被告に対して「宗教を侮辱した罪」で5年の懲役、彼の親しい友人である副主犯格の被告に対しても同様の罪で3年の懲役、
21人の被告に対して「不道徳行為」を行なった罪で1年から2年の懲役、残りの29人の被告には無罪が言い渡されました。
この判決は欧米でも大きく報道され、欧米のゲイ団体や人権団体は、被告たちが同性愛者であるという理由で有罪になったと主張して、裁判を行なったエジプト政府をいっせいに非難しました。
このような欧米の非難に屈したのか、事件から1年後の2002年5月に、ムバラク大統領は、このような裁判を国家保安裁判所で行なったのは不適切であったとし、控訴が可能な刑事裁判所での裁判のやり直しを命じます。
この大統領の決定を受けて、それまで拘置されていた逮捕者は全員、500ポンドの保釈金を払って釈放されます。
再審は2002年7月にカスル・エル・ニル軽犯罪裁判所で始まり、2003年3月15日に結審し、前回の裁判で有罪になった主犯格の2人を含む23人の被告全員にあらためて有罪が宣言され、
主犯格の2人の量刑は前回の判決と変わらず、それぞれ5年と3年の懲役、前回、1年から2年の懲役判決が下った残りの21人の被告には3年間の保護観察処分が言い渡されます。
この判決にたいして、主犯格の2人を除く、21人の被告の内、16人が控訴し、6月4日に控訴審の判決が出て、法廷に出廷した4人の被告の保護観察処分が3年から1年に短縮されますが、残りの17人の被告は法廷に姿を現さなかったとして減刑の対象にはなりませんでした。
これら法廷に姿を現さなかった被告はおそらく、全員が国外に脱出したものとみられます。
以上が Queen Boat 事件のあらましですが、この事件が起ったとき、エジプトの人権団体(エジプトにも一応、あるそうです)の動きは鈍かったといわれています。
エジプトでは同性間だけでなく、未婚の男女の交際についても厳しい制限があり、男女間でも人前での派手な愛情表現は慎まなければならないとされているのに、
船上ディスコという公共の場所で大っぴらにゲイパーティーを開いたゲイたちの行動を不謹慎とみる人間は人権団体のメンバーの中にも存在したというのです。
またエジプトには、貧困に起因するもっと深刻な人権侵害の事例が多数、存在し、そのような深刻な人権侵害と比較して、同性愛者にたいする人権侵害はそれほど重要視されなかったともいいます。
実はこれは欧米のメディアが報道しなかったことですが、この時期、ムバラク政権は、エジプト国内で同性愛、異性愛を問わず、いっせいに風紀取締りキャンペーンを実施していたのだそうです。
Queen Boat事件と前後して17人!もの妻を隠しもっていたビジネスマンが逮捕されたり、コプト教の神父が教会内で女性信者に猥褻な行為を行なっている様子を映したビデオテープがマスメディアに流出するなど、セックス絡みの事件が相継いで摘発されていたというのです。
ムバラク政権がこの時期、突然、風紀取締りキャンペーンを開始したのは、高止まりしたままいっこうに改善しない失業率や経済の不調から国民の目を逸らすことが目的だったといわれています。
またQueen Boat事件については、年々、派手になる同性愛者たちの行動にたいするイスラム保守派の忍耐が限界に達し、大統領も抑えきれなくなったという説もあります。
いずれにせよ、Queen Boat事件の逮捕者にたいする一般のエジプト人の態度は人権団体と同様、冷淡であるか、無関心だったそうです。
一般のエジプト国民にとっては、環境汚染や失業問題、住宅不足や教育問題など生活に密接した諸問題の方がずっと差し迫った重要な問題で、一部の西洋かぶれの同性愛者がパーティーを開いて逮捕されたなどという些細な事件は、殆ど世間の注目を惹かなかったというのです。
エジプトでは男同士のセックスの習慣そのものは昔から存在し、日常的に行なわれていますが、タテマエとしてイスラム教が同性愛を禁止していることから、人前で同性愛的な愛情を表現することはもちろん、それについて語ることもタブーになっています。
男同士のセックスはあくまでも目立たない形で、隠れてやることが暗黙のルールになっているのです。
また男同士のセックスの習慣ものものは、欧米地域やアジア地域と比較してずっと広範に社会に浸透しているにもかかわらず、そのような習慣は欧米でいうところの同性愛とは別のものであると考えられています。
大半のエジプト人の男たちは、男同士のセックスを行なっていても、結婚適齢期になると女性と結婚して子供を作ることから、彼らは欧米的な意味での同性愛者ではないのです。
しかし、その一方で最近、エジプトにも欧米のゲイリブ思想が流入してきて、自分のことをゲイであると自覚する欧米流の同性愛者が増えてきているそうです。
Queen Boat事件で逮捕されたエジプト人のゲイたちは、このような比較的最近、エジプト社会に現れた、同性愛者であることを自己主張する欧米流の同性愛者で、
保守的なイスラム教徒から見れば、彼らはイスラム教徒の本分を忘れ、イスラムの敵である欧米の思想にかぶれたイスラム社会の裏切り者ということになります。
一般の国民も大なり小なりそのような見方に同調し、彼らにまったく同情しなかったというのです。
このようなエジプト国内での冷淡かつ無関心な態度とは対照的に、この事件は、欧米のメディアでは大きく取り上げられ、欧米の人権団体やゲイ団体はこぞってエジプト政府を非難し、
アメリカでは40人の国会議員が連名でエジプト大使館に抗議の書簡を送り、エジプトにおけるゲイにたいする弾圧を停止するように呼びかけるという騒ぎに発展します。
このような欧米からの非難や抗議を一般のエジプト人は「西側からの攻撃」として受け取ったといいます。
エジプト政府の高官は、欧米の人権団体の非難にたいして、「欧米諸国は、公然とした同性愛を認めないという文化的規範を持つエジプトに西側の価値観を押し付ける権利はない」と反論したそうです。
ここで注目すべきは「公然とした同性愛を認めない」という言葉です。これはエジプトでは、個人がプライベートな空間で同性愛行為を行なうことは罪にならないことを意味します。
Queen Boat事件で逮捕されたゲイたちは、人前での派手な愛情表現を慎むというイスラム文化の規範を無視して、船上ディスコという公共の場所でゲイパーティーを開くという,
保守的なイスラム教徒にとっては目にあまる挑発的な行為をとったから逮捕されたのであって、同性愛者であるために逮捕されたのではないと主張しているわけです。
またアメリカの政治家がこの問題を派手に取り上げることで、アメリカの政治的争点である同性愛問題を、保守的なイスラム国家であるエジプトに持ち込んだことにたいする反感も生まれたといいます。
エジプトの有力新聞「アル・アハラム」は、アメリカの国会議員の抗議を揶揄して、「倒錯者になれ!アンクル・サム(アメリカの代名詞)が認めてくれるぞ!」という見出しの記事を載せたそうです。
さらに複数のエジプトの新聞は、エジプトのゲイリブ運動、特にその推進役になっているエジプトのゲイを対象にしたウェブサイト、GayEgypt.comがイスラエルに支援されているとの記事を掲載します。
GayEgypt.comに関しては、イスラエルが連日、レバノンを空爆している最中に、その事実にはまったく触れずに、イスラエルで行なわれたゲイパレードを賞賛する記事を載せるなど、
以前からイスラエル寄りの姿勢が目立ち、私自身、イスラエルの諜報機関がバックについているのではないかと疑っていたのですが、エジプト人も同様の疑いを抱いていたわけです。
GayEgypt.comは当然のことながら、この嫌疑を否認し、GayEgypt.comで働いているスタッフは1名 (非イスラエル人)を除いて全員、エジプト人で、彼らは一年の大半をエジプト国内での活動にあてていると反論しています。
しかし、このウェブサイトについては、スタッフはおろか代表の名前さえ明らかにされておらず、運営拠点もエジプト国内ではなく国外(おそらくアメリカかイギリス)に置かれているみたいで、その実体はベールに包まれています。
実際、アラブ人であれば、たとえ同性愛者であっても容認できないようなGayEgypt.comの欧米・イスラエル寄りの論調の記事を読めば、このウェブサイトがイスラエルや欧米諸国の支援を受けているという主張に、まったく根拠がないとは言い切ることはできないと思います。
このQueen Boat事件が起った2001年というのは、あの9.11テロが起った年で、パレスチナ問題などをめぐってアラブ諸国では反米感情が非常に高まっていた時期でした。
そのような反米感情も背景にあって、エジプトでは、アメリカ政府や欧米諸国のゲイ団体や人権団体からの抗議は、アラブ・イスラム圏に欧米流の価値観を押しつけて、これらの地域を欧米の文化的植民地にしようと試みる欧米、特にアメリカの文化的覇権主義の表れであると受け止められたのです。
実際、9.11以後のアメリカのアフガニスタンにおけるタリバンの殲滅作戦、イラク戦争の開戦とサダム・フセイン政権の崩壊、ブッシュ大統領の「中東民主化計画」の提唱などの一連の動きを見れば、
エジプト人がアメリカが「同性愛者の弾圧」を口実にアメリカ流の民主主義を自分たちに押し付けてくるのではないかと恐れた気持ちも理解できなくはありませんし、アメリカ側にもそのような意図がまったくなかったとは言い切れないでしょう。
欧米の人権団体の中にも、そのようなエジプトの国民感情に配慮し、協力関係にあるエジプトの人権団体の助言を受け入れて、攻撃の矛先を「同性愛」から「拷問」に転換する団体が現れます。
Queen Boat事件で逮捕されたエジプト人のゲイたちは、警察の留置場や刑務所内で日常的に拷問を受けていたとされ、「彼らにたいする拷問をやめさせよう」というキャンペーンを張ることにしたのです。
「ゲイ=同性愛」という言葉にアレルギー反応を示すエジプト国民でも、「拷問」であれば、それがよくないことだと理解する筈だというわけです。
この「同性愛」から「拷問」へのキャンペーンの方針転換は、ほかの人権団体も追随することになるのですが、2004年5月に欧米の人権団体が予想もしなかったショッキングな事件が発生します。
アメリカの占領下にあるイラクのアブ・グレイブ刑務所で、アメリカ兵がイラク人の拘束者に性的虐待を行なっていたという事実が明るみに出たのです。
自国の同性愛者の逮捕には怒らなかったエジプト国民もこの事件には激怒し、カイロでは500人が参加してアメリカに対する抗議デモが行なわれます。
この事件のエジプト人による解釈は、「性倒錯者であるアメリカ兵たちが、自分たちの倒錯した性的嗜好を満足させるために、イラク人拘束者に男色行為を行うことを強制した」というものだったそうです。
このような解釈は「同性愛は欧米の堕落した文化の産物である」というイスラム保守派の主張にも合致します。
このような「誤解」を解くために欧米の人権団体が使ったレトリックは、皮肉にも彼らがQueen Boat事件にたいするエジプト国民の理解を得るために使ったのと同じ「同性愛」を表面に出さずに「拷問」を強調するというレトリックでした。
彼らは、「アメリカ兵たちは同性愛者ではなく、イラク人拘束者を拷問していただけだ」と説明したのです!
この説明がどれだけ説得力をもったかは判りませんが、Queen Boat 事件であれだけ声高にエジプト政府を非難したGayEgypt.comをはじめとする欧米のゲイ団体がこのイラクのアブ・グレイブ事件については完全に沈黙を守ったことは、エジプト人のこれら団体にたいする不信を一層、高める結果になったことは確かなようです。
いずれにせよ、国際法を無視して、タリバン兵士をキューバのグアンタナモ基地に拘束するなど、みずから人権侵害を行なっているアメリカに他国の人権侵害についてとやかくいう資格はありませんし、言ったとしても相手は聞く耳をもたないでしょう。
ゲイの人権については、アメリカにはまだ13もの州で同性愛行為を禁止する悪名高いソドミー法が存在します。
アメリカの政治家もアメリカのゲイ団体も、他国の同性愛者の弾圧をエラソーに非難する前に、まず自国に存在するこのような時代遅れの同性愛者差別の法律の撤廃に向けて努力すべきだと思いますね。
参照ウェブサイト:
Laila Lalami 、Al-Ahram Weekly、GayEgyptcom
by jack4africa
| 2008-04-22 00:07
| アラブ・イスラム世界