2008年 06月 20日
ゲイ・オリエンタリズム |
2005年7月に、イランのアフガニスタン国境に近い町、マシャッドで少年2人が同性愛行為を行った罪で公開の絞首刑に処せられたという大変ショッキングなニュースが飛び込んできました。
また2001年にも、エジプトのナイル河に浮かぶ船上ディスコでパーティーを開いていたエジプト人のゲイのグループが逮捕されるという事件が起っています。
このような事件が起るたびに、欧米のゲイ団体は、イラン政府やエジプト政府を激しく非難するキャンペーンを展開しますが、
私自身は、死刑になったイランの少年を可哀そうに思い、逮捕されたエジプト人に同情はしても、欧米のゲイ団体に同調して、イラン政府やエジプト政府を声高に非難する気にはなれません。
過去に欧米列強がアラブ・イスラム圏でおこなってきたことを考えると、はたして西洋人(あたり前ですが、欧米のゲイ団体の主要メンバーは西洋人です)にイスラム教徒の「蛮行」をエラソーに批判する資格があるのかという当然の疑問が湧いてくるからです。
そもそもキリスト教とイスラム教は、ユダヤ教と共に、同性愛をはじめとする非生殖目的のセックスを罪悪視する、預言者アブラハムの系統の「アブラハムの宗教」と呼ばれる同じグループに属する宗教です。
ただし、歴史的にいって、西欧キリスト教圏では、同性愛が厳しく弾圧されたのにひきかえ、アラブ・イスラム圏では、同性愛を禁じるイスラムの教えにもかかわらず、同性愛行為自体は社会的に許容され、
『アラビアン・ナイト』に描かれているような、女色と男色を同等に扱うバイセクシュアル文化が存在しました。
そして、そのようなアラブ・イスラム圏の性習俗を「人間の自然に反する、不道徳な、口にするのもはばかられる悪習」と激しく断罪してきたのはほかならぬ、イギリス人を筆頭とする西洋人だったのです。
19世紀のビクトリア朝に最盛期を迎えた大英帝国は、アラブ・イスラム圏を含む非西欧地域の植民地化に乗り出します。
そして、これら地域の支配者となったイギリス人は、その地域の住民に、同性愛を含むすべての非生殖目的の性行為をタブーとするビクトリア朝の禁欲的な道徳観念を押しつけたのです。
ナイル河の船上ディスコでのエジプト人ゲイの逮捕事件をその発端から追い続け、エジプト政府を激しく非難し続けているGayEgypt.comというイギリスに本拠を置くインターネットのサイトがあります。
このサイトの運営者は、エジプトで最初に同性愛を禁止する法律を提案したのは、エジプトを植民地にしたイギリス人であったという事実を知っているのでしょうか。
エジプトだけではありません。イギリスは植民地にしたすべての地域の住民に同性愛を禁じる自国の法律を押しつけたのです。
これらイギリス植民地の多くは、独立後もそのままイギリスに押しつけられた法律を受け継ぎました。
香港では1991年になってやっと同性愛が刑罰に対象からはずれましたが、インドやシンガポール、フィジー、ケニア、マラウィ、ジンバウェなど旧英国植民地では、いまだにそのような時代遅れの法律が存続しています。
西洋のキリスト教圏とアラブ・イスラム圏の交流の歴史で、もうひとつ忘れてはならない重要な歴史的事実が存在します。
それは、欧米でホモフォビアの嵐がもっとも激しく吹き荒れ、同性愛者がもっとも厳しく弾圧された19世紀から20世紀半ばにかけて、欧米の同性愛者たちが故国で禁じられた快楽を味わうために旅立った先は、イスラム圏の北アフリカであったという事実です。
『モーリス』や『インドへの道』などの作品で知られる、同性愛者のイギリス人作家、E. M. フォスターは、エジプトのアレキサンドリアで、市電の車掌をしていたエジプト人の若者と出会って恋に落ちました。
フランス人の作家で同性愛者のアンドレ・ジイドは、アルジェリアで、やはり同性愛者であったイギリス人作家、オスカーワイルドの手ほどきを受けて生まれてはじめて、アルジェリア人の少年相手に禁断のセックスを体験します。
ジイドは、そのときの感動を書き残していますが、イスラム教徒のアルジェリア人たちは、同性愛者のジイドを故国のフランス人のように変態扱いせず、暖かく迎え入れて、セックスの相手まで務めたのです。
1950年代から60年代にかけて、モロッコのタンジェールには、ホモフォビアの強い保守的なアメリカを逃れてやってきたホモセクシュアルとレスビアンのカップルである作家のポール・ボウルズとジェーン・ボウルズや、
同じく同性愛者のアメリカ人作家、ウィリアム・バロウズが住みつきました。(「地の果ての夢、タンジール」を参照)
彼らを訪ねて、アレン・ギンズバーグやテネシー・ウィリアムズ、トルーマン・カポーティなどの同性愛者の詩人や作家がタンジェールまでやってきて、タンジェールは、さながらアメリカの同性愛作家たちの梁山泊の趣を呈したといわれています。
これらビートニク世代のアメリカの作家たちは、タンジェールで思う存分、男とドラッグに耽溺するという、故国では味わえない自由を満喫したのです。
ここで注意すべき点は、この間も変わらず、西洋のキリスト教徒は、イスラム教徒を、禁じられた悪徳に耽る堕落した人々として非難し、軽蔑し、嘲笑していたということです。
パレスチナ人の批評家、エドワード・E・サイードは、このようなオリエント(東洋)とそこに住む人間であるオリエンタル(東洋人)にたいする西洋人の偏見に満ちた身勝手な見方を1978年に刊行した著書『オリエンタリズム』で厳しく批判しています。
サイードは、その著書の中で「ヨーロッパ文化は、ヨーロッパの代替で、隠された一部でもあるオリエントを、みずからとまったく異なる存在と規定することで、その力とアイデンティティーを獲得した」と語っています。
これを同性愛の文脈にあてはめて、私なりに言い換えると、「西洋人は、みずからの内部に存在するものの、それが存在することを認めたくない悪習=同性愛を、アラブ人に特有なものであるとみなし、みずからはそのような悪習とは無縁の存在であると規定することで、アラブ人に対して道徳的優位に立ち、アラブ・イスラム圏を植民地として支配することを正当化した」ということになります。
しかも、上記の欧米の同性愛者の作家たちの例に見られるように、西洋人は口ではアラブ・イスラム圏に存在する同性愛の習俗を非難しながら、こっそりとアラブ・イスラム圏に出かけて行って、現地の人間相手に西洋では許されない悦楽に耽っていたのです。
このような西洋人の東洋にたいするダブルスタンダードは、現在もなお、至るところで見うけられます。
たとえば、同性愛のテーマからは少しはずれますが、今から10年以上前、イギリスのロングマン百科辞典に、「バンコクは売春婦の多い町である」との記述がなされ、タイ国民が憤慨するという騒動が起りました。
たしかにバンコクは売春婦の多い町ですが、その事実をわざわざ辞書に記載するところに、イギリス人がタイに対して抱く悪意と偏見、蔑視の感情がよく表れています。
その一方で、タイには毎年、イギリス人を含む多くのヨーロッパ人観光客がセックスツアーで訪れ、タイ人の売春婦(夫)を買っているのです!
このような西洋人の東洋に対するダブルスタンダード(自己欺瞞)の例を見聞きするたびに、私はサマーセット・モームの短編小説『雨』に描かれたアメリカ人宣教師の話を思いだします。
彼は、同じ船に乗り合わせた身持ちの悪い若い女の行状を厳しく非難し、彼女を悔い改めさせるために熱心に説教しているうちに、その性的魅力に負けて、肉体関係をもってしまうのです。
この偽善的なアメリカ人宣教師を「西洋」に、宣教師に説教される身持ちの悪い女を「東洋」に置き換えると、西洋が東洋に対して道徳的優位に立って、東洋を支配するという、サイードの批判する「オリエンタリズム」の構図にぴったりとあてはまります。
サイードはまた前記の著作で、「オリエンタリストというのは書く人間であり、東洋人(オリエンタル)は書かれる人間である」と述べています。
ここでいうオリエンタリストとは、西洋人の東洋学者や東洋専門家をいい、彼らは東洋人をみずからを表現することのできない哀れな人種であるとみなし、「東洋人に代わって」、オリエンタリストが東洋、並びにそこに住む東洋人についての作品や記事を書くという歴史が連綿として続いてきたというのです。
当然のことながら、そのようにして西洋人によって書かれた東洋に関する著作には、東洋と東洋人に対して西洋人がもつ偏見や無理解、差別意識を反映する記述が数多く見うけられ、
そのようにして書かれた膨大な量の東洋に関する著作が総体として、東洋人が西洋人と比較してすべての面で劣っていることを「証明」し、西洋人が東洋を政治、文化、経済、等のあらゆる面で支配する根拠を与えることになった、とサイードは主張しているのです。
このような状況を現在の世界の同性愛文化の状況にあてはめて考えてみた場合、オリエンタリストに相当するのが、欧米のゲイ団体です。
インターネットには欧米のゲイ団体が運営するウェブサイトが多数、存在しますが、それらのサイトを見ると、欧米のゲイ活動家が、欧米だけでなく、非欧米地域の同性愛者が置かれた状況にも強い関心を抱いていることがよくわかります。
しかし、これら欧米のゲイ不団体の関心はもっぱら、その国の法律で同性愛が禁止されているかどうか、その国で支配的な宗教の指導者が同性愛を容認しているかどうか、
さらにはその国に欧米流のゲイリブ団体が存在するかどうか、等の欧米流のゲイリブ運動の進捗の度合いを示す政治的状況に向けられています。
反対に、前回の「ソタディック・ゾーン」で私が述べたような、エジプトをはじめとするアラブ・イスラム圏やメキシコなど中南米のラテンアメリカ諸国に優勢なバイセクシュアル文化など、その国や地域に固有の性文化に対する欧米のゲイ団体の関心は低いようです。
たとえば、欧米のゲイ団体は、冒頭で取り上げたイランでの同性愛行為を理由にした少年の処刑や、エジプトでの同性愛者グループの逮捕などの事件には敏感に反応し、これらの国の政府の同性愛者に対する「弾圧」を激しく非難します。
しかし、私がこのブログで何度も繰り返し述べているように、アラブ・イスラム圏では、イスラムの教えで同性愛が禁止されているにもかかわらず、またイランやエジプトの事件のように時おり「見せしめ」的に同性愛者の逮捕や処刑がおこなわれるにしても、
同性愛の慣習そのものは広く一般に浸透していて、社会的にも許容、黙認されているという現実には、あえて目を向けようとしません。
さらに、かって欧米で同性愛行為が法律で禁止されていた時代に、欧米の同性愛者たちが北アフリカに渡って、禁断の快楽を味わったように、現在では、若さを尊ぶ欧米のゲイの世界で相手にされなくなった、多くの欧米人のホモの老人が、
タイなどと並んで老人差別の少ない北アフリカに出かけて行って、現地の若者相手にセックスを楽しんでいるという事実についても完全に目をつむっています。
法律面に限っても、欧米のゲイ団体は、現在の非欧米地域の国々の多くに存在する同性愛を禁止する法律が、前述したように、かってこれらの国々が英国の植民地であった時代にイギリス人によって押しつけられたビクトリア朝時代の法律をそのまま受け継いだものであるという事実には口をぬぐっています。
欧米のサイトにも、Global Gayz.com のような、世界各地の同性愛事情や同性愛文化を紹介するサイトは存在しますが、そのようなサイトでは必ず、現地の同性愛事情や文化は、欧米のゲイリブ的価値観のフィルターを通して紹介されています。
たとえば、Global Gayz.comのメキシコの項では、まず最初にメキシコの地方の小都市に住む「伝統的なメキシコの道徳観念に忠実なメキシコ人」の同性愛者の男性が紹介されています。
彼は独身で、家族と同居し、同性愛者であることは家族や親しい友人以外には公表せず、同性愛者として行動するのは週末にゲイバーやゲイディスコに行くときだけです。セックスの相手は一定せず、一人の男と一緒に住んで生活を共にするなどという考えは、彼の頭には浮かびません。
次にメキシコシティーに住む「新しい西洋的な意味でのゲイのカップル」が紹介されます。共同でレストランを経営している彼らは、センスの良いインテリアの高級アパートで同棲し、自分達がゲイであることを周囲に公表し、メキシコシティーのゲイ・コミュニティーで、ゲイの友人たちとの社交を楽しんでいます。
ここに込められたメッセージは明らかです。「伝統的なメキシコの道徳観念に忠実に生きる同性愛者の男性」は時代遅れで、「新しい西洋的な意味でのゲイのカップル」こそが、メキシコの同性愛者の若者が模範とすべき未来の姿であるというものです。
この同じサイトのエジプトの項では、まず最初にやはり「イスラム社会の伝統に忠実に生きる」エジプト人の同性愛者が紹介されます。
彼は専門的な職業をもつ50歳の男性で、結婚していて3人の子供がいます。そして24歳のハンサムな若者と付き合っています。
彼は妻との結婚生活よりも、若者との恋愛の方に情熱を感じていますが、妻と離婚する気はありまません。
自分は同性愛者である前に一人のエジプト人であり、イスラム教徒であり、夫であり、子供たちの父親であると考えているからです。
次に同性の恋人を見つけるためにネットの出会い系サイトに書き込みをして、警察のオトリ捜査にひっかかって逮捕されてしまったアレキサンドリアに住む同性愛者の大学生が紹介されます。
彼は刑務所で看守や囚人仲間に性的な虐待を受けますが、両親の尽力でなんとか釈放されます。現在は通常の大学生活に戻っていますが、エジプトで同性愛者として生きていくむつかしさを感じています。
ここでもメッセージははっきりしています。エジプトでは、同性愛者たちは、隠れホモとして、ひっそりと用心深く生きていくことはできるものの、いったん自分が同性愛者であると主張するとすぐに逮捕されてしまうような過酷な状況に置かれている、というものです。
エジプト人が欧米人とは比較にならないくらいホモセックスに寛大な国民で、エジプト政府による「同性愛者に対する弾圧」を欧米ゲイ団体が激しく非難している現在もなお、
毎年、多数の欧米人ゲイツーリストが休暇でエジプトを訪れ、エジプト人相手にホモセックスを楽しんでいるという周知の事実は、ここでもまた無視されています。
このGlobalGayz.comというサイトは、サイードのいう「東洋人(非西洋人)の後進性に対するヨーロッパ(欧米)の優越を繰り返し主張し、より自立的に、より懐疑的に物事を考えようとする人物が異なる見解をとる可能性を踏みにじってしまう」欧米人特有の主観を世界に向かって喧伝し、押しつけるサイトになっているのです。
イランの2少年の処刑の写真を入手して、最初にネットで公表したイギリスのゲイ団体 OutRage は、イランを「野蛮なイスラム・ファッショの国」と口汚く罵っています。
しかし、イギリスでも19世紀まで同性愛者に対する死刑が執行され、その頃のイギリス人は、ペルシャ人(イラン人)を含むイスラム教徒を、同性愛を含む悪習に染まった堕落した民族であると厳しく非難していたのです!
現在でもアメリカのキリスト教右派は、イスラム教は、預言者モハメッド自身、男色をおこなっていた、同性愛と分かちがたく結びついた宗教であると攻撃しています。
過去と現在、ゲイ団体とキリスト教右派では言っていることは正反対ですが、批判する側が常に西洋人で、批判される側がイスラム国家に代表される東洋とイスラム教徒に代表される東洋人であるという図式は一貫して変わっていません。
西洋による東洋の政治的、経済的、文化的支配を正当化するために、つねに西洋を東洋に対して道徳的に優位な立場に置くというこのオリエンタリズムの思想は、主義主張に関係なく、過去から現在へと変わりなく連綿と続いているのです。
参照URL:www.gayegypt.com www.globalgayz.com
参照文献:オリエンタリズム、エドワード・W・サイード、平凡社
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by jack4africa
| 2008-06-20 00:31