2008年 07月 22日
可視化という幻想 |
ゲイリブがよく口にする言葉に「可視化」という言葉があります。
「目に見えない存在である同性愛者を目に見える存在にする」というような意味で使われているようですが、人間にとって究極のプライバシーに属する個人の性的嗜好をなぜわざわざ他人に対して顕示しなければならないのか、よく理解できません。
そもそもアダムとイブの昔から人類は、性というものを隠すべき事柄とみなしてきました。
アフリカやアマゾン奥地の裸族を除いて、世界中の殆どの人間は、他人の目に触れる場所では、自分の局所を布なので隠してみせないようにしています。
殆ど全裸に近いニューギニアの首狩り族の男性も「コテカ」という筒状のペニスケースで性器を覆い、コテカを外した姿を見られるのは非常に嫌うそうです。
当然のことながら、性行為も他人の目に触れない密室などで、当事者だけで行なわれます。
バンコクのゴーゴーバーのファックショーのような見世物を除けば、フツーの人間は人前で恥ずかしくてセックスなどできないのです。
このような性に対する人間の羞恥心はどこから来たのかよくわかりませんが、世界共通のもので、そのような羞恥心を持たない人間はどこの社会でも破廉恥な人間として非難の的になりますし、日本では人前で性器を露出したりしたら猥褻物陳列罪に問われることになります。
日本のゲイパレードがマスコミによって一切、報じられず、結果として世間から完全に無視されているのは、女装姿や裸で練り歩くパレードの参加者の姿が一般の人間の目には猥褻に映ることをマスコミが知っているからでしょう。
一般人の目には、子供が見たらショックで泣き出したり、ひきつけをおこすようなグロテスクな女装やレザーパンツがまったく似合わない上半身裸のデブは、小学校の通学路の木陰に隠れて、通りかかった小学生の女の子に自分のイチモツをみせつけて、女の子が驚いたり、嗤ったりする姿をみて興奮を覚える露出狂のヘンタイと同類にしか見えないのです。
その結果、いくらゲイリブがパレードを行なって自分達の存在を「可視化」しようとしても、日本人お得意の「見てみぬふりをする」という高等テクニックによって「見なかったこと」にされてしまうのです。
しかし、同性愛者が「可視化」されないこと、つまり、一般国民から注目されないことで、われわれ同性愛者が得をしていることは沢山、あります。
例えば、ホモ相手の売り専は、売春防止法の対象にはなっていません。
売春防止法は女性による売春を防止する法律で、男性による売春を想定しておらず、その結果、ホモ相手の男性による売春は、売春防止法や風営法の規制の対象にはならないのです。
また「有料ハッテン場」や「ヤリ部屋」などと呼ばれるホモ相手の乱交施設も野放し状態で、いかなる法規制の対象にもなっていませんが、これも世間一般の同性愛者に対する関心の薄さゆえでしょう。
ゲイリブは二言目には「同性愛者の権利」を叫びますが、権利には当然のことながら義務や責任が伴います。
もし社会に対して同性愛者の存在を認知すること、つまり同性愛者の「可視化」を要求するのであれば、その当然の帰結として、
現在は「可視化」されていない売り専バーや有料ハッテン場を「可視化」して、女性による風俗営業と同様に、これらの施設を法規制の対象にすることも受け入れなければならないでしょう。
特にHIV感染の温床になっている有料ハッテン場については、HIV予防の観点からいってなんらかの規制が必要と思われます。
現在、日本のHIV感染者・エイズ患者は累計で約1万5000人に達していて、その6割から7割を男性同性愛者が占めています。
HIV感染者の治療費&薬代は年間、一人当たり250万円かかるそうで、20代で感染して40年間、治療を続けると仮定すれば、治療費の総額は1億円に達します!
もちろん、健康保険制度のお陰で、患者は全額を負担する必要はないのですが、それだけ国庫の負担を強いることになります。
患者の自己負担額が少ないことに加えて、日本ではエイズ患者が障害者に認定されて障害者年金を受給し、さらに生活保護まで受けている事実があります。
現在、日本では少子化が問題になっていますが、われわれホモは大多数が結婚せずに生涯、独身を通すことから、次の世代の日本を支える子供を作って育てるという社会的責任を果たせないでいます。
唯一、われわれホモができる社会的な貢献は、仕事を通じた貢献ですが、まともに仕事もせず、セックスすることが仕事であるかのように有料ハッテン場に入り浸り、コンドームを使用しない危険な性行為に耽って、
HIVに感染したどうしようもない連中が、高額の医療費を国に負担させる一方で、障害者の認定を受けて障害者年金を受け取っていたり、あの手この手で生活保護を受けて、のうのうと暮らしている事実を一般国民が知ったらどう思うでしょう。
ゲイリブのいう「同性愛者の可視化」によって、このような実態もまた一般国民の目に晒されることになるのです。
最近、ロクに出勤もしないで給料だけを受け取っている同和部落出身の公務員や、日本国民でないにも関わらず、生活保護を受けていたり、掛け金を納めていないのに年金を受け取っている在日韓国人・朝鮮人の存在が問題になっていますが、
これは、部落解放同盟や朝鮮総連などの部落や在日の団体が差別の解消や人権を旗印に行政に圧力をかけて、部落民や在日のための様々な優遇措置を獲得してきた結果です。
そのお陰で、部落民や在日朝鮮人・韓国人の生活水準は上昇したようですが、このような「逆差別」によって、一般国民の彼らに対する差別意識や偏見はかえって強まったように思われます。
日本のゲイリブ団体は、このような部落団体や在日団体の手法を真似て、同性愛者を「差別される少数者」又は「社会的弱者」と定義して、同性愛者のための優遇措置を行政から勝ち取ることを目論んでいるようですが、
そのような運動が「成功」した場合に待っているのは、現在、部落民や在日が受けているのと同じ一般国民によるバッシングでしょう。
少なくとも、部落民や在日の場合は、結婚や就職に際して不利になるなどの差別が過去に存在したことは事実で、その差別と闘うために運動が起こった必然性は理解できます。
しかし、大した差別も受けていない同性愛者が被害者面して同性愛者のための特別優遇措置を要求したりすれば、部落民や在日よりもずっと強い批判に晒されることになるのは目に見えてます。
その結果、現在、日本には存在しないゲイバッシングが起こる可能性も考えられますが、そうなった場合、一番、喜ぶのは「サベツ」が飯の種になっているゲイリブ活動家たちでしょう。
これまでも存在もしない差別を存在すると言い張って、様々なマッチポンプや捏造を行なってきた連中ですから、これでやっと日本でも欧米並みに同性愛者が差別されるようになったと泣いて喜ぶんじゃないでしょうか。
しかし、少数者利権などに関心を持たずに真面目に働いて生活しているわれわれフツーのホモは、その巻き添えを喰って一般国民の憎悪や偏見に晒されることになるのです。
地道に働いてまっとうな生活をおくっている部落や在日の人間が、一部の非常識な仲間のために偏見の目で見られて苦労しているのと同様のことがわれわれ同性愛者の身にも降りかかってくるのです。
それを考えると、日本で同性愛者が「可視化」される日が一日でも遅くなることを祈らざるを得ません。
by jack4africa
| 2008-07-22 00:04
| ゲイリブという幻想