
自分の性的嗜好について日頃、考えていることや世界の同性愛文化の比較、世界の男色習俗の紹介、旅行記、大好きなアフリカ大陸や映画の話 by jack4africa
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フランス人の見た日本人の切腹
男歌・女歌
芭蕉とその弟子
徳川五代将軍綱吉と寵臣柳沢吉保
裏の垣根はマラだらけ
なぜ日本でゲイリブの運動が成功しなかったのか
森鴎外「ヰタ・セクスアリス」
スリランカのビーチボーイ
モンマルトルのゲイサウナ
タイの休日(6)
切腹は日本特有の自殺方法ですが、初めて切腹自殺をしたのは、平安時代末期の武士で、保元の乱で勇名を轟かせた弓の名手、鎮西八郎為朝こと源為朝(みなもとのためとも)であるといわれています。
この頃は、切腹は敵に捕縛され、斬首されることを避けるために行う自決の一種に過ぎなかったそうですが、
その後、時代が下がるにつれて、武士にとって名誉ある自殺方法であると考えられるようになります。
その理由を『武士道』の著者、新渡戸稲造は、
「腹部には人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされた」
と解説しています。
切腹は、室町時代からは自殺のほかに、処刑(死刑)の方法としても採用されるようになるのですが、切腹は自分で自分の腹を切ることから、
同じ死刑でも、斬首(ざんしゅ)や磔(はりつけ)よりも名誉ある死とみなされたそうです。
また江戸時代初期には、主君が亡くなった場合に家臣が後を追って殉死することが流行し、この場合の切腹を追腹(おいばら)と呼んだといいます。More
▲ by jack4africa | 2012-05-15 00:36
日本の歌謡曲には男歌、女歌というジャンルがあります。
女性歌手が男言葉を使って男心を唄うのが男歌、男性歌手が女言葉を使って女心を唄うのが女歌で、前者の代表としては美空ひばりの「柔」、後者の代表としては森進一の「女のためいき」を挙げることができます。
このようなジャンルの歌は日本の歌謡曲に特有のもので、欧米ではみられないといいます。
欧米では女性歌手が歌っている曲を男性歌手がカバーする場合、歌詞を男性が歌っているように修正し、女性歌手が男性歌手の曲をカバーする場合は、女性が歌っているように修正するのだそうです。
つまり、欧米の場合は、歌っている歌手の性別と歌の内容が合致しているわけです。
欧米では男と女の境界がきっちりと分かれているので、男性歌手が女のふりをして女心を切々と唄ったりしたら、即、ゲイのレッテルを貼られてしまうのでしょう。
実際、欧米ではゲイバーの余興で女装した男性が口パクで女性歌手の持ち歌を唄うのがお約束になっていますし、
洋の東西を問わず、ホモ(ゲイ)がカラオケで女性歌手の持ち歌を唄いたがる傾向があるのも事実です。 More
▲ by jack4africa | 2012-05-11 00:01
「奥のほそ道」で有名な江戸時代前期の俳人、松尾芭蕉(1644‐1694)には男色趣味があったことが知られています。
そのため、一部のゲイリブのライターなどは当時の男色文化と現代の同性愛文化を意図的に混同して、「芭蕉は同性愛者だった!」みたいなことを書いていますが、
芭蕉を含め、この時代に男色行為に耽っていた人間を「同性愛者」と呼ぶのは適切ではないと思います。
同時代の井原西鶴の「男色大鏡」を読めばわかりますが、当時の日本では男色が盛行し、男同士のSEXは特別なことでもなんでもなく、殆どの男性が男色と女色の両方を楽しんでいたわけで、
芭蕉に内縁の妻がいたことからもわかるように、彼らは現在の同性愛者のように同性としかSEXできない種族ではなかったのです。
そもそも、当時の日本では(現在でも基本的に変わりありませんが)男色は趣味嗜好の一種としてみられていて、ゲイリブのいう「性的指向」のようなものではありませんでした。
梅柳さぞ若衆かな女かな 芭蕉
上の句は若衆の凛々しさを梅に女子のたおやかさを柳になぞらえた句ですが、男女両性の色香を愛でたこの時代の雰囲気をよく表しています。 More
▲ by jack4africa | 2012-05-08 00:01
歴代徳川将軍の中で男色好きで有名なのは、三代将軍家光と五代将軍綱吉です。
初代将軍家康、二代将軍秀忠、そして四代将軍家綱にも美少年の寵童がいたことが知られていますが、
男色将軍というと必ず家光と綱吉の名前が挙がるのは、この二人が特別、男色に耽溺したからです。
家光のごときは男色に耽るあまり女色を疎かにし、世継ぎが中々、生まれず、周囲をやきもきさせたといいます。
綱吉の場合は、男色だけでなく女色も好んだといわれていますが、どちらかといえば、女性については世継ぎを作る道具とみなし、真の寵愛は美少年に注いだといわれています。
綱吉はその生涯で、名前が知られているだけで36人の美童を寵愛したそうですが、その多くの美童の中で特別な寵愛を受けたのが柳沢吉保です。
彼は綱吉に寵愛されることで、一介の小姓から将軍の側用人に取り立てられ、綱吉の側近として幕府内で権勢を振るい、晩年は甲府15万石を領し、松平姓を許される老臣の地位まで登り詰めたのです。 More
▲ by jack4africa | 2012-05-01 11:40
若い頃、外国に10年ほど住んだあと、日本定住を決意して帰国してまもなく、東京新宿の牛込柳町の交差点でフンドシ一丁の裸で歩いている中年男を目撃してショックを受けたことがあります。
アフリカやニューギニアの奥地ならともかく、この文明国の日本で白昼堂々、裸で大通りを歩いている人間がいるとは思わなかったのです。
あとでわかったのですが、その日は近くの神社の祭りの日で、その裸男は神輿を担いだ帰りだったのです。
深沢七朗の小説「因果物語」によると、明治になって裸体で外出することが禁止されるようになるまで、昔の日本の庶民の男たちは夏の暑いときなどフンドシ一丁で歩き回っていたそうです。
当時は美人を形容する決まり文句として「裏の垣根はマラだらけ」という言葉があったといいます。
たとえば、旅芝居などで座がしらが、
「エー、これからお目にかけますのは『赤穂浪士』のうち、裏の垣根はマラだらけと言われる祇園、一力の美人舞子初菊と大石主税の悲恋物語でございます」
などと口上を述べたそうです。
初菊という女は大層、いい女だったそうで、近所の若い男たちは夕方、仕事を終えると初菊の家に彼女を見にやってきたといいます。 More
▲ by jack4africa | 2012-04-24 00:07
最近、日本ではゲイリブの運動はすっかり下火になり、ゲイリブ活動家を自称する人間もめっきり減ってきています。
大変、けっこうなことだと思いますが、ここらへんで、なぜ日本でゲイリブの運動が成功しなかったのか、その理由を整理して考えてみたいと思います。
私は日本でゲイリブの運動が成功しなかった理由は大別して2つあると思っています。
第一の理由は、欧米と日本の文化の差を完全に無視して、欧米のゲイリブの運動をそのままの形で日本に輸入しようとしたことです。
このブログで何度も繰り返し指摘しているように、欧米のゲイ差別の根幹にはキリスト教があります。
欧米で同性愛差別が激しいのは、欧米で優勢な宗教であるキリスト教が同性愛を禁じているからです。
敬虔なキリスト教からみれば、同性愛者は神の教えに背く背教者で、地獄に堕ちてもしようがない人間なのです。
そのため、彼らはキリスト教保守派から徹底的に攻撃され、差別されます。
「同性愛やめますか、それとも人間やめますか」
といった感じで人格まで否定され、社会で生きる場を失くしてしまうのです。
欧米のゲイたちはこのような状況に耐えかねて、「自分たちもまた人間だ」と主張するためにゲイリブの運動を起こしたのです。 More
▲ by jack4africa | 2012-03-27 07:23
森 鷗外(1862 – 1922)は、夏目漱石と並ぶ明治の文豪として知られていますが、本職は軍医で、軍医総監まで出世したエリートでした。
1909年に発表した自伝的小説「ヰタ・セクスアリス」(ラテン語で「性生活」の意)では、自身の幼年時代からの性体験について率直に語っています。
本人は青少向けの啓蒙の書として書いたつもりだったみたいですが、卑猥な小説とみられ、掲載した雑誌は発禁処分になったそうです。
今、読むと十分に抑制された文章で、卑猥な箇所などまったくないのですが、当時は、性的な事柄をテーマにしただけでも発禁になったみたいです。
鴎外は、1862年(文久2年)、島根県の代々藩主の御典医をつとめる家に生まれます。
郷里で過ごした幼年時代の性にまつわる思い出としては、近所の家に遊びに行ってそこのおばさんに春画を見せられたとか、近所の女の子とお医者さんごっこをして遊んだとか他愛のないものですが、
1872年(明治5年)、10歳のときに父と共に上京し、ドイツ語を教える私立学校に入学、そこで初めて性の洗礼を受けます。
ただし、相手は女ではなく、男でした。
当時、東京の学生の間では男色が流行していて、少年の鴎外は上級生から性の対象として見られ、誘惑されるのです。 More
▲ by jack4africa | 2012-03-13 00:01
私は旅行好きで、世界各地を旅していますが、スリランカは特別、期待はずれで、ツマラナイ国だったという印象が残っています。
何が気に入らなかったというと、そのビンボー臭さでした。
ビンボーであるということと、ビンボー臭いということは同じではありません。
たとえばインドはビンボーな国ですが、ビンボー臭くはありません。
スリランカはビンボーであると同時にビンボー臭い国でした。
どういうところにビンボー臭さを感じたかというと、たとえば、首都のコロンボの空港に着いてタクシーでコロンボのダウンタウンに向かったとき、
1月といってもかなり暑く、運転手に車のエアコンをつけてくれるように頼んでのですが、燃費を節約するためか、つけようとしないのです。
タイやベトナムではエアコンが効きすぎて文句をいうことが多いのに反対です。
あとビーチリゾートのヒッカドゥワのホテルに泊まったとき、何泊かしたあとホテルをチェックアウトして、ホテルの前で待機していたオートリキショーに乗って町に行こうとしたとき、
ホテルの従業員が血相を変えて飛び出してきて、「あなたの部屋のタオルがない!」と叫ぶのです。 More
▲ by jack4africa | 2012-03-02 00:00
パリ20区のモンマルトル界隈、特にモンマルトルの丘の西麓のピガール地区は、東京でいえば浅草みたいな猥雑な歓楽街になっていて、ストリップ劇場や売春婦のたむろするバーやアダルトショップが集まっています。
私は日本で生きているレズを見たことは殆どありませんが、このモンマルトルで2回ほどフランス人のレズのカップルを目撃したことがあります。
1組はモンマルトルのカフェでみたカップルで、刈り上げた銀髪を綺麗に七三に分け、仕立の良い紺の縞のダブルのスーツに身を包んだ、
ジャン・ギャバンみたいな貫禄のある初老の男装の女性が、美しく着飾った若い美女を傍らに侍らせて葉巻を吸っていました。
もう1組は、モンマルトルの通りを歩いているとき、道を聞かれたオートバイに乗っていた若い女性のカップルで、お揃いのヘルメットにお揃いの黒の革のつなぎを着た彼女たちは二人ともとてもカッコ良かったです。
日本ではレズにはブスが多いそうですが、私がパリで見かけたレズは美人ばかりでした。
70年代後半、このモンマルトルに1軒のゲイサウナがありました。
当時、パリのゲイバーはパリ2区の東京銀行の支店があったサンタンヌ通りに集中していたのですが、ゲイサウナはパリ市内のあちこちに散在していました。 More
▲ by jack4africa | 2012-02-28 00:01
翌日は日曜日だったので、昼2時過ぎにGGクラブに行ったのですが、客は少なかったです。
とりあえず、30代半ばのタイ人と一発ヤッてから食堂に行って、昨日と同様、カオパットとシンハビールで昼食。
その後、中庭に行って椅子に座って日光浴してました。
ここサムセンは、バンコクの中心からそれほど離れていないのですが、とても鄙びた雰囲気のところです。
たとえば、この近辺では、バンコク市内では最近、殆ど目にしなくなったトゥクトゥクがまだけっこう走っています。
このサウナも全体にのんびりしていて、バンコク市内のサウナのように殺気立ったところがありません。
いつも、カラオケルームから脱力感を誘うタイの歌謡曲が流れていて、それを聴きながら、ボケーッと日光浴をしていると、自分はこういう時間を持つためにタイに来てるんだな、としみじみ感じます。
午後4時頃から客が来はじめましたが、中年ばっかりで若い客は少なかったです。 More
▲ by jack4africa | 2012-02-03 01:09
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