2009年 06月 09日
今東光と谷崎潤一郎の男色談義(1) |
今東光(1898-1977)は、勝新太郎主演で映画化された「悪名」など河内を舞台にした小説で有名な作家で、天台宗の僧侶でもあり、人生相談の回答者として毒舌を振るう「毒舌和尚」として人気のあった人ですが、
彼の絶筆になった作品で、若き日の文学青年時代を回顧した自伝小説「十二階崩壊」では、当時、私淑していた作家の谷崎潤一郎 (1886-1965) と男色談義を交わす箇所が出てきます。
この「十二階崩壊」は、主として20代前半の東光の女性遍歴が描かれていて、男色について語っている部分は全体からみればほんの一部なのですが、
明治から大正にかけての日本の男色風俗の一端を窺い知ることができる面白いエピソードがいくつか書かれてあるのでここに紹介します。
今東光はそこそこ裕福な家庭の子供として生まれるのですが、素行不良で何度も中学を退校になり、結局、中学中退のまま、画家を志して上京。
耽美的な小説で名を馳せていた新進の流行作家、谷崎潤一郎と知り合い、彼に心酔。谷崎の私設秘書を自称して、当時、横浜に住んでいた谷崎家に頻繁に出入りするようになります。
谷崎は頭の回転が早く、話が面白い東光を可愛がり、執筆に飽きると、東光と雑談して楽しむのですが、あるとき突然、東光に、
「君の中学時代にお稚児さんなどの騒ぎはなかったかい」
と訊いてきます。
お稚児さんとは明治から大正にかけて学生の間で流行していた男色でウケ役を務める年下の少年をいいます。
東光は、
「中学時代は(男色を)盛んにやりました。同級生だけで三人、下級生は美少年の限り手当たり次第でした」
と答えています。
東光が神戸の関西学院中学に通っていた頃の話で、懐にドスを忍ばせて上級生と下級生の稚児を争ったこともあるそうで、
稚児になる少年は上級生にも平気で向かっていく自分のようなケンカの強いタイプを好むのでよくモテたと自慢しています。
関西学院中学はミッション・スクールなのですが、不良少年だった東光は、キリスト教にかぶれて「プラトニック・ラブ」の重要性をしたり顔で説く教師に反発し、
級友を集めて「なにがプラトニック・ラブだ!俺たち若者に与えられた特権は処女膜を破ることだ!」などと演説して、女と遊ぶことをけしかけます。
すると早速、それを実行にうつした級友が現れるのですが、驚いたことに彼は東光のお稚児さんだった三人の同級生のうちの一人でした。
東光に可愛がられるのが好きな女のようにおとなしい彼が女とヤッたときいて東光はびっくりするのですが、詳しく訊いてみると、東光も彼の家に遊びに行ったときに顔を見知っているお菊という名前の女中とヤッたというのです。
お菊は、東光の同級生より三つか四つ年上で処女ではなく、故郷の村の盆踊りの晩に村の若い衆の何人かに押さえつけられてヤラれたことがあるそうで、初めての女とのセックスで緊張してすぐにイッテしまった彼を、
「意気地なし、そんなんで女を喜ばせられるかい!」
と罵倒したといいます。
それで彼は東光に向かって、
「僕な、お菊とするより、君に可愛がってもらう方が好えわ。せやさかいにお菊は君がやったって」
と頼みます。
暇さえあれば女のように東光に甘え、後ろからアヌスに入れてもらいたがる彼は、やっぱり女とのセックスには興味をもてないというのです。
それで東光は、彼の親が留守のときをみはからって彼の家に行き、女中のお菊を押さえつけて犯します。
彼が傍らで見物させて欲しいというので、彼の目の前でお菊を全裸にひん剥いてヤッてみせたそうですが、お菊がびっくりするほど大きなヨガリ声を挙げてのたうちまわるので見ていた彼はシュンとなってしまったそうです。
お菊とヤッたあと、今度は同級生の彼を裸にしてそのバックを犯していると、お菊がむずかって、
「厭ア。厭ア。厭やア。わても、わても」
と裸の二人に絡みついてきたのが強烈に印象に残っていると東光は回想しています。
谷崎潤一郎の悪魔主義的な小説に傾倒していた東光にとって、このような反道徳的な行為を犯すこと、とりわけキリスト教的モラルを踏みにじることは大きな快感だったのですが、
当然のことながら、学校当局から風紀を乱す生徒として睨まれ、学校を退学になってしまいます。
ただし、今東光は谷崎潤一郎に、
「女を知ったら、瘧 (おこり) が落ちたように男色に対する興味を失ってしまいました」
と語っています。
しかし、それにしても、この「十二階崩壊」が出版された1978年は、戦後もだいぶ経った時期なのに、今東光が若い頃の男色体験を実にあっけらかんと語っているのが印象的です。
今東光と同世代で彼の親友だった川端康成も晩年の小説「少年」で、若き日の同性愛体験を懐かしい思い出として語っていますし、この世代の日本人にとって男色は恥ずべき行為ではなかったことがよくわかります。
ちなみに「少年愛の美学」の稲垣タルホは、関西学院中学で今東光の2年下級生で、今東光に殴られたことがあり、そのことを生涯、恨んでいたそうです。
今東光の方は殴ったことを覚えていないといっていたそうですが、下級生の美少年は全員、喰ったという東光の言葉が本当ならば、タルホ少年は美少年ではなかったのかもしれません。
東光自身は、晩年の坊さん姿からは想像もできないほどの大変な美少年だったそうです。
続く
「昔の日本人」
by jack4africa
| 2009-06-09 00:01

