2009年 09月 08日
河口慧海「チベット旅行記」(1) |
河口慧海(かわぐち えかい)(1866-1945) は、仏典の原典に一番近い形態を持つといわれるチベットの経典を求めて、日本人で初めてチベットに入った仏教の僧侶です。
彼がチベット行きを志した明治時代の半ば、チベットは鎖国していて、外国人の入国を厳しく禁止しており、無理に入国しようとすると殺されることもあったといいます。
そのため、慧海のチベット行きには、反対の声が強かったのですが、彼はその反対を押し切って、明治30年 (1897)、31歳のときに日本を出発します。
まず最初に彼が向かったのはインドで、カルカッタに上陸したあと、チベット国境に近い、チベット人の多く住むヒマラヤ山麓の町、ダージリンに赴き、そこに一年ほど滞在して、チベット語を学びます。
その後、ネパールに入り、チベット国境に近い山村に滞在して、チベット潜入の機会を窺いますが、ネパールとチベットを結ぶ公道には、関所が設けられていて、外国人とわかると入国を拒否されるため、間道を通るしかありません。
それで、一流の登山家でも躊躇するといわれる7000メートル級の峻険な峰々が連なるヒマラヤ山脈を越えてチベットに入ることに決め、
道案内の男を一人連れただけで、ヒマラヤに挑み、高山病に苦しみ、大量の血を吐きながら、ついにチベット潜入に成功します。
日本を発って3年目のことでした。
慧海は、聖地巡礼のためにチベットにやってきた中国人の僧侶に身をやつし、まず最初に目的地のラサとは反対方向の聖地、カイラス山を目指します。
カイラス山を巡ったあとは、ラサを目指して旅を続け、途中、強盗に遭って金を盗られたりしながらも、なんとかラサまで辿り付きます。
そしてラサ郊外のラマ教寺院、セラ寺の付属の大学に入学して、修学僧としてチベット仏教を学びはじめるのですが、
あるとき、腕を脱臼して苦しんでいる少年僧がいたので、彼の腕を引っ張って治してやったら、チベット人に驚かれます。
当時のチベットには骨接ぎの技術がなかったというのです。
さらに漢方の心得のあった慧海は、ラサの中国人経営の漢方薬の店で買った薬を調合して病気の僧侶たちに与えるのですが、それが不思議と効き目があり、
あっという間に名医の評判を取り、ラサの貴族まで病気になると彼の元に訪れるようになります。
そしてついにその名声はダライ・ラマ法王の耳にまで達して、法王に謁見することになるのです。
このとき慧海が謁見したダライ・ラマは、現ダライ・ラマ14世の先代の13世で、そのとき26歳。慧海にいわせると、なかなか利かん気な顔をしていて、宗教的思想よりも政略的思想に飛む人物だったそうです。
ダライ・ラマは当初、純粋な宗教的指導者だったのですが、5世のときから政教一致で政治的権力を握るようになり、その結果、宗教家としてだけでなく、政治家としての能力も身につけるようになったといいます。
実際、現在のダライ・ラマ14世にしても、1959年にインドに亡命して以来、半世紀にわたって、たった一人で、国際世論を味方につけて、中国政府とわたりあってきたわけで、その政治手腕は超一流です。
慧海はまた、ダライ・ラマ13世は、自分を守る思想にも大変、富んでいる人物だったと語っています。
実は、8世から12世までの5代の法王は全員、25歳になる前に毒殺されているのです。
なぜ毒殺されるかというと、法王になる人間は、仏の化身であるためか、子供のときから帝王教育を受けるためか、聡明な人間が多く、
腐敗した近臣たちが、法王が直接、政治を取り仕切ると甘い汁を吸うことができなくなるのを恐れて毒殺するのだそうです。
ダライ・ラマ13世も、何度も毒殺される危険に遭いながらも、そのたびにその陰謀を見破って生き抜いてきたそうで、それだけ頭の良い、用心深い人物だったということになります。
このダライ・ラマ法王ですが、チベットでは、代々、同じ人物が転生してなると信じられています。
法王がなくなってしばらく経つと、神のお告げがあって、どこそこの村の何某という男の家に行くと、生まれ変わりの子供がいるといわれるそうで、
行ってみると、実際に男の子がいて、その男の子に亡くなった法王が生前、愛用していた品物を見せて、それを当てさせるテストをして、そのテストに合格すると新しいダライ・ラマに認定されるそうです。
しかし、慧海によると、有力な貴族が神のお告げを受ける僧侶にワイロを贈って、自分の子供をダライ・ラマをはじめとする身分の高いラマの生まれ変わりとして指名させるようなことがよく行なわれていたそうです。
現在のダライ・ラマ14世は、実際に貧しい農家の生まれだそうですが、慧海の口振りからすると、彼はこの転生の話は信用していなかったみたいです。
その後、慧海は、奥さんの病気を治したことがきっかけで、前大蔵大臣の知遇を得、その兄である高僧と出会うのですが、
この人はチベットで最高の学識をもつ僧侶で、慧海はこの高僧に師事して、チベット仏教の真髄を学ぶことになります。
というように慧海のチベットでの生活はかなり順調に進展して行くのですが、あるとき、ラサの町で、ダージリンに住んでいたときに知っていたチベット人の商人にばったり出会います。
そのチベット人の商人は慧海が日本人であることを知っていて、彼が口を滑らせたお陰で、慧海の正体が商人の友人のチベット人に露見してしまいます。
このままラサに居れば、日本人であるという噂が広まり、身分を偽ってチベットに入った罪で投獄されるだろうし、前大臣や高僧など自分を支援してくれた人たちにも迷惑がかかるだろう、
そう考えた慧海はチベットを脱出する決心をするのです。
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by jack4africa
| 2009-09-08 00:06

