2009年 09月 22日
シモーヌ・シニョレ |
英語教師から女優になりますが、ユダヤ人で、第二次大戦中、フランスがドイツに占領されていたときは、ユダヤ人であることを隠して女優をしていたそうです。
初期の代表作には、セルジュ・レジアニと共演した「肉体の冠」(1951)があります。
ベルエポックと呼ばれた20世紀初頭の古き良き時代のパリを舞台にした娼婦とヤクザな男の「粋な、粋な、粋な」(映画評論家の故淀川さんの口調)恋物語を描いた作品で、
監督はフランス映画の名匠、ジャック・ベッケル。原題は、キャスクドール (Casque d’or) で、直訳すると「黄金の兜」という意味ですが、
ブロンドの髪をアップにして高く結ったその髪型が兜を被っているように見えることから、「キャスクドール」というあだ名で呼ばれるようになった20世紀初めのパリに実在した娼婦を表しています。
このヒロインの娼婦マリーをシモーヌ・シニョレが演じているのですが、この作品は彼女が一番、綺麗だった頃に撮られた作品で、ルノアールの絵画から抜け出したような健康的で豊満な肉体の彼女の魅力が堪能できます。
特にセルジュ・レジアニ扮するヤクザから足を洗って大工をやっている若い男、ジョーとパリ郊外の屋外カフェで初めて会って、二人でダンスを踊るシーンは素晴らしく、ラストでも回想シーンに出てきます。
あとマリーのために殺人を犯してしまったジョーがギロチンで処刑されるのを見るために、マリーが処刑場を見下ろすことができる建物の屋根裏部屋に金を払って入り込み、愛する男の最後の瞬間を見守るシーンも印象的です。
このとき、カメラは処刑場の光景を映さず、屋根裏部屋の窓から処刑場を見下ろすマリーの姿だけを映すのですが、
恋しい男の最後の姿を目に焼きつけておこうとするかのように、カッと目を見開いたまま、瞬きもせずに、処刑の様子を見つめるマリーの表情には鬼気迫るものがあり、映画史に残る名場面になっています。
シモーヌ・シニョレは、最初のうちはこの「肉体の冠」も含めて娼婦役が多かったのですが、30代に入ると「嘆きのテレーズ」(1952)や「悪魔のような女」(1955)など悪女役が多くなり、
1958年に出演したイギリス映画「年上の女」ではアカデミー主演女優賞を受賞しています。
結婚は2回していて、最初の夫は映画監督のイブ・アレグレで、娘をもうけたあと離婚し、歌手で映画俳優のイブ・モンタンと再婚します。
モンタンは大変、女性にモテたプレイボーイで、シニョレは彼の浮気には随分と泣かされたようです。
一番有名なのはアメリカ映画「恋をしましょう」(1960)で共演したマリリン・モンローとの浮気で、シニョレはこのとき、自殺を図ったといわれています。
晩年、彼女が小難しいタイトルの自伝を出したとき(インテリなんです!)、早速、買って読んだのですが、一番、興味のあったのは、このモンタンとモンローの浮気のことがどう書かれているかでした。
自伝では自身の自殺未遂については触れていませんでしたが、夫とモンローのスキャンダルのことは「とにかく不愉快だった」と繰り返し書いています。
2人の浮気が世間に明らかになってから、「私の夫もブロンド女と浮気した」みたいな手紙が沢山きて、それもひっくるめて非常に不愉快だったと述懐しています。
プライドの高い女性だったから、安っぽい同情を寄せられるのが我慢できなかったのでしょう。
実はモンタンがモンローと一緒にハリウッドで「恋をしましょう」を撮影していたとき、シニョレも「年上の女」でアカデミー賞にノミネートされて、授賞式に出席するためにハリウッドにいて、そこでモンローと会っているのです。
当時、モンローは野球選手のジョー・ディマジオと結婚していて、モンタンとは同じイタリア系ということで意気投合して、ハリウッドでは夫婦ぐるみで仲良く付き合っていたといいます。
このとき、シニョレは見事、オスカーを受賞するのですが、モンローが随分と羨ましそうにしていた、とも書いています。
オスカーを受賞したシニョレは撮影がまだ残っているモンタンを残して先にフランスに帰国するのですが、そのあと直ぐにモンローとモンタンの浮気のニュースが流れるわけで、
シニョレにしてみれば、オスカー受賞という自分の女優人生で一番晴れがましい出来事が夫とモンローの浮気で台無しにされてしまったような気になったのかもしれません。
そのほか自伝に書かれているエピソードで印象に残っているのは、齢をとってからパリでタクシーに乗ったとき、初老の運転手がバックミラー越しに自分を見て、
「キャスクドールも老けたなぁ」
と独り言みたいにつぶやくのを聞いて、とても悲しい思いをしたという話です。
あとアンソニー・クイン主演の「その男ゾルバ」でギリシャ女優のリラ・ケドロヴァが演じた老女役は最初、シニョレに出演のオファーが来たそうで、
その出演依頼の電話を受けたとき、偶々、目の前のマントルピースの上に置いてあった自分が一番、綺麗だった若い頃の写真が目に入り、
その写真を見た途端、醜い老女役を演じる気がなくなって断ってしまったと告白しています。
彼女は決して正統派の美人ではなかったけれど、若い頃は目と目の間隔が開いた独特のチャーミングな容貌をしてましたから、中年になって醜く太ってしまった自分を受け入れるのに苦労したみたいです。
しかし、彼女の女優としての真価は、中年になってから発揮されたと思いますね。
独特のしわがれ声でぶっきらぼうに話す、無愛想だけど根は親切なパリの下町のおかみさん役なんかを演じさせたら天下一品で、彼女の右に出る者はいなかったし、その渋い個性は年齢と共に深みを増していったように思います。
85年にガンで亡くなりますが、モンタンとは最後まで離婚せずに添い遂げたようです。
左からシニョレ、モンタン、モンロー
肉体の冠
by jack4africa
| 2009-09-22 00:11
| 思い出の女優たち