2009年 09月 25日
ピグミー |

コンゴ河とその無数の支流の流域に広がる熱帯雨林はアフリカの密林の40%を占め、アフリカのアマゾンと呼ばれています。
コンゴ河の河口近くに位置する首都キンシャサから、コンゴ河上流に位置するコンゴ第二の都市キサンガニまで飛行機で飛んだとき、眼下に広がるうっそうとした緑のジャングルを見て、
もし飛行機がこのジャングルに墜落したら、絶対、発見されることはないだろう、と恐怖にかられたことを覚えています。
上空から眺める密林は、間違って迷い込んでしまったら、二度と生きて出ることのできない緑の迷宮のように見えたのです。
このコンゴ河流域の昼なお暗いジャングルに住む唯一の人間がピグミー族です。
ピグミー族は、アフリカ大陸に現存する数少ない狩猟採集民で、中央アフリカの赤道直下の熱帯雨林に住んでいますが、背が低いことで知られています。
私が観察したところでは、成人男性の平均身長が140cmくらい、成人女性の平均身長は130cmくらいしかありません。
しかし、彼らはほかの人種と較べて体格の面では劣っているものの、知能の面では劣っていません。
それどころかけっこう狡猾なところもある、かなり頭の良い連中です。
ガイドとしてピグミーの住む森に同行してくれたバンツー族の黒人によると、ピグミーの子供達を村の学校に入れたところ、バンツー族の子供達よりも良い成績をとったそうです。
ところが、1ヶ月も経たないうちに、ピグミーの子供達は全員、森の中に逃げ帰ってしまったといいます。
森の民、ピグミーは森の中でしか生きていくことができないのです。
森の中では、ジャングル沿いの集落にすむ農民のバンツー族の黒人に干渉されることなく自由に生きていくことができますし、森にはピグミーが狩猟、採集できる様々な動物や食用植物、蜂蜜などが豊富に存在します。
ピグミー達はそんな森の恵みをもたらしてくれる森の精霊を崇拝し、彼らに感謝しながら生きているのです。
ピグミー研究家として有名な文化人類学者、コリン・M・ターンブルは、ピグミーの歌を聴いて、ピグミーを研究する気になったといわれていますが、実際、ピグミーの歌は素晴らしく、その歌声の美しさはこの世のものとは思えません。
世界でピグミーの歌声に一番、近いのはおそらくウィーン少年合唱団のような少年だけで構成されている教会の聖歌隊の歌声でしょう。
コリン・ターンブルは若い頃、教会のオルガン奏者を務めていたそうですが、ピグミーの歌を聴いて、教会の聖歌隊が歌う賛美歌を思い出したのではないでしょうか。
実際、ピグミーの歌は、森の精霊に捧げるために歌われることが多く、一種の宗教歌といえなくもありません。
ピグミー達の歌はいつもコーラスになります。だれかが即興で最初の一節を歌うと、別の何人かが同じメロディーの節を繰り返し、
それに被せるようにまた別のグループが同じメロディーの節を繰り返し、それが何重唱ものコーラスに発展していくのです。
その高く澄み切った歌声は、森の木々に反響しながら、高い木々のこずえを突き抜けて天まで上っていき、森を天然のコンサートホールに変えてしまいます。
このピグミーの歌はターンブル達によって世界に紹介されて以来、世界の多くのアーティストに影響を与えています。
ハービー・ハンコックは彼の曲にピグミーのメロディーを取り入れていますし、あのマドンナ(!)も1994年発売の"Bedtime Stories”の歌の中でピグミーのくすくす笑いを真似しているそうです。
ピグミーは森の中の自然にできた空き地に、大体10数家族の単位で、木の枝で組んだ骨組みを大きな葉っぱで葺いた半球形の小屋を作って住んでいます。
ひとつの家族が1つずつ小屋を作るので、空き地にはこのような半球形の小屋が十数戸並び、ひとつの集落を形成しています。
ピグミーの集落あるいはグループには、酋長というものは存在しません。
集落の成員は全員、基本的に平等です。
ただし、男達は集団で狩りをするので、そのときには特別、狩猟の腕前に秀でた男が狩りのリーダーになります。
また老人達の中には、みんなの尊敬を集めている長老的な老人がいて、対外的な交渉では、狩りのリーダーと共にこの長老が集落のピグミーを代表します。
ピグミーの社会はジェンダーフリーではなく、男の役割と女の役割がはっきりと分かれています。
網を使って小型のカモシカの一種、アンチロープなどを捕獲するときには、女や子供も動物を追い立てる勢子として狩りに参加しますが、基本的に狩りは男の仕事で、
女の仕事は一般的な家事や育児に加えて、集落の近くの森で食用になる木の実やキノコ、野草などを探して採集することです。
男の役割と女の役割ははっきりと区別されていますが、男尊女卑というわけではなく、基本的に男女平等というか、むしろ日本と同様、女の方が強いという印象を受けました。
男達は毎朝、集団で槍や弓矢を手にして狩猟に出かけ、夕方、集落に戻ってくるのですが、獲物があったときは全員で大声で歌を歌いながら帰ってきます。
集落で男達の帰りを待っている女達は、男達の歌声が聞こえてくると、「お父ちゃん、今日は獲物がとれたんや!」と喜んで、いそいそと食事の支度を始め、男達が獲物と一緒に姿を現すと歓声をあげて出迎えます。
ところが、獲物がとれなかったときは、男達は歌を歌わず、押し黙ったまま無言で帰宅するのです。
そして女達は獲物を持たずに帰ってきた男達を完全に無視して、「お帰り」もいわないのです!
この仕打ちは男達にとって相当こたえると思いますね。
男というのは、狩りをして獲物をとってこそナンボのもので、獲物をとれない男なんてなんの値打ちもない、といわれているのと同じですから。
あるとき、2週間近く獲物がとれない日々が続いたことがありました。
その日の夕方も、男達は獲物がとれなくて、無言で集落に戻ってきたのですが、男達が戻ってしばらく経って、集落で一番の狩りの名手で、
狩りのときはいつもリーダーを務めるマヤニミンギの女房が自分の小屋の前で、地面を転げ回って号泣しはじめたのです。
いったい、なにが起ったのか、バンツー族の黒人のガイドに訊くと、マヤニミンギの女房は、「こんな長い間、獲物を一匹もとれない男を亭主にもって恥ずかしい。私は本当に不幸な女だ!」といって泣いているのだそうです。
マヤニミンギは集落で一番の狩りの名手で、狩りのリーダーでもあるので、マヤニミンギの女房としてはほかの女房達の手前もあって、亭主が獲物がとれないでいることが面目なく、悔しかったのでしょうが、
女房が地面に身体を打ちつけて泣いている傍らで、生まれてまもない3番目の子供を抱いて、憮然とした表情で焚き火の前に座っているマヤニミンギを見て、日本だけでなく、ピグミーの世界でも男でいることはたいへんだなあ、と同情したものです。
しかし、ときには獲物がとれない日々が続くことがあっても、ピグミーが素晴らしいハンターであることに変わりはありません。
ピグミーの男達は、「獲物をみつけたら、俺達は風のように早く走る」とよく自慢していましたが、彼らの狩りに同行したとき、それが嘘でないことがわかりました。
ピグミーは獲物が近くにいることが判ると、まったく音を立てずに獲物に接近して行きます。
森の中の地面には枯れ枝がいっぱい落ちていて、それを踏むとポキポキ折れる音がするし、地面を這っているつるに足をとられて転んでしまうことも多いのですが、ピグミーはそういうところでもまったく音を立てずに歩くことができるのです。
獲物がピグミー達の存在に気がついて逃げ出すと、ピグミーは全速力で追いかけます。
その姿は走るというよりは飛ぶという表現が似つかわしいです。
ピグミー達が走るのは障害物のない平地ではなく、樹木がうっそうと繁る密林なのです。
その密林の木々の間の狭いスペースを小柄な身体でくぐり抜けながら、まったく音を立てずにもの凄い速さで疾走するのです!
もし、オリンピックでジャングルの中を走る競技があれば、ピグミーが優勝することは間違いありません。
ピグミーはまたとても勇敢なハンターとして知られていて、あの小さな身体で、森の中に棲むゾウに槍だけで立ち向かい、仕留めるといわれています。
ジャングルに棲むゾウは人間と同様、草原のサバンナに棲むゾウと較べると小柄なのですが、それでも大きい動物であることに変わりありません。
その大きな動物をピグミー達がどういう風に仕留めるかというと、まず大勢でゾウを取り囲み、ゾウの後ろ脚を狙って集中的に槍を突き立てるんだそうです。
何本もの槍が突き刺さって傷ついたゾウの脚は自分の体重を支えきれなくなり、その場にしゃがみ込んでしまいます。
ピグミーはゾウがしゃがみ込むのを待って、ゾウの急所である鼻を切り取って、とどめを刺すのだそうです。
このようにして捕獲した動物の肉をピグミーはもちろん、自分達で食べるのですが、(彼らは食いだめができます!)、余った肉は焚き火の煙でいぶして燻製にして、バンツー族の農民が作る穀物と交換します。
ピグミーはこの物々交換のために常に外部と接触を保っていて、外部世界から完全に孤立して生きているわけではありません。
黒人であるバンツー族の農民とピグミーは一種の主従関係にあるといわれています。
バンツー族の農民は、ジャングルを開墾して作った農地で作物を育てているのですが、農民はみんな「自分のピグミー」を何人かもっていて、これらのピグミーとの間で独占的に物々交換、
つまり畑で作った穀物と動物の肉や蜂蜜など森の産物を交換する権利をもち、また農繁期には自分のピグミーを小作人として雇って、畑仕事を手伝わせる権利をもっているとのことです。
しかし、ピグミー研究家のコリン・ターンブルによると、ピグミーは農民から穀物を得るために表面的に彼らに従属している振りをしているだけで、本心ではバンツーの農民を馬鹿にしていて、彼らの命令にはちっとも従わないのだそうです。
私の経験からいっても、これは事実だと思いますね。
ピグミーは束縛を嫌う、根っからの自由人で、他人に隷属するような不自由な生活に彼らが耐えられるとは到底、思えません。
事実、ピグミー達は、バンツー族の農民に従う振りをして、必要な穀物を手に入れるとすぐに森の中に戻ってしまい、次に穀物がなくなるまで森から出てこようとはしないのです。
この森の中に住んでいるということは、ピグミーにとって生存のための大きな武器になっています。
バンツー族の黒人達は、森の中には悪霊がいると信じていて森の中に入りたがりませんし、またなんらかの理由で森に入ったとしても、ピグミーの助けなしには生きていけません。
現在、コンゴ民主共和国では内戦が続いているそうですが、ピグミー達は、ジャングルの中に隠れて無事に生き延びていると思います。
コンゴ動乱と呼ばれた60年代の独立直後の内乱のときにも、ピグミー達はそうして難を逃れたのです。
実際にコンゴ北東部のウガンダとの国境に近いイトゥリの森で、ピグミー達と一緒に暮らしてみると、森の中の生活は思ったよりもずっと快適で楽しいものでした。
森の中は、高さが数十メートルにも達する高い木々のこずえが天蓋のように地上を覆い直射日光を遮っているので、赤道直下であるにもかかわらず、けっこう涼しく、
きれいな水が流れている小川がそこかしこにあって、生活に必要な清潔な水に不足することもありません。
朝、起きてテントから出ると、ピグミーの女達が食べ物を煮炊きするために起こした焚き火から煙が上がっていて、男達は狩猟に出ていないときには、植物のつるで作った狩猟用の網のほころびを繕ったり、
丸太で作った台の上に、フンドシにする樹脂をたっぷり含んだ樹の皮を置いて、象牙で作ったトンカチで叩いて引き伸ばしています。
その傍らでは男の子たちが、父親に作ってもらった弓矢で狩りの真似事をして遊び、女の子は赤ん坊の小さな弟か妹を抱いてあやしています。
象牙のトンカチのカンカンいう音、子供達の笑い声、赤ん坊の泣き声、様々な生活の音に満ちている集落の雰囲気は平和そのもので、本当に別世界でした。
コリン・ターンブルは、ピグミーの仲間入りをするために、眉間にナイフで傷をつけ儀式を受けたそうですが、私はわざわざそんな真似をしてピグミーになる必要はありませんでした。
私自身、生まれつき背の低いピグミーでしたから(笑)
実際、冗談でなく、ピグミーと一緒にいるときは、自分の同類といるような気安さを感じました。
彼らは体形だけでなく、気質も日本人に似ているのです。
一見、子供っぽく、軽薄なところがありますが、けっして馬鹿ではなく、それどころかけっこうしたたかで、抜け目がないところとか・・・
日本人の祖先は縄文時代には森の中で生活していたそうですが、私は日本人のルーツを遡れば森の民、ピグミーに行きつき、欧米人のルーツを遡れば、砂漠の遊牧民、トゥアレグに行きつくのではないかと考えています。
ただし、ピグミーのアレはけっこうデカイです!
一度、先端が折れて尖った木の枝が太ももの付け根に突き刺さって怪我をしたピグミーの男の傷の手当をしたことがあるのですが、
怪我した箇所にヨードチンキを塗るために木の皮のフンドシを解かせたところ、意外とデカイものがゴロリと横たわっていました。
それは日本人の平均サイズよりもはるかに大きく、黒人の平均サイズに近いモノでした。
あとピグミーには独特の強い体臭があります。
黒人の体臭も強いですが、ピグミーの体臭はそれよりももっと強く、アンモニア臭の混じった独特の臭いがします。
バンツー族の黒人はこのピグミーの体臭を「森の匂い」というロマンチックな言葉で呼んでいますが、実体はロマンチックとはほど遠い臭いです。
ピグミーと1ヶ月半ほど一緒に森で生活したお陰で、私にもその臭いがうつってしまい、ピグミーと暮らしたあと、首都のキンシャサに戻り、
飛行機でアフリカ大陸を横断してケニアに行ったのですが、ケニアで会った日本人に「クサイ、クサイ」といわれました。
それまで当然のことながら、ちゃんとしたホテルに何泊もして、西洋式のバスタブで何度も身体を洗っていたにもかかわらずです。
結局、この臭いがとれるまで(クサイといわれなくなるまで)1ヶ月ほどかかりました。
念のためにいっておきますが、ピグミーとヤッたから、彼らの体臭がうつったわけではありません!
彼らと一緒に生活し、同じものを食べているうちに自然と彼らと同じ体臭になってしまったのです。
最初、会ったときはただのコビトにしか見えなかったピグミーも、一緒に生活していくうちに徐々にその背の低さが気にならなくなり、それと同時に彼らが精神的な面だけでなく、
肉体的にも魅力的な人種であることが判ってきましたが、体臭も含めてけっして清潔とはいいかねる人達だったので、彼らとSEXするという考えはまったく頭に浮かびませんでした。
ピグミーの住むイトゥリの森の周辺に住む農民のバンツー族とは、ピグミーと森での生活を始める前にしばらく滞在していたエプルーという村で付き合いがありました。
この村は、キサンガニとウガンダの国境を結ぶ街道沿いにあり、コリン・ターンブルがピグミー研究の基地にしていたことで知られています。
村には質素なホテルが一軒あり、そのホテルの隣が酒場になっていて夜毎、賑やかなリンガラ・ポップスが流れ、村人や街道を通るトラックの運転手や彼らの相手をする売春婦達で賑わっていました。
バンツー族の黒人達が踊るのはコンゴダンスと呼ばれる独特のダンスで、上半身は手で軽くリズムをとるだけで殆ど動かさず、下半身をグラインドさせながら踊るのです。
このダンスを男と女が向き合って踊るのですが、腰のグラインドが性行為を象徴していることは明らかで、普通の人間が真似をすると猥褻な踊りになってしまうのですが、
彼ら彼女達は猥褻になる一歩手前のぎりぎりのところで踏みとどまって非常に優雅にかつセクシーに踊るのです。
私もこの腰の振り方を真似してみましたが、簡単なようでいて難しく、結局、ギブアップしてしまいました。
バンツー族は子供でもこのダンスを器用に踊るのですが。
村に滞在している間は毎晩、この酒場でビールを飲んで踊って楽しいときを過ごしました。
昼間はグターッとしてロクに仕事もしない連中が、夜になると見違えるほど活き活きしてビールを飲みながら明け方まで踊るのです!
週末だけでなく平日も毎晩、これを繰り返すので昼間、仕事ができなくても当然という気がしましたが、それでも彼らを非難する気にはなれませんでした。
それどころか、陽気なリンガラ・ミュージックにあわせて楽しそうに踊る彼らを見ていて、「ああ、この人達は働くためにこの世に生まれてきたんじゃないんだ。踊るために生まれてきたんだ!」と羨ましく思ったことを覚えています。
これまで世界中、あちこち旅行しましたが、本心から「一生、住みたい!」と思ったのはこの村だけです。
by jack4africa
| 2009-09-25 00:10
| アフリカの記憶

