2010年 02月 26日
杖の頭:スーダン鉄道の旅(2) |
イギリス人のポールは30代半ばで職業は画家、アメリカ人のリッキーは20代半ばで職業はピアニストだと自己紹介しました。
二人はロンドンで知り合ったそうですが、ポールの伯母さんが死んで遺産が入ったので、世界一周旅行をしているのだそうです。
彼らはまず最初にロンドンを立って、ヨーロッパ大陸に渡り、シベリア鉄道に乗って日本まで行ったそうですが、ポールが奈良で赤痢にかかり、2週間、病院に入院したといいます。
「入院してたとき、病室のベッドにリッキーと二人で裸で入っていたら、それを見た日本人の看護婦がクスクス笑うんだヨ」
ポールはおかしそうにいい、日本人の看護婦が口に手を当てて笑う仕草を真似してみせます。
男が二人、スッポンポンの裸でベッドにいれば、そりゃ笑うでしょう。
日本を旅行した後、東南アジアとインドを回り、インドのモンバサから船に乗って南アまで行って、陸路、ジンバウェまで北上してから、飛行機でエジプトのカイロに飛び、ナイルを遡ってスーダンまで来たそうで、
これからヨハンと同じルートを通って南アに戻り、南アから船で南米のアルゼンチンに渡って、そのまま真っ直ぐアメリカ大陸を北上し、ニューヨークまで行ってからロンドンに戻る予定だといいます。
しかし、長旅の疲れが出たのか、それとも日本で赤痢に罹ったせいか、ポールはずっと体調がすぐれない日々が続いているそうです。
実際、ポールは痩せて、顔色も悪かったです。
そんなポールを年下のリッキーは甲斐甲斐しく世話していました。
リッキーはとてもハンサムな青年で、一度、Tシャツを着替えるために上半身、裸になるのを見ましたが、肉体労働ではなく、ジムで鍛えたことが一目でわかる、均整の取れたきれいな身体をしていました。
彼に、
「あなたはアメリカ人には見えない。イギリス人に見える」
といってやると、
「みんなにそういわれるんだよ」
と嬉しそうな顔になりました。
ポールは、身の回りの世話はすべてリッキーに任せて、ソファに座ったまま、ジンバウェの草原で拾ったという木の枝の先端に小刀でしきりとなにやら彫っています。
その木の枝を杖にするそうで、杖の頭の握りの部分の彫刻を彫っているのだそうです。
どんな彫刻を彫っているのか、手で隠しているのでよく見えないのですが、小刀で少し削っては。紙やすりを丁寧にかけて、愛しそうに自分の頬に擦りつけたりしています。
「編み物をしているおばあさんみたいだろ」
と自嘲気味にいいますが、もっと不気味な感じが漂っていました。
それでも、ポールは教養があって、大変、物知りで、退屈な汽車の旅の間、いろいろと面白い話をしてくれました。
特によく覚えているのは、イタリアの映画監督のルキノ・ヴィスコンティはインポテンツで、ピエル・パゾリーニは早漏だという話でした。
ポールは、それが二人の映画の場面から想像できるといい、様々な場面を例に挙げて解説してくれましたが、その解説には非常に説得力がありました。
ご存知のようにヴィスコンティもパゾリーニも男色家で、ヴィスコンティがインポになるのも、パゾリーニが早漏になるのも、女性相手ではありません。
そんな話に釣られたのか、ヨハンが、
「自分はゲイではないけど、ゲイに対して偏見を持っていない」
と前置きしてから、カイロで風呂に入ろうと思って、ハンマームと呼ばれる公衆浴場に行ったところ、中で男同士がサカッているのを見てビックリしたという話をしました。
「そのハンマームはカイロのどこにあるんだい?」
ポールの目がキラリと光りました。
「タハリール広場でした」
カイロのハンマームでハッテンできるという話を聞いたのはこれが最初でした。
スーダンの旅を終えたあとカイロに戻って、早速、タハリール広場に行って、ハンマームを探したのですが、
タハリール広場にあるというのは、ヨハンの勘違いで、実際にその手のハンマームがあるのは、ハーン・ハリーリであることが判りました。
このへんの経緯は、「カイロのハンマーム」に書いています。
ヨハンは、それ以外にも、エジプトでは男たちのセクハラに悩まされたそうで、ルクソールでは、大部屋の沢山、ベッドが並んでいる安宿に泊まったら、
一晩中、同じ部屋に寝ていた男たちが次から次へと自分のベッドにやってきて口説くので、一睡もできなかったといってました。
ヨハンは特別、イケメンという程でもなかったのですが、エジプト男にとっては、白人の若い男というだけで、十分、性的にそそられるのかもしれません。
杖の頭:スーダン鉄道の旅(3)へ
「世界OTOKO紀行」の目次に戻る
二人はロンドンで知り合ったそうですが、ポールの伯母さんが死んで遺産が入ったので、世界一周旅行をしているのだそうです。
彼らはまず最初にロンドンを立って、ヨーロッパ大陸に渡り、シベリア鉄道に乗って日本まで行ったそうですが、ポールが奈良で赤痢にかかり、2週間、病院に入院したといいます。
「入院してたとき、病室のベッドにリッキーと二人で裸で入っていたら、それを見た日本人の看護婦がクスクス笑うんだヨ」
ポールはおかしそうにいい、日本人の看護婦が口に手を当てて笑う仕草を真似してみせます。
男が二人、スッポンポンの裸でベッドにいれば、そりゃ笑うでしょう。
日本を旅行した後、東南アジアとインドを回り、インドのモンバサから船に乗って南アまで行って、陸路、ジンバウェまで北上してから、飛行機でエジプトのカイロに飛び、ナイルを遡ってスーダンまで来たそうで、
これからヨハンと同じルートを通って南アに戻り、南アから船で南米のアルゼンチンに渡って、そのまま真っ直ぐアメリカ大陸を北上し、ニューヨークまで行ってからロンドンに戻る予定だといいます。
しかし、長旅の疲れが出たのか、それとも日本で赤痢に罹ったせいか、ポールはずっと体調がすぐれない日々が続いているそうです。
実際、ポールは痩せて、顔色も悪かったです。
そんなポールを年下のリッキーは甲斐甲斐しく世話していました。
リッキーはとてもハンサムな青年で、一度、Tシャツを着替えるために上半身、裸になるのを見ましたが、肉体労働ではなく、ジムで鍛えたことが一目でわかる、均整の取れたきれいな身体をしていました。
彼に、
「あなたはアメリカ人には見えない。イギリス人に見える」
といってやると、
「みんなにそういわれるんだよ」
と嬉しそうな顔になりました。
ポールは、身の回りの世話はすべてリッキーに任せて、ソファに座ったまま、ジンバウェの草原で拾ったという木の枝の先端に小刀でしきりとなにやら彫っています。
その木の枝を杖にするそうで、杖の頭の握りの部分の彫刻を彫っているのだそうです。
どんな彫刻を彫っているのか、手で隠しているのでよく見えないのですが、小刀で少し削っては。紙やすりを丁寧にかけて、愛しそうに自分の頬に擦りつけたりしています。
「編み物をしているおばあさんみたいだろ」
と自嘲気味にいいますが、もっと不気味な感じが漂っていました。
それでも、ポールは教養があって、大変、物知りで、退屈な汽車の旅の間、いろいろと面白い話をしてくれました。
特によく覚えているのは、イタリアの映画監督のルキノ・ヴィスコンティはインポテンツで、ピエル・パゾリーニは早漏だという話でした。
ポールは、それが二人の映画の場面から想像できるといい、様々な場面を例に挙げて解説してくれましたが、その解説には非常に説得力がありました。
ご存知のようにヴィスコンティもパゾリーニも男色家で、ヴィスコンティがインポになるのも、パゾリーニが早漏になるのも、女性相手ではありません。
そんな話に釣られたのか、ヨハンが、
「自分はゲイではないけど、ゲイに対して偏見を持っていない」
と前置きしてから、カイロで風呂に入ろうと思って、ハンマームと呼ばれる公衆浴場に行ったところ、中で男同士がサカッているのを見てビックリしたという話をしました。
「そのハンマームはカイロのどこにあるんだい?」
ポールの目がキラリと光りました。
「タハリール広場でした」
カイロのハンマームでハッテンできるという話を聞いたのはこれが最初でした。
スーダンの旅を終えたあとカイロに戻って、早速、タハリール広場に行って、ハンマームを探したのですが、
タハリール広場にあるというのは、ヨハンの勘違いで、実際にその手のハンマームがあるのは、ハーン・ハリーリであることが判りました。
このへんの経緯は、「カイロのハンマーム」に書いています。
ヨハンは、それ以外にも、エジプトでは男たちのセクハラに悩まされたそうで、ルクソールでは、大部屋の沢山、ベッドが並んでいる安宿に泊まったら、
一晩中、同じ部屋に寝ていた男たちが次から次へと自分のベッドにやってきて口説くので、一睡もできなかったといってました。
ヨハンは特別、イケメンという程でもなかったのですが、エジプト男にとっては、白人の若い男というだけで、十分、性的にそそられるのかもしれません。
杖の頭:スーダン鉄道の旅(3)へ
「世界OTOKO紀行」の目次に戻る
by jack4africa
| 2010-02-26 07:31