2010年 03月 30日
北欧の個人主義 |
若い頃、デンマークの首都、コペンハーゲンに住んでいたことがあるのですが、そのときに見聞きした北欧の個人主義について書いてみたいと思います。
「白夜」に書いたように、私はコペンハーゲンにいたとき、あるセルフサービスのチェーンレストランで皿洗いをしていました。
デンマークでは、セルフサービスのレストランは、客がカウンターに並んでいる料理や飲み物を自分で選んでプレートに載せ、レジまで持っていって清算するのは日本と同じですが、
料理を食べ終わったあとは、日本みたいに皿の載ったプレートをカウンターまで持っていかず、テーブルに置いたまま、出て行く仕組みになっていました。
そのため、皿洗いをする人間は、時々、厨房から出て、客室のテーブルの上のプレートを集めて厨房まで運ぶ必要がありました。
この作業を当時は「皿ひき」と呼んでいましたが、皿洗いの仕事には皿を洗うことだけでなく、この皿ひきの仕事も含まれていたのです。
レストランは、昼食の時間と夕食の時間は近所のオフィスで働くサラリーマンやOLが主な客になるのですが、それ以外の時間、特に昼食時と夕食時の間の午後の時間の客は、暇を持て余した老人の客が大半を占めていました。
老人たちは夏の間は公園のベンチで時間を潰すのですが、冬は寒いので戸外に居ることができず、レストランに入ってくるのです。
彼らはホームレスではなく、ちゃんとアパートに住んでいる老人で、アパートには当然、暖房が入っているのですが、それでも、レストランに来るのは、一人でアパートに閉じこもっているのが寂しいからでしょう。
老人たちは大抵、一杯のコーヒーで何時間も粘っていましたが、私が皿を引くために厨房から彼らのいる客室に現れると、彼らの間に緊張が走るのがわかりました。
私に追い出されるのではないかと恐れていたのです。
老人たちはみんな、カップの底にコーヒーをわずかに残し、カップのソーサーにスプーンの先をうつぶせにして引っかけていました。
これは、自分はまだコーヒーを飲み終わっていないという意味で、こうしておくと、基本的には、いつまでも居続けることができることになっているみたいでした。
それでも、コーヒー一杯で長時間、粘っていることに引け目があるのか、私を見るとおどおどした態度になるのです。
私は、基本的には、老人たちに無関心で、彼らが何時間、レストランに居座っても気にならなかったのですが、虫の居所が悪いときなど、わざと彼らの「飲みかけの」コーヒーカップを下げたりしました。
私がコーヒーカップを下げると、彼らはレストランを出ていかざるを得ないのですが、そんなとき、彼らは抗議せずに、とても悲しそうな目をして私を見るのです。
今から思うと随分と酷い仕打ちをしたものだと思いますが、あえて弁明させていただければ、私に対して卑屈な態度に出る老人たちにも問題があったのです。
彼らがもっと堂々として、たとえコーヒー一杯でも、自分は客なのだから、この店にいる権利があると主張すれば、私も彼らの飲みかけのコーヒーカップをテーブルに戻したでしょう。
しかし、彼らはそうせずにひたすら私を恐れ、いつ私がコーヒーカップを取り上げるかビクビクしていたのです。
テーブルに置いたコーヒーカップを前にして編み物をしているおばあさんもいましたが、彼女は私が傍を通りかかると、悪いことでもしているように、さっと編みかけの毛糸をテーブルの下に隠すのです。
まるで老人たちが囚人で、私が彼らを監視する看守みたいでした。
中には、私にゴマをする囚人、もとい老人もいました。
毎日、仕事の帰りに夕食を取りに来る若いOL風の客がいて、彼女はなぜか私と目を合わせると必ずニッコリ笑うので、私も会釈を返していたのですが、
あるじいさんの客は、その様子を見て、彼女が私に気があると勝手に決めこみ、彼女が来店すると、私が働いている厨房まで入ってきて、
「お前の彼女が来てるぞ!」
などと注進するのです。
彼はそんなふうにして私の機嫌を取ることで、私に気に入られ、長時間、レストランにいる権利(?)を得たいと考えていたようですが、
そんな余計なことをされると逆に意地悪したくなったものです。
一般のデンマーク人がやりたがらない皿洗いみたいな最底辺の仕事をしている東洋人の若僧に、なぜそこまで卑屈になって媚びへつらうのか、
私にはどうしても理解できませんでした。
もうひとつ理解できなかったのは、店にいる老人たちが互いに口をきかないことでした。
もし、これが日本であれば、毎日、同じ時間帯に同じ店に来る客同士、すぐに仲良くなり、同じテーブルに座って世間話に興じたりすると思うのですが、
老人たちは、ひとつのテーブルに一人ずつ座り、互いにまったく会話せず、押し黙ったまま、何時間も座っているのです。
彼らが一人暮らしのアパートを出て店に来るのは、人恋しいからであるに違いなく、それならなぜ、老人同士、打ち解けようとせず、無視し合うのか、不思議でしょうがありませんでした。
デンマークなど北欧に孤独な老人が多い理由のひとつは家族関係、特に親子関係が希薄なせいであることが、デンマークにある程度、住んでいるとわかってきます。
デンマークでは、子供が学校を出て仕事に就くと、親元から離れて別居するのが普通で、日本みたいにいい年齢をして親と同居するケースは例外的です。
そして、いったん子供が独立したあとは、互いに疎遠になり、しょっちゅう会うこともなくなるみたいです。
私が働いていたレストランに夜だけ働きに来るデンマーク人の女性がいました。
彼女は夫と離婚して4人の子供と一緒に母親のアパートに転がりこんでいる身の上で、母親は4人の孫たちが騒々しいと文句をいい、早くアパートを見つけて、子供たちと一緒に出て行くように彼女をせかすのだそうです。
それで彼女は一日も早く自分のアパートを見つけて引越しできるように、昼間の仕事が終わってから、またそのレストランでアルバイトしていたのです。
日本のサヨクの間には、昔から「北欧神話」が存在し、北欧では社会保障が発達しているから、老後は安心して暮らせるなどといいますが、
年金のお陰で最低限の生活は保障されても、配偶者を失くしたあとは、一人ぼっちで友人もいない孤独な老人が多いのです。
日本では、親子関係はかなり濃密で、祖父母との三世代同居世帯もまだけっこう残っています。
年老いた親の世話を子供がすることも多いのですが、北欧では、そのようなケースは稀で、その代りに社会保障が発達しているのです。
つまり、本来、子供がやるべき仕事を政府がやる仕組みになっていて、そのお陰で子供は親の面倒をみずにすむのですが、その代り、給料の半分は税金に取られるのです。
しかし、政府は老人に年金を支給しても、家族のように愛情を注ぎません。
その結果、孤独な老人が増えるのですが、その老人たちも若いときに自分の親を棄てているので、いくら孤独であっても、子供に頼る気はないようでした。
むしろ、前述した女性の話のように、子供や孫とべたべたするのを嫌う老人の方が多かったりするのです。
またデンマークは、寒くて陰鬱な冬が長く続くせいか、アルコール中毒の患者が多いことで知られています。
私がコペンハーゲン市内で借りていた部屋の家主は80過ぎのお婆さんで、デンマークではめずらしく、50代の独身の息子が同居していましたが、二人の関係はよくありませんでした。
息子はアル中で、仕事をせず、アパートの余っている部屋を貸し出して、その家賃だけで生活していたのですが、母親にしょっちゅう暴力をふるい、息子に殴られて床に伸びているお婆さんをよくわれわれ間借り人が見つけて介抱したものです。
あと私がデンマークの老人たちを見ていて不思議だったのは彼らの無趣味ぶりです。
日本の老人たちは、今はあまり流行っていないようですがゲートボールをしたり、山登りを楽しんだり、スイミングスクールで泳いだり、碁会所に通って囲碁を打ったり、植木をいじったり、俳句をひねったりと実に多趣味です。
ところが、デンマークの老人は夏は公園のベンチで、冬は暖房の入ったレストランの座席に座ってボーッと時間を過ごすだけなのです。
デンマークは生活水準は高いのですが、文化レベルはそれほど高くありません。
高等教育を受ける人間は少なく、義務教育も私がいた当時は日本よりも一年短い8年間で、大多数の人間は、8年の義務教育を終えると工場などで見習いとして働き始めるのが普通でした。
デンマークの老人が無趣味なのは、そういうことも関係しているのではないかと考えましたが、
日本で、実態を知りもせず、北欧がまるで理想の国であるかのように吹聴するバカ(大学講師なんかしてるフェミ女が多い)を見るたびに、
老人たちが互いに話しもせずに、沈黙したままじっと座っていた、あの寒々としたレストランの光景を思い出し、
日本の方が100倍もマシじゃないか! と思ってしまうのです。
by jack4africa
| 2010-03-30 00:00
| 海外生活&旅行