2010年 05月 25日
ロブサン・ランパ「第三の眼」 |
これは、私が中学生だった頃、夢中で読んだ本です。
著者のロブサン・ランパは、チベットの貴族の家に生まれたチベット人で、星占師の占いに従って、7歳のときに僧侶になるためにラサ近郊のラマ僧院に入ります。
僧院で厳しい修行を積むこと数年。彼は、特別に選ばれた人間にだけ許された「第三の眼」の開眼手術を受けることになります。
第三の眼というのは、普通、人間が持っている二つの眼とは別の3番目の眼で、この眼を使うと、両眼では見えない人間の内面を透視できるといわれています。
第三の眼を持っている人間は、人間が身体から発散するオーラを見ることができ、そのオーラの色によって、そのときの人間の感情や健康状態がわかるのだそうです。
例えば、高潔な高僧は金色のオーラを発散していますが、邪悪なことを考えている人間は身体中から黒いオーラを発散していて、怒りに燃えている人間のオーラの色は真っ赤になるそうです。
チベットの伝説によると、昔はすべての男女が第三の眼を使うことができたそうですが、そのことで人間が傲慢になり、神様に取って替わろうとしたので、
神様の怒りを買い、その罰として人間の第三の眼は閉じられてしまったそうです。
それでも、今でも生まれつき、第三の眼で見る能力を持つ人間が存在し、そういう人間に開眼手術を施すと普通の人間には見えない様々なモノが見えるようになるというのです。
ロブサン・ランパもそのような特別な能力を持つ人間の一人であると高僧により判定され、3人の高僧たちによって開眼手術を受けることになったのです。
寺院の小さな部屋で、座っているロブサンの額を一人の高僧が薬草で作った消毒液で消毒し、もう一人の高僧がロブサンの後ろに回って彼の身体を抱えるようにして押さえ、
3人目の高僧がU字状の尖った先端部を持つ、ハンドルの付いた鋼鉄製の器具を使って、ハンドルを回しながらロブサンの額に孔を開けていきます。
器具は、頭蓋骨の骨を砕いて奥深くまで穴を貫通させ、そのようにして開けた額の孔に銀色の詰め物をして、三週間ほど経ったらその詰め物を抜いて手術は終わります。
これで第三の眼が見えるようになり、最初の内は、会う人間がすべて身体から煙を出しているように見えて驚いたそうです。
その後、ロブサン・ランパはヒマラヤの山中で修行を続けるのですが、山中では彼が訪ねてくることを事前に知っていた千里眼を使うことができる修行僧と出会います。
その修行僧はロブサンの見ている前で空中に浮揚してみせたそうです。
またロブサンはヒマラヤ山中で雪男にも出会います。雪男は子ネコみたいにミューミュー鳴くそうです。
ヒマラヤでの修行を終えたロブサンは、ラマ(生き仏)になるための最後の儀式、「一度、死ぬ儀式」を受けます。
儀式を受ける場所はダライ・ラマの住むポタラ宮殿の地下深くに掘られてある石室で、そこでロブサンは全裸に金箔が貼られた3体の巨人のミイラと出会います。
ミイラの内、2体は男で身長が5メートルもあり、1体は女で身長は3メートルほどあったそうです。
古代、チベットにはこのような巨人たちが住んでいたというのです。
ロブサンはミイラたちの隣に横たわり、高僧に教わった調息法を使って、幽体離脱を行います。
自分の霊体が幽体から抜け出したとき、ミイラと共に横たわっている自分の身体が見えたといいます。
そのまま、ロブサンの霊魂は宇宙をさ迷い、気がついたら海岸に寝ていて、周囲には、巨人が沢山いて、自分もまた巨人になっていることに気がつきます。
アバターみたいですね(笑)
ロブサンは、海岸に面した、気候の温暖な土地だった古代のチベットに戻ったのです。
ヒマラヤ山脈は約5000万年前、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートが衝突し、海底の堆積層が隆起してできたといわれています。
その証拠にヒマラヤ山中では貝などの化石が見つかるそうです。
やがて、ロブサンは眼を覚まし、元の石室にいる自分を発見します。
この最後の儀式を終えたロブサンは、医学僧になるために中国に留学し、重慶の大学で医学を学びます。
留学中、日本と中国の戦争である日支事変が勃発し、ロブサンは志願して中国軍のパイロットになり、日本軍と闘うのですが、乗っていた戦闘機が日本軍に撃墜され、捕虜になってしまいます。
捕虜になった彼は酷い拷問を受けますが、ヒマラヤでの修行体験が役立って、拷問に耐えることができたそうです。
彼はいくつかの捕虜収容所を転々としたあと、最後には広島の捕虜収容所に入れられるのですが、1945年、広島に原爆が落とされ、そのどさくさに紛れて捕虜収容所を脱出します。
日本からウラジオストックに渡り、シベリアを横断してヨーロッパまで逃げたそうで、現在は英国に在住し、未登録医でありながら、第三の眼を使って病気の人々を治療を行っているということでした。
本の裏表紙に載っていたロブサン・ランパの写真はアーリア系の顔つきが気になるものの、眉間にはまごうことなき第三の眼である黒い孔が開いていました。
この本を読んだあと、学校で日教組の教師が、
「チベットは中共軍によって解放されて、ダライラマを初めとする貴族階級はチベットから逃げ出してしまい、ダライラマの住んでたポタラ宮殿は、労働者のアパートになってるそうだ」
と得々と語るのを聞いたとき、私の頭に真っ先に浮かんだのは、あのポタラ宮殿の地下深く眠る黄金の巨人のミイラはどうなったかということでした。
もし中国兵があのミイラを発見し、金箔を剥がすためにミイラを毀してしまったらどうしよう、といてもたってもいられない心地でした。
その後、20歳のときにインドを旅行した際、デリーの本屋でロブサン・ランパの本が沢山、平積みになっているのを目撃しました。
私が読んだのは「第三の眼」だけですが、ロブサン・ランパはほかにも同様の本を沢山、書いていて、それが欧米でベストセラーになっているとのことでした。
実際、インドで出会った欧米人のバックパッカーに訊いたら、みんな口々に「第三の眼」を読んだといっていました。
ロブサン・ランパの本は、当時の欧米のヒッピーの間で、バイブルのような扱いを受けていたのです。
チベット人、ロブサン・ランパが真っ赤な偽者で、正体は白人のアメリカ人であることが判明したという小さな記事を新聞の片隅に見つけたのは、いつのことだったでしょう。
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by jack4africa
| 2010-05-25 00:00