2010年 06月 13日
カンボジア熱々旅行(3) |
晩飯を食べ終わって、ホテルに戻ると、シュン君がフロントにいたので、早速、バスの予約をしたいというと困った顔になりました。
さっきの話ではすぐにでも予約できるみたいだったのが、予約は明日するというのです。
それで、とりあえず、バス会社の名前と出発時刻を教えてくれといったら、それも答えようとはしません。
シェムリアップ行きのバスなんていくらでもあるから、ひとつのバスに乗り遅れたら、次のバスに乗ればよいみたいなことをいいます。
そういうことじゃなくて、シェムリアップで予約しているホテルに出来るだけ早くバス会社の名前と出発時刻を教える必要があるのだと私はいいました。
シェムリアップのホテルを予約したとき、プノンペンからバスで行くというと、バスの停留所まで出迎えに行けるようにバス会社の名前と出発時刻が判った時点ですぐに知らせて欲しいといわれたのです。
そういうとシュン君は、
「そんなことあなたが心配しなくてもよい。シェムリアップのホテルにはわれわれの方から連絡する」
といいます。
しかし、プノンペンの空港でのピックアップをメールで頼んでいたにもかかわらず、忘れて迎えに来なかった彼らに心配しなくてもよいといわれても信用できません。
私はバスのチケットの手配をシュン君に頼んだことを後悔し始めました。
可愛さにつられて、彼に頼んでみたものの、彼が最後まで責任をもってちゃんとやってくれるか、確信を持てなくなってきたのです。
実は、日本を出発する前にネットでカンボジアを旅行した日本人女性の旅行記を読んだのですが、彼女もプノンペンからシェムリアップまでバスで行く計画を立て、
泊まっていた安宿のオーナーにチケットの手配を頼んだところ、出発ぎりぎりになってキャンセルされて、旅程が狂って迷惑したと書いていたのです。
それで自分もそうなったら困ると思ったのですが、シュン君が、
「明朝、あなたが朝食を取りにロビーに降りてきたときには、必ずチケットを手渡せるようにしておくから」
と力説するので、とりあえず、翌朝まで待ってみることにしました。
で、翌朝、ロビーに降りたら、案の定というか、シュン君の姿は見当たらず、その代わりにロビーの片隅に旅行会社のブースを見つけ、
そこにいた女性に訊いたら、10ドル払えば、その場でチケットを売ってくれるとのこと。
ホテルまでのピックアップサービスもあるとのことで、結局、彼女からチケットを買い、シェムリアップのホテルへの連絡も彼女が自分のケータイでホテルに電話してくれて、無事にすますことができました。
ということで、チケットはあっけなくゲットできたのですが、シュン君は私が彼を通さずにチケットを買ったことに腹を立てたらしく、その後、私と顔を合わすのを避けるようになり、
あわよくば彼を口説いて、部屋に連れ込むという私の目論見は、はかなくも崩れ去ってしまったのでした。
☆ セントラルマーケット
プノンペン2日目の今日は、プノンペン観光にあてることにしました。まず最初に向かったのはホテルの近くのセントラルマーケット。巨大なドーム型の建物の中に生鮮食品から宝飾品を売る店まで入っています。
10年ほど前までは、このマーケットでマリファナが堂々と売られていたそうですが、現在ではさすがにそういうことはないようです。
それにしても、湿気がすごい。カンボジアは3月から5月まで酷暑期で、現在は雨期に入っていますが、雨期といってもタイと同様、一日中、雨が降っているわけではありません。
その代わり、湿気がとても強く、ホテルからセントラルマーケットまで歩いていって、マーケット内を一回りしてから、またホテルまで歩いて戻ってきたときには、着ていたポロシャツが汗でぐしょぐしょになっていました。
☆ 王宮
午後には、王宮を見物しました。王宮の建物も隣接するシルバーパゴダもバンコクの王宮や寺院にそっくりです。
カンボジアの王宮は、タイの王宮と較べるとだいぶ規模が小さいようですが。
私の好きな作家、古山高麗雄は、東南アジアでの戦争体験を描いた「二十三の戦争短編小説」で、
1945年3月10日未明に、当時のシアヌーク国王を日本軍の保護下に置くために王宮を襲ったときの話を書いています。
日本軍は、1940年と1941年に、ナチス占領下のフランスの親独政権であるヴィシー政権と協定を結び、アメリカとイギリスによる蒋介石支援ルートを遮断する目的で、
フランス領インドシナ(現在のラオス、カンボジア、ベトナム)に進駐するのですが、1944年にドイツが敗れ、フランス本国のヴィシー政権が崩壊するにつれて、
インドシナ駐留のフランス軍が連合国寄りの姿勢を見せはじめ、危機感を抱いた日本軍司令部はフランス軍を武装解除する作戦「民号作戦」を実施に移します。
シアヌーク国王の身柄確保もこの作戦の一環だったのですが、国王は日本兵が襲ってくることをいち早く察して逃げ出していたために、
古山上等兵ら日本兵が王宮の壁を乗り越えて、王宮の建物になだれ込んだときには、すでに国王の寝所はもぬけの殻だったそうです。
当時、シアヌーク国王にはお妾さんが12人いたそうで、彼女たちは王宮には住まず、プノンペン市内に分散して住んでいて、
日本兵は、王様が12人の妾のだれかの家に逃げ込んだと違いないと考え、手分けして妾の家を捜索します。
古山上等兵は4人の妾の家を捜索したそうですが、4人ともとても国王の愛妾とは思えないほど質素な民家に住んでいたそうです。
また国王自身が住む王宮の内部も非常に質素だったと書いています。
実は、このときシアヌーク国王は、王宮の隣のシルバーパゴダに逃げ込んでいて、その後、自分の足でのこのこ王宮に歩いて帰ったところを無事、日本軍に「保護」されたそうです。
続く
カンボジア熱々旅行
本日のつぶやき:
カイワレ喰ってた頃が政治家としての旬で、その後、評価は下がりっぱなしでしょう、カンガンス。
by jack4africa
| 2010-06-13 22:02

