2011年 10月 28日
台湾&ベトナム周遊(6) |
☆ハノイ四日目
今日はディエンビエンフー通り28A番地にあるベトナム軍事歴史博物館を見学。
この博物館は、第二次大戦後にベトナムがフランスおよびアメリカ相手に戦ったインドシナ戦争からベトナム戦争までの近代戦争の歴史を紹介しています。
メインの建物には1975年4月30日のサイゴン陥落のときに南ベトナム政府の大統領官邸に突入した戦車が麗々しく展示されていて、
建物の前庭には、ベトナム戦争のときにアメリカと戦ったソ連製のミグ戦闘機や撃墜したアメリカの軍用機、アメリカ軍から分捕った戦闘機などが展示されています。
ここで簡単にベトナムの現代史を振り返っておきますと、現在のベトナム、ラオス、カンボジアは19世紀後半からフランスによって植民地支配されていました(仏領インドシナ)が、
1940年から1941年にかけて日本軍が進駐してきます(仏印進駐)。
当時、日本は中華民国の蒋介石政権と戦っていて(日中戦争)、蒋介石政権に対して米英が行っていた物資支援のルートがインドシナを通過していたことからそれを遮断するのが目的でした。
この時期、フランス本国はヒトラーのナチに占領され、親独のヴィシー政権が樹立されていたことから、ドイツの同盟国である日本の仏印進駐を現地の植民地政府は拒否できず、日本軍と同盟を結んでこれを受け入れます。
しかし1944年6月、連合軍がノルマンディーに上陸し、ヴィシー政権は崩壊。ロンドンに亡命していたドゴールが帰国し、新政権を樹立します。
仏印のフランス軍もドゴールの新政権に味方すると予想した仏印の日本軍は、1945年3月9日、明号作戦を発動して仏印のフランス軍を武力で制圧。フランス植民地政府を打倒します(仏印処理)。
フランス植民地政府が日本軍に打倒されたことを知った阮朝最後の皇帝、バオダイはベトナムの独立を宣言。ベトナム帝国の皇帝に即位します。
しかし1945年8月15日に日本が無条件降伏すると、日本の降伏によって生じた軍事的空白を利用して、ホーチミン率いる共産ゲリラ、ベトミンがベトナム全土で一斉蜂起し、
バオダイ帝を退位させ、権力を奪取(ベトナム八月革命)、ベトナム民主共和国の樹立を宣言します。
その後、ベトナムの再植民地化を企むフランス軍とベトミンとの間で戦争が勃発(第一次インドネシア戦争)。
戦争は1946年から1954年まで続きますが、1954年にディエンビエンフーの戦いで、フランス軍が壊滅的な損害を被り、フランス軍の敗北が避けられないものとなったことから、
関係国の間でジュネーブ協定が締結され、これにより第一次インドシナ戦争の終結とフランス軍のインドシナ一帯からの完全撤退、並びにベトナム民主共和国の独立が承認されることになります。
しかし、この協定によりベトナムは、北緯17度の軍事境界線を境に共産主義国家の北ベトナムと、親西側陣営の南ベトナムとに分断されてしまいます。
その後、インドシナ半島から撤退したフランスに代わってアメリカが南ベトナムを支援することになるのですが、
北ベトナムの支援を受けた共産ゲリラ、ベトコンと南ベトナム軍の戦い(第二次インドシナ戦争=ベトナム戦争)が始まると、アメリカ軍がそれに介入、戦争は泥沼化して米兵の間にも多数の死者を出します。
そして1975年3月に北ベトナム軍が全面攻撃を開始し、4月30日にサイゴンが陥落、南ベトナム共和国は崩壊し、南北ベトナムは北ベトナム主導で統一され、サイゴンはホーチミン市へ改名されてしまうのです。
その後、1979年にはベトナム戦争で盟友関係だった中国との間で戦争が始まり(中越戦争)、ベトナムはこの戦争にも勝利します。
中越戦争が起こった一因は、サイゴン攻落後、北ベトナム政府がサイゴンのショロン地区に住んでいた華僑を追い出したことにあるといわれていますが、
北ベトナム政府主導の社会主義経済政策は結局、行き詰まり、中国の改革・開放政策をまねたドイモイ(刷新)政策を1986年から導入、計画経済から自由経済に転換します。
その結果、海外に逃げていた華僑が戻ってきて、経済も順調に発展しているようですが、経済の実権は以前と同様、華僑に握られているみたいです。
今回、泊まったハノイのミニホテルのオーナーも、前回、泊まったサイゴンのミニホテルのオーナーも一目で中国系とわかる人物でしたが、
これらミニホテルは宿泊料金をドル建てで表示していることが多く、支払いも米ドルで要求してきます。
またなにかあったら直ぐに逃げられるようにするためでしょう。
実際、ここのところ、ベトナムと中国は、南シナ海の南沙諸島や西沙諸島の領有権をめぐって対立しており、双方の海軍が小競り合いを演じています。
これらの海域には原油や天然ガスが埋蔵されているとのことで、周辺国が領有権を主張しているのですが、最近、ベトナムはインドとの間でこの海域のガス・原油を共同開発する協定を結び、中国が反発しています。
さらにベトナム滞在中に読んだ現地の英字新聞によると、現在、ベトナムは日本とフィリピンとの連携を深めているそうで、中国包囲網を着々と築いているようです。
日本とフィリピンのバックにはアメリカが控えていることから、かっては敵同士だったベトナムとアメリカが手を組んで中国に対抗するシナリオも現実味を帯びてきました。
このベトナム軍事歴史博物館では、ベトナム戦争後に生まれた若い兵士や高校生の集団が見学に来ていましたが、戦後、アメリカによって骨抜きにされた日本とは異なり、
フランス、アメリカ、中国などの大国と次々に戦争して勝ってきたベトナムの国防意識は非常に高く、今年8月には徴兵制度を復活させて、来るべき中国との戦争に備えているとのことでした。
続く
「2011 台湾&ベトナムの旅」
by jack4africa
| 2011-10-28 06:54