2012年 05月 22日
私がアフリカに永住することを諦めた理由 |
20代の前半にブラックアフリカに行って、凄く気に入って、一時は永住したいと思い詰めたくらいですが、
最終的にアフリカに住むことを断念したのは、自分は白人みたいに黒人を差別できないだろうと思ったからです。
私がアフリカで出会った白人は、例外なく人種差別主義者で、黒人は白人よりも劣る存在だと考えていました。
彼らにとってそれはあまりにも明白なことで、議論の余地がないという感じでした。
その代表がシュバイツァー博士です。
シュバイツァー博士は中央アフリカのガボンのランバレネで病院を運営し、黒人の治療に献身してノーベル平和賞を受賞した偉人として知られていますが、頑固な人種差別主義者で、黒人のことを「愚かな兄弟」と呼んでいました。
シュバイツァー博士のような白人はアフリカではめずらしくないというか、殆どの白人が彼みたいなタイプで、そういう白人は黒人に対して家父長的に接していました。
前回、紹介したニジェールで出会った旅行会社を経営しているフランス人もそのタイプで、彼は少々、デキの悪い黒人の部下でもクビにせずに使っていました。
「お前は馬鹿で無能だけれど、そんなお前を俺は見捨てずに使ってやるよ」
という態度で現地人の部下に接していたのです。
シュバイツァー博士がガボンで出会った「愚かな兄弟」に愛情を注いだのと同じです。
現地人の部下はそんな彼に反発を感じるどころか、心酔してました!
彼を見ていてわかったのは、アフリカで黒人に畏敬され、尊敬されるためには、黒人から見て自分は絶対、この人に敵わないというイメージを植え付ける必要があるということです。
そのためにはまず、当の本人が自分は黒人と比較してあらゆる面で優れているという確信というか信仰を持たなければならないのですが、
それを可能にしているのが、白人が持つ強烈な白人至上主義です。
一方、日本人は、白人のように黒人に対する優越感を持っていません。
その結果、日本人は、ついつい「黒人も同じ人間だ」などと思ってしまうのですが、白人は、口には出さなくとも、黒人と白人が同じ人間だなんて絶対に考えていません。
つまり、日本人は白人と較べて異人種に対するサベツ意識が薄いのですが、それ自体は自慢できることだと思います。
また日本は戦後、一億総中流社会を作り出すことに成功し、社会的な階級というものを失くしてしまいました。
最近は日本社会でも格差が拡大しているといわれていますが、それでも日本社会は基本的に平等社会で、人と付き合うときに互いの身分や階級を意識することはありません。
このこともまた素晴らしいことだと思うのですが、そのような均等社会に育った日本人がアフリカに行って、無邪気な平等意識を持って黒人に接するとどうなるか。
黒人になめられてしまうのです。
アフリカに住んでいたとき、現地の白人によくいわれたのは、黒人にいうことを聞かせるためには、どちらがマスター(主人)であるかはっきりと判らせる必要があるということでした。
黒人がギャアギャアうるさくいったら、横っ面を張り倒せ! ともいわれました。
しかし、身長165センチしかない小柄な私が身長190センチくらいある大柄な黒人を張り倒すというのは現実的ではありません。
下手したら殴り返されます(笑)。
白人がそういうことを簡単にいえるのは、白人が黒人に負けないくらいの大柄で強靭な肉体を持っているからです。
また、肉食人種である白人はある意味、黒人よりもずっと野蛮なところがあります。
自分たちに刃向う者に対して暴力を行使することに躊躇しません。
もうひとつ白人が黒人に対して圧倒的な優越感を抱く根拠に、キリスト教の存在ような気がします。
キリスト教徒の白人には、ユダヤ教徒と同様の選民思想があって、それが異教徒や有色人種に対するサベツとなって現れているような気がするのです。
たとえば、前記のシュバイツァー博士は、熱心なキリスト教の伝道師としても知られた人で、彼の中では良きキリスト教徒であることと人種差別主義者であることが矛盾なく同居していたのです。
白人たちが黒人が白人よりも劣っていると固く信じているのは、一種の信仰のようなもので、それはキリスト教の信仰と深いところでつながっているような気がするのです。
実際、キリスト教徒の白人ほどサベツ意識の強い人種は世界中、探しても存在しませんし、彼らが異教徒や異人種に対してどれほど酷い仕打ちをしてきたか、歴史を見れば明らかです。
結局、白人のような生まれつきの強靭な肉体を持たず、聖書に裏打ちされた確固たる選民思想も持たない私のような日本人がアフリカに永住することは不可能であるという結論に到達して、私は日本に帰国することに決めたのでした。
by jack4africa
| 2012-05-22 00:04
| 海外生活&旅行