2012年 06月 12日
インド・ラダックの旅(1) |
ラダック地方は、中国やパキスタンと国境を接し、インドでありながら、住民はチベット系のラダック人で、チベット文化が残っているところです。
チベットは私にとって子供の頃からの憧れの土地でした。
中学生のとき、ロブサン・ランパの「第三の眼」を読んで、チベット仏教の神秘的な「第三の眼」の儀式や、ラサのポタラ宮殿の地下深く眠る古代チベット人の黄金の巨人のミイラ、ヒマラヤ山中奥深くで修行するラマ僧の千里眼や空中浮揚などの超能力、ヒマラヤ山中に住む雪男の話に夢中になったものです。
その後、チベット貴族を名乗るこの本の著者、ロブサン・ランパの正体がアメリカ人で、この本に書かれてあることがすべて彼の創作であることがバレるのですが、フィクションとして読んでも非常に面白い本だったので、特に裏切られた気持はなかったです。
20歳のとき、ネパールのカトマンズに行ったのですが、夜、泊まっていた安宿にサンタクロースみたいな大きな袋を担いだ男がやってきて、
自分はチベットからやってきたがこれを買ってくれないかと、袋の中から小さな仏像などを取り出して売りつけられたことがあります。
そのとき、ああそういえば、チベットはここから遠くないんだなと思い、日本人であればだれしも考えること、このままこの男と一緒にチベットに行ってみたい。顔は同じなんだからバレないだろう、などと考えたものです。
実際は、河口慧海の「チベット旅行記」を読めばわかるように、チベットに潜入するのはそう簡単ではないのですが。
その後、チベットは外国人に開放されるようになり、観光客として訪れることが可能になったのですが、
その頃、私はすでにダライラマの自伝を読んでいて、ダライラマがラサに帰還するまでチベットには行かないと心に決めていました。
しかし、ダライラマのチベット帰還はいっこうに実現せず、チベットの中国化政策は、中国共産党政府の下で着々と進められていきました。
チベットでは観光客向けの一部の寺院を除いて、97パーセントのチベット仏教の寺院が破壊され、経典は焼かれ、僧侶や尼僧が厳しい拷問に遭っているといわれています。
最近、チベットのラサに行った人によると、ラサの街中は漢字の看板だらけで、中国のほかの都市と変わらなくなっているそうです。
そんな変わり果てたラサの姿なんて見たくないと思い、チベットに行くことを事実上、断念したのですが、代替地として浮かんできたのがラダックです。
ラダックはインド領ですがインド政府はラダックで信仰されているチベット仏教に干渉していないことから、今でも多くのチベット仏教の寺院が残っていて、人々の信仰も生き続けているといいます。
そのため、昔ながらの本来のチベットの姿を見るならば、中共に侵略、占領されている本場チベットよりも、むしろ小チベットと呼ばれるラダックに行った方がよいといわれています。
しかしラダックに行くのもそう簡単ではありません。
観光客がラダックに行けるのは事実上、夏の間に限られています。
冬は、気温は氷点下二十度以下に下がり、ラダックの中心の町、レーの観光客向けのホテルやレストランは殆ど休業し、レーとヒマラヤ山麓の町、マナリを結ぶ道路も積雪のために通行不可能になります。
空路は、レーとデリーを結ぶエアインディアの便が飛んでいるそうですが、冬季はヒマラヤ上空に霧がかかるためにしょっちゅう欠航するそうです。
そのため、観光客がラダックに行こうと思えば、夏の間に限られるのですが、デリー・レー間のフライトは慢性的に混んでいて、中々、予約が取れないといいます。
飛行機の座席が取れなかった場合、陸路、バスで1泊2日かけてマナリからレーに入るしかないのですが、途中、海抜5000メートル級の峠を越える必要があり、多くの乗客が高山病に罹って苦しむそうです。
若くて元気のいいバックパッカーならともかく、私みたいな年寄りがそんな過酷なルートを行くわけにはいきません。
それでラダックのことも諦めていたのですが、最近、エアインディアしか飛んでいなかったデリー・ラダック間に新しくできたインドの民間航空会社のジェットエアウェイズの便が就航するようになって、
以前と比べて座席が取りやすくなったという話を聞きました。
ジェットエアウェイズは、官僚的でサービスの悪いことで知られている国営のエアインディアと違って、欠航になったときの代替便の手配などもわりとしっかりとやってくれるといいます。
それでやっと長年の夢であるラダックに行ってみようかという気になったのでした。
続く
「2012 インド・ラダックの旅」
by jack4africa
| 2012-06-12 00:01