2012年 08月 07日
原爆忌 |
8月6日は67回目の原爆忌で、広島では、今年も平和記念式典が開かれたようです。
以前、このブログで触れたことがありますが、私の母は広島で被爆しています。
子供の頃、夏休みに母に連れられて広島の母の実家に遊びに行ったことがありますが、8月6日になっても母の一家はみんな記念式典には無関心で、式典に参加する代わりに瀬戸内海の島に海水浴に行ったりしていました。
広島の平和記念式典というのは、沖縄の米軍基地反対集会などと同じで参加するのはサヨクばっかりです。
アメリカが核兵器を持つことは認めないけど、ソ連や中国の核兵器、最近では北朝鮮の核武装は自衛のためだから許されるなどというアホな連中が主催する式典にマトモな広島市民が参加する筈ないでしょうが!
母は広島に原爆が投下されたときは女学生でしたが、戦争末期で学校では授業は行われず、勤労動員で工場で働かされていたそうです。
原爆が投下されたのは朝の8時15分で、本来ならば、工場に出勤するために乗っていた電車の中で被爆して死んでいただろうといいます。
ところが、この日は偶々、工場の仕事をサボって、広島郊外に疎開していたお祖父さんと幼い弟妹に会いに行っていて助かったのだそうです。
原爆が投下された直後、すぐにラジオが、
「ただ今、広島市内にアメリカの特殊爆弾が投下されました」
と放送したのを覚えているといいます。
まもなく広島市内から被爆した人が続々と逃げてきたそうですが、みんな着ているものがボロボロだったそうです。
彼らがすぐ近くまで来たとき、彼らが全裸で、ボロボロの服にみえたのが、身体の表面からめくれて垂れ下がっている皮膚だとわかってゾッとしたといいます。
母は「地獄を見た」といっていましたが、この目撃談を除けば、原爆については多くを語ろうとしませんでした。
「原爆の恐ろしさは体験した者でないとわからない」
というのがその理由で、私も「そうだろうな」と思って、強いて詳しく訊こうとはしませんでした。
母が通っていた女学校では、同級生の3分の1が原爆で亡くなったそうですが、幸いなことに一番仲良くしていた2人の同級生は無事でした。
母はこの2人の同級生と晩年まで付き合っていましたが、3人で集まっても原爆の話は殆どしないといっていました。
2人の同級生も、それぞれ原爆で肉親を失い、地獄を見ているそうで、原爆の体験があまりに辛く悲しい思い出なので、あえてその話題には触れないようにしているといってました。
母の一家は実家が爆心地から2キロ以内にあったにもかかわらず、奇跡的に家族の全員が無事でした。
お祖父さんや幼い弟妹が疎開していたこともありますが、原爆投下時に実家にいた祖母も助かっているのです。
一度、広島に行ったときに祖母に原爆の思い出を訊ねたことがあります。
「ピカドンが落ちたときには、ウチの近くの産業奨励館が燃えてね」
祖母はいいました。
「産業奨励館て、原爆ドームのことでしょ?」
「そうそう、あそこが夜になってもずっと燃えてたんよ」
祖母は懐かしむようにいいました。
「その燃える様子が綺麗でねぇ。ずっと見とれてたんよ」
ちょっと、おばあちゃん! 原爆と花火は違うでしょ!
叔父さん(母の弟)に原爆の思い出を訊いたら、
「あんときゃのう、太田川(註:広島市内を流れる川)に仰山、土左衛門(どざえもん)が浮かびよってな。みんなで橋の上から見物しとったんじゃが、だれかが『今年の魚は旨いぞう!』といいよってなあ。大笑いじゃったよ」
これ以上、書くと母の一族の品性を疑われるのでやめときますが、最後にもうひとつだけ。これも叔父さんから聞いた話。
原爆が投下されてしばらくの間、広島市内には各所に人骨が散らばっていたそうです。
で、散らばっている頭蓋骨を拾って、アメリカ兵に広島土産として売りつけた人間がいたそうです。
アメリカ兵は喜んで買っていたそうですが、売る方も売る方だけど、買う方も買う方ですよねぇ。
いずれにせよ、広島市民は原爆という未曽有の災難に見舞われながらも、逞しく生きてきたわけです。
原爆の悲惨さを世界に訴えることは大切ですが、日本の原水爆禁止運動が戦後、一貫して特定の政治勢力によって利用され続けてきたことも事実です。
アメリカの核兵器保有には反対するけれど、ソ連、中国、北朝鮮の核兵器保有には抗議しないというのがその典型で、
現在、日本が日米安保条約によってアメリカの傘の下に入っているお蔭で、中国やロシアの侵略から守られている事実や、
日本が中国やロシア、北朝鮮の核の脅威に晒されている現実を見れば、そのような主張がどこの国を利することになるか明らかです。
福島原発事故を受けて起こった反原発運動にも、原水爆禁止運動と同様の政治的な臭いが感じられます。
原発反対派は、日本人の被爆アレルギーを利用して、放射能の恐怖を誇張して煽っているように見えますが、
本来、日本人は広島、長崎を経験しているお蔭で、他国の人間よりもこの問題には冷静に対処できる筈です。
広島や長崎では原爆で多くの人が亡くなりましたが、亡くなったり、病気になった人は、原爆投下時に直接、放射能を大量に浴びた人たちだけで、
日本のほかの地域と較べて、広島や長崎市民のがん発生率が特別、高いとか、平均寿命が短いとかいうデータが存在しないことから見てわかるように、残留放射能の影響は大きくありません。
そもそも人々を殺傷する目的で投下された原子爆弾と原発事故を同列に語ること自体、間違っています。
福島の原発事故では、放射能で亡くなった人間は現場の作業員も含めて一人もいないのです。
先日、テレビのニュースで、東北大震災で発生したがれきの受け入れをめぐって、ある自治体が開いた公聴会の様子を映していましたが、
がれきの放射能の値は低いと説明する市長に向かって、プロ市民らしい中年の女性が、
「たとえ、少しでも放射能があるのが嫌なんです!」
とヒステリックに抗議していました。
この女性は自然界には常に一定の値の放射能が存在することを知らないのでしょうか?
そんなに放射能が嫌なら、地球を脱出して月にでも移住すればよいのです。
by jack4africa
| 2012-08-07 00:00
| 日本と日本人