2012年 08月 14日
アフリカの飢餓 |
日本ユニセフ協会から銀行の振込み用紙を同封したダイレクトメールがまた届きました。
「アフリカの角」と呼ばれるソマリアやエチオピアなどのアフリカ東部と「サヘル」と呼ばれるサハラ南縁地域のマリ、ニジェールなどの西アフリカ諸国で、
過去60年で最大の干ばつが起こっていて、食糧難のために100万人以上の子供の命が危機に晒されているので寄付をして欲しいと訴えていますが、
アフリカの干ばつや飢饉は、昨日今日始まった現象ではなく、過去何十年にもわたって継続している構造的かつ慢性的な問題です。
60年に一度かなんかしらないけれど、今この時点でわざわざ問題にするのは、寄付金を募る名目が欲しいからで、アフリカの干ばつを利用して募金を増やそうと企んでいるのでしょう。
干ばつが起こるのは地球温暖化が原因だといわれていますが、それ以前に問題なのは、過去何十年にもわたってこのアフリカの乾燥地域で砂漠化が進行していることです。
その一義的な原因はこれら地域に住む人々の生業形態である牧畜にあります。
遊牧民が飼育する家畜が草を食べつくし、遊牧民が煮炊きのための薪を採集することが、これら乾燥地域の砂漠化の進行に拍車をかけているのです。
そのため、家畜の餌が不足して家畜が育たなくなり、最悪の場合には家畜が多数、死んでしまい、牧畜という生計手段を失った牧畜民が飢餓に陥るのです。
飢餓に関していえば、より直接的な原因は、これらアフリカ地域で頻発している戦争や内乱です。
ソマリアでは20年以上にわたって内戦が続いていて、多くの難民が隣国のケニアやエチオピアに逃れているといいます。
西アフリカのサヘル地方でも、20年前からマリやニジェールに住む遊牧民のトゥアレグ族が中央政府からの分離独立を求めて武力闘争を続けていて、多数の避難民が隣国のモーリタニアに逃れているそうです。
これらの地域紛争を解決しない限り、難民の流出は続くでしょうし、子供たちの栄養不良も改善されることはないでしょう。
それでも、今現在、飢えに苦しむ子供たちがいるのであれば緊急の援助を行う必要があるのではないかといわれるかもしれませんが、
北朝鮮の例をみてもわかるように、国際的な援助物資が横流しされて、本当に困っている人々の手にわたらないことが多々あるのです。
1985年のエチオピア大飢饉のときには、マイケル・ジャクソンをはじめとするアメリカのポップシンガーたちが集まって、
エチオピアの飢えた人々を救うためにWe are the worldという曲を作って大々的に募金を呼びかけましたが、
エチオピア政府は世界中から集まってきた援助物資をソ連に売って、その金で武器を買ったといわれています。
また難民キャンプにいれば、最低限の衣食住が保証されることから、仕事をせずに遊んで暮らしたい連中がキャンプに集まってくるという問題もあります。
もちろん、これらのことは日本ユニセフとは直接、関係ありません。
彼らの仕事は寄付金を募ることであって、寄付金の使途については本家のユニセフに丸投げしているからです。
日本ユニセフとしては、多額の寄付金を集めて、その25パーセントをコミッションとしてピンハネして儲ければいいだけで、自分たちが集めた寄付金がどこでどのように使われるかはどうでもいいことなのです。
私が日本ユニセフのダイレクトメールを受け取って不愉快に思うのは、封筒に必ず栄養失調の黒人の子供の写真を印刷していることです。
日本ユニセフの広告塔の中国人歌手、アグネス・チャンは児童ポルノに反対していて、ポルノ写真を撮られた子供は大きくなって自分の写真をみて傷つくことになると主張していますが、
募金広告に写真が掲載されている子供たちが大きくなって、自分の写真が募金の宣伝のために使われていたことを知ったら傷つくとは思わないのでしょうか。
自分たちは子供たちを救うという善行を施しているのだから、そのためには子供の写真を利用するくらいは許されると考えているのであれば、それは傲慢というものです。
私は日本ユニセフに限らず、黒人の子供の写真を掲載して寄付金を募集している団体の広告をネットでみるたびにインドの女乞食を思い出します。
インドを旅行した経験のある方はご存じだと思いますが、インドの観光地には観光客相手の乞食が沢山いて、特にしつこいのが赤ん坊を腕に抱いた女乞食です。
彼女たちは左手に赤ん坊を抱いて、右手を観光客に差し出して、哀れっぽい表情を作って、「バクシーシ」といって物乞いするのですが、
赤ん坊を抱いているのは、観光客の同情をひくためで、インドには女乞食専門に赤ん坊を貸し出す商売があるそうです。
つまり、日本ユニセフもインドの女乞食も子供をダシにして金儲けをしているという点では同じなのです。
日本ユニセフの広告塔であるアグネス・チャンは、東日本大震災のあった昨年、ソマリアへ6100万ドル(約47億円)の募金を促す書き込みをブログに投稿し、
日本が震災で大変なときに、他国への寄付を呼びかけるその無神経さが批判されました。
その前年の2010年には、彼女は日本ユニセフ協会大使として治安が悪化し危険度最大レベルといわれているソマリアに行き、戦乱と貧困に苦しむ子どもたちを視察したと発表したのですが、
あとで実際に行っていたのは、危険なソマリアではなく、安全な隣国のソマリランドであることが判明しました。
この女はインドの女乞食よりも百万倍、悪質で、そんな女を広告塔に据える日本ユニセフも同じ穴のムジナでしょう。
1973年にアフリカに行ったとき、サヘル地方の飢餓の実態を垣間みたことがあります。
そのときは、テレビのドキュメンタリー番組の取材で、砂漠の遊牧民、トゥアレグが住むマリやニジェールなどをまわっていたのですが、
私たちが滞在中に、日本の新聞がサヘル地方が干ばつで深刻な飢饉に見舞われていると報じたのです。
干ばつで川などの水源が干上がり、何万頭ものゾウが水を求めて南下しているなどというヨタ記事を読んだプロデューサーが興奮して、
今やっている撮影を後回しにして、すぐに干ばつで苦しむ動物の姿を撮るようにと日頃、ケチな彼にはめずらしく相当額の追加の取材費を送ってきたのです。
プロデューサーの頭には何万頭ものゾウの群れが南を目指して移動している迫力のある映像が浮かんだのでしょうが、ディレクターは、
「新聞記者は何万頭ものゾウが南下してるなんて簡単にペンで書けるけど、こっちはその様子を写真に撮らなきゃならないんだから大変だよ」
と頭を抱えていました。
そもそも東アフリカのサバンナとは異なり、西アフリカのサヘル地方にはゾウはあまり生息していないのです。
実はその知らせが届くまで、私たちは現地にいながら、サヘル地方で飢饉が起こっていることを知りませんでした。
なぜ知らなかったかというと、ひとつは後述する理由により、飢饉のニュースがかなり誇張して報道されていたことと、もうひとつはサヘル地方は人口密度が低い地域で、飢餓が起こっても目立たないのです。
飢餓それ自体は報道されているほどの規模ではなくとも、たしかに起こっていました。
ニジェールのアイール山地で、撮影の合間に休んでいると、どこからともなく栄養失調で下腹がぷっくり膨れた子供が木製のボウルを手に持って現れ、食べ物を乞われたことがありますし、
ニジェールのアガデスの空港では、母親に抱かれた骨と皮に痩せた老婆みたいにしわしわの顔になっている赤ん坊に援助活動で来ているらしい欧米人の男性がビスケットを食べさせている光景を目撃しました。
しかしそれらの光景は散発的に目撃したもので、同じ飢餓の光景でも、その数年前、インドのカルカッタで目撃したハウラー駅の構内を埋め尽くすバングラデシュの飢饉を逃れてやって来た難民の群れの殺気立った様子と較べるとずっとおとなしく目立たないものでした。
カルカッタでは食べ物を求める飢えた人々が駅の構内だけでなく町中に溢れていましたが、サヘル地方では、人々は砂漠に散在するテントの中でひっそりと飢えていたのです。
プロデューサーが金を送ってきたので仕方なく飢饉の取材を始めたのですが、餓死した人間が出た村があると聞いて、その村に取材に行ったことがあります。
そこはトゥアレグ族の村で、飢えで亡くなったのは小さな子供でした。
子供の父親は遠方に出稼ぎに行っていて留守で、母親と4人の子供たちがひとつテントの下で生活していたのですが、食べ物がなくなって一番、身体の弱い下の子が死んだのです。
村に行ったとき、村長が出てきて、
「トゥアレグはプライドが高い部族だ。彼女は食べる物がなくなっても、隣人に助けを求めようとしなかった。だから子供が死んでしまった」
と熱弁をふるっていましたが、当の母親は、私たちの姿を見るとインドの女乞食みたいに手を差し出してきて、とても村長のいう誇り高い女性には見えませんでした。
実際は、この家族は父親のいない母子家庭だったために、ほかの村人から無視されてほったらかしにされていたのでしょう。
それが子供が死んでみて事態が深刻であることにようやく気づき、村長が慌てて助けに動いたらしかったです。
その頃には飢饉のニュースは世界中を駆け巡っていたのか、村の広場にはアメリカから送られてきたコンデンスミルクを入れたドンゴロスの袋が山積みになっていて、子供たちがそれに登って遊んでいました。
取材を進めていくうちに、干ばつや飢饉の話を大げさに言いふらしているのが、ニジェール在住のフランス人宣教師であることがわかってきました。
また干ばつと飢饉のニュースを世界に向けて発信したのは、ニジェールの首都、ニアメに駐在するAFP(フランス通信)のフランス人記者であることが判明しました。
私たちは彼に会いに行って、「飢饉というのはいわれているほど深刻ではないのではないか?」と問いただしたのですが、彼は早口のフランス語でどうでもいいようなことをペラペラしゃべりまくり、質問をはぐらかすだけでした。
その後、事情通の人間から、この時期、フランス通信が西アフリカの干ばつと飢餓のニュースを誇張して世界に報じたのは、
西アフリカのフランスの元植民地である国々からCFA圏を離脱する動きが出ていることと関係があると教えられました。
CFAというのは、「Communauté Financière Africaine」(アフリカ金融共同体)の略語で、アフリカの元フランス植民地はこの経済共同体に加盟し、フランスフランによって裏書きされるCFAフランという通貨を使用しているのですが、
このフランス主導の経済共同体に加盟するということは実質的にフランスの経済的植民地であり続けることを意味し、
それに反発したモーリタニアなど元フランス植民地の一部の国が経済的独立を目指してCFA圏を離脱しようとしていたのです。
それでフランスとしては、これら元フランス植民地諸国がフランスから経済的に独立するのは時期尚早であることを世界にアピールするために、
この地域が干ばつと飢饉に苦しんでいるとのニュースを誇張して流したというのです。
実際、ニジェールのあとにモーリタニアに行ったのですが、首都、ヌアクショットで会ったモーリタニア政府高官は、フランス通信の干ばつと飢餓に関する記事に強く反発していて、「モーリタニアでは飢饉など起こっていない」と力説していました。
この取材中、日本の某大手新聞社の特派員が西アフリカに飢饉の取材にやってきて、彼とはしばらく行動を共にしたのですが、
彼も飢饉が実際よりも大げさに伝えられていることがわかったといい、日本に帰ったらそういう趣旨の記事を書くといっていました。
しかし、あとで聞いた話では、飢饉は大したことはないという彼の記事はボツになったそうです。
新聞社としては、いったん飢饉は深刻だという記事を載せておいて、それを否定するような記事は載せられないということらしかったです。
その後、私も日本に帰国したのですが、東京の街角でボランティア団体が、
「西アフリカの干ばつで飢えに苦しむ子供たちを救うために寄付をお願いしま~す」
といって街頭募金をしている光景を見て、ひどく違和感を覚えたものです。
by jack4africa
| 2012-08-14 00:08
| アフリカの記憶

