2012年 09月 07日
カスバの女 |
懐メロ歌謡曲「カスバの女」は多くの歌手によってカバーされていますが、私はちあき なおみが歌うこのバージョンが一番、好きです。
歌詞の大意は、かって花の都のパリのキャバレー「ムーラン・ルージュ」(赤い風車の意)で人気者だった踊り子が落ちぶれて、当時、地の果てといわれていたアルジェリアまで流れてきて、
今はアルジェのカスバの酒場で外人部隊の兵士相手に身をひさぐ身になっているというもので、
戦前、人気があったゲーリークーパー、マレーネ・ディートリッヒ主演のアメリカ映画「モロッコ」(1930)や、
フランス映画「外人部隊」(1933)や「地の果てを行く」(1935)などのいわゆる「外人部隊もの」のジャンルの映画や、
アルジェのカスバを舞台にしたジャン・ギャバン主演のフランス映画「望郷」(1937)のストーリーを下敷きにして作られたものだと思われます。
かって北アフリカの外人部隊は、ヨーロッパで食い詰めた人間や犯罪者が入隊するところだと考えられていました。
「前歴を問わない」という外人部隊の入隊条件の緩さのお蔭で、過去に傷もつ人間が集まったそうで、昔のフランス映画やイタリア映画では、
失恋した若い男が絶望のあまり「ボクはもう外人部隊に入る!」などと口走る場面がでてきたものです。
カスバはアラビア語で城砦の意味で、フランスの植民地時代は、アルジェリア人の居住地区になっていて、狭い路地が迷路のように入り組んでいることから、
外部の人間には入りにくく、「望郷」に描かれたように犯罪者の隠れ場になっていたといいます。
またアルジェリア独立戦争のときには、アルジェリア人ゲリラの拠点になりました。
初めてアルジェの上空からカスバを見たときの感動はいまでもはっきりと覚えています。
パリのオルリー空港から僅か2時間のフライトで地中海を一跨ぎして、アルジェの空港に着陸するために飛行機が旋回し始めたとき、突然、目の中に真っ白なカスバの町並みが飛び込んできたのです。
紺碧の地中海に向かって迫り出している丘の麓からてっぺんまで白い家々がびっしりと隙間なく張りついていて、まるで巨大な豪華客船を見るようでした。
現在のアルジェのカスバは妖しい雰囲気は残っているものの、フツーのアルジェリア人が住む住宅地区で、中に入っても特別、危険な目に遭うわけではありません。
「カスバの女」については、現在はカスバ内部に酒場は存在しません。
ただし、公営の売春宿は存在します。
一度、知り合いの日本人に付き合って、カスバの売春宿に足を踏み入れたことがあります。
売春宿は2階建ての建物で、1階は吹き抜けのホールになっていて、2階に並んでいる売春婦の個室のドアが見えるようになっていました。
身体が空いている売春婦は、自分の個室のドアの前に立っていて、その女を買いたいと思う客は、階段を上がって彼女の前まで行き、そのまま一緒に部屋に入ります。
料金は一律になっているみたいで、客と売春婦はドアの前で交渉することもなくすぐに中に入っていました。
驚いたのは客の滞在時間の短さです。
みんな5分位で出て来るのです!
もしかして握手だけして出て来るんじゃないかと思ったほどですが、客は若い男が多く、1階のホールで売春婦の品定めをしているうちに興奮してきて、
2階に上がって売春婦を目の前にしたときには、その興奮が最高潮に達していて、挿入した途端、あっという間にイッてしまうみたいです。
売春婦は客1人5分間として1時間に12人。1日に8時間、働くとして12×8=96人。1日当たり100人近い客を相手にしている計算になります。
朝鮮人の元慰安婦が1日に10人も20人も兵隊の相手をさせられたと文句をいっているのを聞いたことがありますが、1日に100人近く相手をするカスバの売春婦に較べたら大したことないでしょう。
連れの日本人は2階に上がって売春婦を買ったのですが、彼の相手をした売春婦のアソコはヤリすぎてタコができていたといってました。
P/S: 一部にこの「カスバの女」はアルジェリア独立戦争時の悲恋をうたった曲であるとの誤解があるみたいですが、歌詞をみればわかるように独立戦争とはまったく関係ありません。
この曲がリリースされたのは1955年。独立戦争は1954年から始まって1962年に終結したので、時期的にも合致しません。
下の曲は、アルジェリア独立戦争に従軍したフランス人兵士の心境をフランスの国民的歌手、セルジュ・ラマが歌った「アルジェリア」です。
「銃を持って戦ったけど、アルジェリアは美しい国だった」というリフレインが泣かせます。
「アルジェリア」の歌詞の和訳
港には何千人もの若者が集まっていたが、
歌をうたう気分ではなかった
夜明けの光に照らされた景色は美しかった
船に乗ったのはそのときが初めてだった
アルジェリア
そこには紺碧の海が迫っていた
アルジェリア
それは望まない冒険だった
ブリダのキャンプに着いて、そこから僕たちは兵士
として戦ったのだ
バルコニーにはシーツやタオルが干してあった
まるでイタリアみたいだった
僕たちは長い列車に乗せられて移動した
座り心地は悪かった
銃を持って戦ったけれど、アルジェリアは美しい国だった
メロドラマにふさわしい港ではなかったけれど、
それでも港を離れるときは気分が重かった
遠ざかる波止場を見つめながら、涙を流す者がいた
アルジェリア
そこには紺碧の海が迫っていた
アルジェリア
それは望まない冒険だった
ブリダのキャンプに着いて、そこから僕たちは兵士として
戦ったのだ
恋人から来た手紙には嘘の言葉ばかり書き連ねてあった
夜は恐怖を忘れるために煙で燻されるほどタバコを喫った
銃を持って戦ったけれど、アルジェリアは美しい国だった
その港は僕の思い出の中ではただの港ではない
今でもときどき、あの囚人船の色あせたデッキにいる自分を
思い出すことがある
アルジェの街が水平線のかなたで僕に向かって微笑んでいた
アルジェリア
そこには紺碧の海が迫っていた
アルジェリア
それは望まない冒険だった
ブリダのキャンプに着いて、そこから僕たちは兵士として
戦ったのだ
いつか孫たちにこの話をするかもしれない
唯一の栄光が二十歳であることだけだった
あの旅のことを
銃を持って戦ったけど、
アルジェリアは美しい国だった
by jack4africa
| 2012-09-07 00:03
| 世界の映画&音楽