2012年 11月 20日
岸恵子 - いつまでも若く - (1932~ |
女優としてだけでなく、レポーター、作家としても活躍する岸恵子は、1932年横浜生まれ、高校卒業と同時に松竹に入社、山田五十鈴、高峰秀子と共演した「我が家は楽し」(1951)がデビュー作品です。
母親役に大女優の山田五十鈴、姉役にこれまた大女優の高峰秀子というキャスティングをみれば、松竹がいかに彼女に期待していたかよくわかります。
その後、1953年に「君の名は」三部作に主演、一躍人気スターになります。
「君の名は」は元々はラジオの人気番組で(当時はまだテレビが普及していなかった)、放送中は銭湯の女湯がガラガラになったといわれています。
この人気ドラマが映画化されることになり、ヒロインの真知子に岸恵子が抜擢されたわけです。相手役は二枚目として人気があった佐田啓二です。
この映画は戦前に大ヒットした「愛染かつら」と同様、典型的なすれ違いメロドラマで、愛する二人はすれ違いながら北海道に行ったり、九州に行ったりするのですが(観光映画も兼ねていたようです)、
ケータイなどという無粋なものがなかった古き良き時代の話で、今、観ると岸恵子が演じるヒロイン真知子の山の手の若奥様風の言葉遣いの丁寧さが新鮮です。
「君の名は」で一躍人気スターになった彼女ですが、1956年に日仏合作映画「忘れえぬ慕情」に出演したあと、この映画の監督、イブ・シャンピとの結婚を突然、発表し、世間を驚かせます。
実はこのとき、イギリス映画界の巨匠、デビッド・リーン監督もどこかで彼女と逢っていて、彼女にぞっこんほれ込んでいたそうで、
映画ファンとしては、どうせ外国人の映画監督と結婚するのであれば、映画監督としては二流だったイブ・シャンピではなく、デビット・リーンの方と結婚して欲しかったですね。
もしデビット・リーンと結婚していたら、キャサリン・ヘップバーン主演の「旅情」のような名作を岸恵子主演で撮っていたかもしれないと思うからです。
まぁ、彼女のイメージとしてはロンドンよりもパリの方が似つかわしいですが。
パリに渡った彼女は、パリに住みながら、ときどき日本に里帰りして日本で映画やテレビドラマに出演するという生活を続けますが、
私が不思議に思うのは、フランスの映画監督が彼女に興味をもたなかったらしいことです。
彼女の夫のイブ・シャンピ監督は寡作で、彼女と結婚したあと撮った作品は2本だけ、その内の1本の「スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜」(1961)は彼女が主演していますが、大して話題に上らなかったみたいです。
ただ夫のイブ・シャンピが映画を撮らなくとも、彼女はパリに住んでいたのだから、ほかのフランス人の監督から声がかかってもよかったはずです。
しかし、この時期、フランス映画界で活躍していたゴダールもトリュフォーも彼女に興味を示さなかったようです。
彼女がフランス語が話せなかったというのであればともかく、彼女はとても綺麗なフランス語を話します。
そのフランス語はちゃんと先生について習ったフランス語で、ネイティブのフランス人が話すフランス語とは少し違うけれど、
その違いが逆に魅力になっていて、彼女がフランス語を話すたびに、そのチャーミングな話しぶりに魅了されます。
一時期、フランス映画によく出ていたジーン・セバーグやジェーン・フォンダなどのアメリカ女優の無茶苦茶なアメリカ訛りのブロークンなフランス語と較べると月とスッポンで、
その彼女がフランス映画から声がかからなかったというのは、やはり東洋人に対する差別というか偏見があったのかなという気がします。
私なんかから見れば、彼女は十分にバタ臭い顔立ちで、フランス映画に出演しても違和感はなかったと思うのですが。
実は彼女は1965年に「太陽が目にしみる」というメリナ・メルクーリ主演のスペイン/フランス合作映画に出ているのですが、
映画が駄作だった上に彼女の出番は少なく、殆ど端役扱いで、日本映画で主役を張っていた彼女としては随分と屈辱的な扱いだったと思います。
結局、彼女はパリに住みながら、ときどき日本に里帰りして日本で映画やテレビに出演するというライフスタイルを選ぶのですが、
それが一番、現実的な生き方だったとは思うものの、せっかく国際結婚して、しかも結婚相手が映画監督であったにもかかわらず、ロクな外国映画に出ていないというのは残念な気がします。
彼女がツマラナイ女優であったのであればともかく、とても魅力的な女優だったわけですから。
彼女のこれまでの作品で印象に残っているのは、「雪国」(1957)、「おとうと」(1960)、「細雪」(1983)の3本です。
「雪国」は川端康成の小説を映画化したもので、彼女は池部良相手にヒロインの芸者駒子を熱演していますが、劇中で彼女がちゃんと三味線を弾いていたのが驚きでした。
昔の日本の女優であれは三味線くらい弾けて当然ですが、彼女の場合、やはり「おフランス」のイメージが強くて、それで三味線を弾く彼女に驚いたのです。
実はこの作品を撮るとき、すでにイブ・シャンピとの結婚が決まっていて、もしかしたら、これが最後の映画出演になるかもしれないと思って頑張って、三味線を猛練習して弾けるようになったのだそうです。
この作品がクランクアップして2日後、パリに飛んで、雪国の原作者である川端康成の立ち会いの下に結婚式を挙げたといいます。
「おとうと」は幸田文の自伝的小説を映画化したもので、なにをやらせても中途半端に投げ出してしまうダメ人間の弟を叱咤激励する気の強いしっかり者の姉の役は彼女のキャラクターにぴったりで、
弟を演じた川口浩、父親(幸田露伴)を演じた森雅之、義母を演じた田中絹代もよかったです。
「細雪」では、大阪船場の老舗の商家、蒔岡家の四人姉妹の長女鶴子を演じていますが、相変わらず綺麗だけれど、船場のとうはんには全然、見えない。
じゃあ、なんに見えるかというと、岸恵子にしか見えない(笑)
彼女は基本的にどの映画に出ても岸恵子なんですよね。
あの原節子に匹敵するほどの華やかな美貌で、出てきただけで画面がぱーっと明るくなる感じで、観客はそれ以上を求めないというか。。。
ようするに、彼女はスタア女優であって、演技派女優ではないということです。
そのへんはご本人も自覚しているみたいで、若い頃、仲間の女優と一緒に「だいこんクラブ」という会を作っていたそうです。
あと彼女を見ていていつも感心するのはその驚異的な若さです。
当年とって80歳のおばあちゃんにはとても、見えません。
もちろん、フェイスリフトなどの美容整形外科のお世話にはなっているだろうけれど、それにしても若い!
ある雑誌のインタビューで、
「私って若く見えるんじゃないんです。実際に若いんです!」
と力説していたところをみると、精神年齢も若いのかしれません。
by jack4africa
| 2012-11-20 00:00
| 思い出の女優たち