2013年 03月 05日
近代ニッポンのイケメン達 |
東郷平八郎(1848~1934):海軍大将
英国留学中の27歳のときに撮った写真
晩年の写真
日露戦争でバルチック艦隊を壊滅させたアドミラル・トーゴーの勇名は世界に鳴り響き、歴史的にロシアと仲が悪いトルコでは生まれて来た子供に「トーゴー」と名付ける親まで出たそうです。
維新前は薩摩藩士、西郷隆盛や大久保利通の後輩にあたり、当然のことながら、少年時代に男色を経験していたものと思われます。
桂太郎(1848~1913年):軍人、政治家
若き日の写真:首にはスカーフ、足にはブーツ! オシャレ~~
晩年の写真
日露戦争時の日本の首相。長州藩出身。15歳のときに長州藩主、毛利元徳の小姓役に抜擢される。可愛かったんでしょうね。その後、戊辰戦争に従軍。
維新後は横浜語学学校で学んでからドイツへ留学。帰国後、軍人になり、その後、政治家に転身。第二代台湾総督、陸軍大臣を歴任後、1901年(明治34年)に首相就任。
第一次、第二次、第三次桂内閣を組閣し、首相在任期間、通算2886日は史上最長。あだ名はニコポン宰相、ニコニコ笑いながら、相手の肩をポンと叩いて懐柔するのが巧かったそうです。
花房義質(1842~1917年):朝鮮公使
この写真でも美形ぶりが窺えますが、以前、正面から撮った彼の写真を見たことがあって、そのあまりの美形ぶりにしびれました。
大隈英麿(1856~1910):教育者
陸奥盛岡藩主南部利剛の次男、明治の元勲、大隈重信の養嗣子。アメリカ留学から帰国後、早稲田大学の前身、東京専門学校の初代校長を務める。
南方熊楠(1867~1941):博物学者
美少年好きで有名ですが、ご本人も中々のイケメンです。英国滞在中、務めていた大英博物館のイギリス人同僚が日清戦争に関連して日本の悪口をいったので殴りつけて博物館をクビになったという武勇伝の持ち主です。
大谷光瑞(1876年~1948):宗教家・探検家
貴族的な風貌の持ち主ですが、実際に貴族というか華族でした(伯爵)。親鸞から数えて22代目の浄土真宗本願寺派第22世法主。大正天皇のイトコにあたり、妻は大正天皇の皇后である貞明皇后の姉というサラブレッド。
大谷探検隊を組織して、仏教の経典を求めて中央アジア、インド、中国を探検したことで知られています。182 cmの長身に英国仕立の背広がよく似合ったそうです。
北白川宮成久(1887~1923年):皇族
貴公子然としてますね。35歳のとき、滞在中のフランスのパリで車を運転していてアカシアの木に激突して死亡。フランスでは遊びまくっていたみたいです。
陸奥広吉(1869-1942):ベルギー公使
ハーフみたいな顔をしていますが、両親とも日本人です。父親は不平等条約改正に辣腕を振るった外交官、陸奥宗光。広吉と血はつながっていませんが、宗光の後妻、亮子は絶世の美女として有名でした。
陸奥亮子(1856~1900年):外交官夫人
藤原義江(1898~1976年):オペラ歌手
スコットランド人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。若い頃のあだ名は「ドレヒザ」。一緒に風呂に入った友人が彼の股間のモノを見て「どっちが膝だか分からない」といったのが語源だそうです。
そのせいか女性にはよくモテ、ドンファンとして有名でした。
伊達順之助(1892~1948):満洲馬賊
戦国武将伊達政宗の直系子孫。父は仙台藩知事、伊達宗敦。華族の子に生まれながら素行が悪く、麻布中学、慶應義塾中等部、学習院、立教中学など幾つもの学校を退学させられます。
立教中学在学中、東京明石町の路上で縄張り争いから不良学生を射殺する事件を起こすものの、伊達家の雇った敏腕弁護士のお蔭で正当防衛で釈放されます。
その後、満州に渡って馬賊になり、日本人でありながら満州馬賊の頭目として活躍。終戦後、日本人戦犯として逮捕され、1948年に上海で銃殺刑に処せられるという波乱万丈の生涯を送りました。
内田吐夢(1898~1970日):映画監督
戦前、戦後にかけて多くの名作を撮った日本映画の巨匠。戦時中、満州に渡り、満映に参加。終戦後も9年間、中国に留まりました。アメリカ人みたいな顔をしてますが、身体もデカくて、大男だったそうです。
小津安二郎(1903~1963):映画監督
この方も立派な顔をしてましたね。特に鼻がご立派! 中国に行ったとき、何もいわないのに、中国人は彼の顔を見ただけで、大人(たいじん)と呼んで恭しく接したそうです。
白洲次郎(1902~1985):吉田茂のブレーン、東北電力社長
やっぱり締めはこの人ですかね。日本で初めてジーンズを履いたのは彼だといわれていますが、今の日本でも、白のTシャツとジーンズがこれほど似合う中年はいないでしょう。
それにしても、白洲次郎と白洲正子夫婦を馬鹿にしたソフトバンクのCMは不愉快ですね。
なんでも白洲次郎は終戦直後、在日朝鮮・韓国人を全員、帰国させるように吉田茂に進言したそうで、それで在日に嫌われているとのことですが、ようするに彼に先見の明があったということでしょう。
彼がいうように在日を全員、帰国させていたら、今のように日本国家の土台が在日というシロアリに蝕まれることはなかったわけですから。
参照ウェブサイト:近代日本のイケメンの画像を淡々と貼っていくhttp://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/6500923.html
by jack4africa
| 2013-03-05 00:22
| 日本と日本人