2006年 05月 05日
平和憲法 |
5月3日は憲法記念日で、憲法第9条を擁護する護憲派と憲法を改正すべきであると考える改憲派がそれぞれ大会を開いたとテレビのニュースで報じていました。
護憲派の連中は、憲法第9条に代表される現行の「平和憲法」は、世界に誇るべき立派な憲法であるから断固、擁護すべきであると主張していますが、私は特に第9条を廃止して、自衛隊を普通の軍隊として認め、日本をいざというときに戦争できる国にするために憲法を改正する必要があると考えています。
護憲派は、憲法を改正すると日本はまた軍国主義の道に逆戻りすることになると主張していますが、それは詭弁です。
戦前と現在では時代も背景も異なりますし、現に日本を除く世界の大半の国は軍隊を保有し、憲法で交戦権を否定していないにもかかわらず、しょっちゅう戦争をやっている国はアメリカやイスラエルなど、世界全体からみればほんの一部の国にすぎません。
憲法改正の目的は、第9条を廃止して、いつでも戦争ができるように準備しておくことにありますが、これは必ずしも、実際に戦争をすることを意味するものではありません。
江戸時代、サムライには帯刀が許されていましたが、実際に武士が刀を抜くことはめったになかったそうです。
そりゃ、そうでしょう。武士がそんなにしょっちゅう刀を抜いて刃傷沙汰を起こしていたら、武士以外の階級の人間から猛反発を受けて、武士階級をエリートとする封建体制は崩壊していたに違いありません。
ただ、武士が帯刀し、その気になればいつでも刀を抜くことができるという事実は、武士に権威を与え、武士以外の階級の人間に武士に逆らうことを思いとどまらせる抑止力として働きました。
私が主張する憲法改正の目的もここにあります。
憲法を改正して、日本もその気になったら、いつでも武力を行使して、戦争に訴えることができるんだぞ、という事実を世界、特に日本の周辺諸国に示し、これらの国々が日本に対して武力を行使することを躊躇させる抑止力を身につける必要があると私は考えるのです。
実際、戦後60年間、日本が戦争に巻き込まれずにすんだのは、なにも「平和憲法」のお陰ではなく、日米安保条約によってアメリカの核の傘に入り、アメリカに護られていたからです。
このことは、1950年にアメリカのアチソン国務長官が、「アメリカが責任をもつ防衛ラインは、フィリピン~沖縄~日本~アリューシャン列島までで、(韓国と台湾を含む)それ以外の地域は責任をもたない」と発言した途端、金日成の北朝鮮が韓国に侵攻した事実をみればあきらかです。
当時の韓国は日本と同様、アメリカの意向で十分な装備の軍隊を保有していなかったのです。
ただ、これまで日米安保条約のお陰で、日本は平和を享受してきましたが、アメリカが未来永劫、日本を護ってくれるという保証はありません。
やはり、自分の国は自分で護るというのは、主権国家としての最低の権利であると同時に義務でしょう。
現在の日本は、自衛隊という立派な軍隊を持ちながら、「平和憲法」のお陰で、伝家の宝刀としてそれを使うことができない状態にあります。
その結果、軍隊でありながら武力を行使できず、イラクに派遣された自衛隊員はオランダやイギリスなどの別の軍隊に護ってもらうという軍隊としてはまことに屈辱的な状況に置かれているのです。
中国や南北朝鮮が日本に対してあれほど無礼な態度を取るのも、いくら挑発しても、日本は平和憲法があるから反撃してこないだろう、とたかをくくっているからです。
このことは憲法を擁護する護憲派の連中にこれらの国と仲の良いサヨクが多い事実を見れば明らかです。
以前、「クスクス日記」でご紹介した心理学者の岸田秀先生によると、「平和憲法」がアメリカとの戦争に負けた結果、アメリカから押し付けられた憲法であるという事実を忘れたか、忘れたフリをして、あたかも日本国民が自らの意思で選びとった憲法であるかのように主張する護憲派の心理は、男にレイプされたのに、自分がレイプされたという屈辱的な事実を認めたくなくて、あれはレイプではなく、和姦だったと言い張る女性の心理と同じだそうです。
by jack4africa
| 2006-05-05 00:33
| 国際関係