2014年 05月 20日
多文化主義と同性愛(1) |
先日、『移民の運命』という本を読みました。
著者のエマニュエル・トッドはフランスの歴史人口学者で、1976年、若干25歳のときに著した『最後の転落』でソ連の崩壊を予言し、
2002年に発表した『帝国以後』でアメリカの衰退を予言し、2008年に出版した『文明の接近』では、2011年初めに起こった「アラブの春」の到来を予見したことで知られています。
トッドは世界各地の家族制度を家族の形態と財産分与方式に基づいていくつかのタイプに分類して、識字率や出生率などの人口統計学データを使って、
家族制度が異なる地域ごとに民主化や発展の度合いを分析、予測するというユニークな方法論を使っているのですが、
トッド理論の詳細な解説については、専門家に任せるとして、ここでは、私がこの本を読んで感じたことを書いてみたいと思います。
実は、この本のアメリカ合衆国の移民について書かれてある章を読んで、私が長年、疑問を抱いていたアメリカの同性愛文化の特殊性を解く鍵が得られたような気がしたのです。
トッドによるとアメリカの家族制度は、イギリスなどと同様、アングロサクソン文化圏に特有の「絶対核家族」タイプに分類されるそうです。
「絶対核家族」の家族制度では、子供が成人すると親元を離れて別の家庭を持って独立する核家族が普通で、
遺産は兄弟姉妹に均等に分与されるのではなく、親がだれに遺産を残すか遺言で指名する慣習があります。
その結果、同じ兄弟でも遺産が貰える人間と貰えない人間が出てきます。
このような家族システムの下に育った人間は、親子、兄弟間の縁が薄いので、自由と独立の精神が涵養されますが、遺産分与に際して兄弟が不平等に扱われるために、平等の概念は持ちにくく、
その結果として、人種の平等には関心を持たず、各人種間には差異が存在するのが当たり前と考える傾向が強くなるといいます。
これと対照的なのが、フランス中央部やイタリアやスペインなどのラテン文化圏に見られる「平等主義的核家族」の家族制度で、
この家族制度では、子供が結婚すると独立して親と別居する核家族が基本であることは、アングロサクソン圏の「絶対核家族」と同じですが、
遺産相続においては遺産は兄弟姉妹間に均等に配分されることから、兄弟間の平等が保証されます。
そしてこのような家族システムの下に育った人間は、人種間の平等を信じる普遍主義的な傾向を持つようになるそうです。
つまり、この理論に従うと、アングロサクソン文化が支配的なアメリカ合衆国は、人間の平等を信じない差異主義の国家になりますが、アメリカは、タテマエの上では、自由と平等の国であるとの理念を掲げています。
トッドによると、アメリカでは白人の間では平等が達成されているものの、その白人間の平等は黒人を不可触賤民として扱うことで実現したといいます。
黒人を差別することで元々の差異的(差別的)な傾向を満足させ、その一方で、白人が一団となって黒人と対立したことで、白人間の平等が達成されたのだそうです。
アメリカには最初にイギリス人が移民としてやってきたあと、北欧やドイツ、アイルランド、イタリア、ポーランドなどのヨーロッパ各地からの移民の流入が続くのですが、
これらヨーロッパ各地からやってきた白人移民たちは、徐々にアメリカに同化していき、最終的にはアメリカ人としてのアイデンティティを持つに至ったといいます。
一方、アフリカ大陸から奴隷として連れて来られた黒人は、奴隷制廃止後100年以上経った現在もなおアメリカ社会に同化できずにいるとトッドはいいます。
同化の度合いを測る指標として、トッドは異人種間の結婚の比率を使っているのですが、
それによるとアメリカの黒人が黒人以外の人種と結婚する割合は1992年の統計で、男性は4.6パーセント、女性は2.3パーセントに過ぎないそうです。
この本は1994年に出版されたことから、統計データは古いのですが、黒人の異人種間結婚の割合の低さは現在でも変わっていないといいます。
その一方で、最近は、黒人と同様に長い間、差別されてきたアメリカ・インディアンや日系人などのアジア系アメリカ人が白人と結婚する割合が増えてきて、これらの人種の白人への同化が進んでいるそうです。
トッドは、アメリカの白人は、意識的には黒人も同じ人間であると考える平等主義の立場を取っているものの、無意識のレベルでは、黒人を差別し、隔離しようとする差別主義的な行動を取っているといいます。
たとえば、アメリカの白人は口では差別反対を唱えながら、自分が住む地域に黒人が引っ越してくるとすぐにその地域から逃げ出して、白人しか住んでいない住宅地に移動していくそうです。
また白人の親は、黒人生徒の多い公立学校を嫌って子供を私立の学校に入れたがるといいます。
その結果、黒人は黒人居住区に隔離されて住むようになり、教育の面でも黒人の子供は黒人の生徒ばかりいる公立学校に通うことになるそうです。
最近は高学歴の黒人の中産階級も出てきているそうですが、彼らが白人と混住することはなく、黒人の中産階級用の住宅地に住んでいるといいます。
これは実質的なアパルトヘイト(人種隔離)だとトッドは主張しています。
アメリカでは、1863年に奴隷解放がおこなわれるのですが、それで黒人がフツーの市民になれたわけではないといいます。
南部諸州では、奴隷解放後も依然として実権は白人が握っていて、人種隔離的な法律が制定され、黒人は選挙権を行使できず、白人の学校には通えない状況が続いたそうです。
奴隷から解放された黒人の多くは、北部の州に移動し、労働者になるのですが、そこでも彼らは白人たちから嫌われ、ゲットーに閉じ込められたといいます。
そもそも北部の人間が奴隷解放を主張したのは、人道的な理由からではなく、たとえ奴隷としてであっても、黒人がアメリカ大陸に流入してくるのは耐えられないと多くの白人が考えたからだそうです。
また奴隷制があった時代には、白人の農場主が黒人の奴隷女と性的な関係を持つことが多かったそうですが、それが北部の人間の目には汚らわしい不道徳な行為として映ったといいます。
その結果、皮肉なことに奴隷の解放によって、白人と黒人の性的接触の機会はますます減り、黒人の隔離が進んだそうです。
それでも1950年代から続いていた公民権運動が実を結び、1964年に公民権法が制定され、黒人は法的な平等を獲得します。
60年代は、アメリカで多文化主義が唱えられるようになった時代ですが、トッドは公民権法の制定と多文化主義の出現には密接な関係があるといいます。
多文化主義というのは、異なる文化を持つ民族が共存する社会において、それぞれの民族がその民族的な出自をアイデンティティとして持つことを認めた上で、これら民族を対等に扱うべきだとする考え方だそうですが、
トッドは、アメリカの白人が多文化主義を賞揚するようになったのは、法的な平等を獲得した黒人が自分たちの住む区域に流入してくるのを怖れたからだといいます。
それで白人たちは、多文化主義を持ち出して、黒人と白人の文化は違うのだから一緒には住めないと主張し、黒人の隔離を正当化したというのです。
多文化主義の根底には人間というのはみな同じではなく、人種によって本質的に異なるというアングロサクソン特有の差異主義的な考え方が存在し、
その結果、多文化主義という思想は、使いようによっては、人種隔離の便利な道具になるというのです。
この本に書かれている話でもう一つ面白いと思ったのは、19世紀にユダヤ人でありながら、イギリスの首相にまで登りつめたベンジャミン・ディズレーリのエピソードです。
トッドによると、ディズレーリは子供の頃にユダヤ教からキリスト教に改宗し、イギリス社会に完全に同化していたにもかかわらず、
公の場では常に自分がユダヤ系であることを主張し、「ユダヤ人は優秀だ」みたいな「ユダヤ礼賛」の言葉をよく口にしていたそうです。
ディズレーリは一見、自発的にこのような主張を行っていたように見えますが、トッドにいわせると、それは彼がイギリスの差異主義的な環境に自分を合わせたからだといいます。
イギリス人は元々、人種の平等など信じていないので(同じイギリス人でも労働者階級から中流階級、上流階級と分かれています)、
逆にディズレーリが「ユダヤ人もイギリス人も同じ人間であることに変わりない」などといったら、イギリス人は当惑し不安になっていただろう、とトッドはいいます。
反対に「ユダヤ人はイギリス人とは違う人種だ」と差異を主張すると、差異主義者のイギリス人は「やっぱりユダヤ人は我々とは違う」と考えて安心したというのです。
これをトッドは「差異主義社会におけるマイノリティーの義務的な自己主張」と呼んでいますが、アメリカの黒人が「ブラック・イズ・ビューティフル」と主張したのも基本的にはこれと同じだそうです。
黒人の隔離を正当化する多文化主義は、皮肉にもアメリカの黒人指導者たちにも浸透し、彼らが黒人であることを必要以上に自己主張した結果、アメリカにおける黒人隔離は一層、進んだといいます。
当然、アメリカの白人はそれを喜び、ますます多文化主義を賞揚するようになったそうですが、そこで頭に浮かぶのはアメリカの同性愛者のことです。
彼らもまた黒人と同様、ゲイコミュニティーというゲットーに隔離されて住んでいて、ゲイパレードなどを開催して盛んに自己主張を行っています。
トッドは、アメリカは同性愛を受け入れるためにわざわざ「同性愛者」というカテゴリーを作った、と述べていますが、
世界的にみて非常に特異なアメリカの同性愛文化もアメリカの多文化主義を抜きにしては語れないと思います。
続く
「私的男色論」の目次
by jack4africa
| 2014-05-20 00:01