2015年 05月 19日
ヤノマミ族の男同士のセックス |
ヤノマミ族は、アマゾン奥地、南米のオリノコ川上流の熱帯雨林に住む先住民で、人口は約2万8000人、現代文明を拒否して、昔ながらの伝統的な生活を送っているといいます。
以前、アマゾンの先住民と暮らしたことのある人から、アマゾンの先住民の間では男同士の同性愛が日常的に見られると聞いたことがあって、
それでヤノマミ族の場合は、どうなっているのだろうと思って、ジャック・リゾー著、守屋信明訳「ヤノマミ」(パピルス)を読んでみました。
この本の第一部「日々の暮らし」の「色恋について」の項に男色に関する記述があります。
「露骨ではめを外したものでないかぎり、ヤノマミの若者の性が抑圧されることはない。この点で彼らの性行動は大人のそれと少しも変わりない。たしかに性器というものは独特な意味合いをおびるが、それでもほかの器官と同じ一つの器官であって、だからこそ性器も遊戯行為の対象とされるのである。大人たちは性行為や生殖機能のことを人前でも平気で口にする。人の性的まじわりや、そこから得られる快楽を子供にも決して隠さない。事実、そこにはいかにも自然なものしか存在しないのである。
子供も大人も、ときには男色に耽ることがある。ただしそのことをおおっぴらに口にすることはない。それはマスターベーションと同じ二次的な性行為であって、行う者たちの心の中にしまいおかれるものだ。だが男色に走ったからとて、インディオのモラルに障るような、反省すべき後ろめたさの感情をあとに引きずるわけではない。男色が非難されることはまずない。あるとしても、せいぜい男色を疑われた者がさして真剣なふうもなく、なんでおれがオカマなんだと抗議するときぐらいなものだ。わざわざ不快に思うほどのものでさえなく、要するに大した問題ではないのである。遊びの上ではいろんな年齢の子供たちが公然と、たえずどこかで男色ごっこをしている。義理の兄弟どうしでは、おたがいに変わらぬ友情を誓ったりしているが、同性愛に走るのはこの間柄にいちばん多い。ただし血のつながる兄弟や、従兄どうしの間でもめずらしくはない。妹(姉)の〈膣を食べる〉――インディオの言い方で性交のことだが――のは立派なスキャンダルだが、弟(兄)の〈肛門を食べる〉ことは少しもスキャンダルにならない。社会は娘や姉妹の交換を強制するけれども、男どうし、女どうしの性行為については何のきまりも設けない。しかしながら義理の兄弟どうしの同性愛と、血のつながる兄弟どうしの同性愛が同じでない点ははっきりさせておかなければならない。一例として二人の若者の間に友情が芽生えたとする。彼らはたがいに同等の間柄と思っている。二人の同性愛的関係は、やがて相手の姉(妹)との異性愛に変わることで義理の兄弟どうしの関係が生まれる。それゆえある意味で同性愛は、異性愛の萌芽ということができよう。血のつながる兄弟の場合、関係は状況が決める。ここでは、好意好感のあるなしは問題ではない。二人の関係は対等ではない。実のイトコおよび並行イトコのグループ内では、年長者が年少者に権限を持ち、年少者の〈肛門を食べる〉ことができるのである。」
要約すると、ヤノマミ族の若者に対する性的な抑圧は少なく、同性愛もおおっぴらに語られることはないものの、フツーに行われている、ということらしいです。
義理の兄弟が同性愛の関係を持つことが多いそうですが、義理の兄弟というのは、自分の姉妹の夫ということで、
日本でも平安時代の公家は自分の妻妾の兄弟と男色関係を持つことが多かったそうで、そういう意味では、このような親族間の同性愛の習慣は人種や民族を超えた人類によくみられる普遍的な現象なのかもしれません。
この義理の兄弟間の同性愛は、文化人類学でいうところの「交換」の概念に基づく兄弟姉妹婚の慣習に関係していると思われます。
離れて居住する2つの集団、AとBに属する若者が互いの姉妹を交換して結婚するこの兄弟姉妹婚の慣習は、ヤノマミ族だけでなく、オーストラリアのアボリジニやパプア・ニューギニアの部族、アフリカのピグミーなどに見られますが、
オーストラリアのアボリジニの場合、交換すべき姉妹がまだ結婚年齢に達していない場合、その兄弟が代役として少年妻になる習慣があるそうです(「アボリジニの少年妻」を参照)。
この兄弟姉妹婚は近親婚を防ぐために考案された慣習だといわれていますが、互いに女という財を交換することで、集団AとBの結束力を高めるという効果もあるそうです。
次に兄弟どうし、姉妹どうしの同性愛は問題ないけれど、兄弟と姉妹間の性交がタブー視されているのは、異性間の近親相姦の場合、女性が妊娠する可能性があるからでしょう。
逆に近親相姦であっても、兄弟どうし、姉妹どうしの同性愛が問題にならないのは、同性どうしなので、いくらセックスしても妊娠する心配がないからだと思われます。
また義理の兄弟どうしの関係が対等で、兄弟やイトコどうしの関係は対等ではないというのは、義理の兄弟の間では互いに相手の肛門を食べることができるけれど、
兄弟やイトコどうしでは年長者が肛門を食べる側、年少者が食べられる側と役割が固定しているという意味でしょう。
ただ私が聞いたアマゾン上流のインディオの部族の場合は、ヤノマミ族と較べてもっと同性愛が盛んだったそうです。
その話は、世界各地の秘境といわれるところに行ってドキュメンタリーを撮っている記録映画の監督から聞いたのですが、
彼がコロンビアのアマゾン上流の熱帯雨林に住むインディオの部落に滞在して記録映画を撮っていたときに観察したところでは、
部落の男たちは夕食を済ませるとすぐにペアになって一緒にハンモックにもぐりこみ、いちゃいちゃしながら過ごすのが日課だったそうです。
当然のことながら、子孫を絶やさないために女ともセックスをしていたのでしょうが、女よりも男とのセックスの方をずっと好んでいるように見えたといいます。
撮影班に同行していた通訳兼ガイドの白人系のコロンビア人の男は、このインディオたちのおおっぴらな同性愛の表現に対して激しい嫌悪感を口にしていたそうですが、
そもそも、中南米を征服したコンキスタドールと呼ばれるスペイン人たちは、南米大陸を征服するにあたって、男色の習慣があったインディオを、
地獄に堕ちて当然の悪徳に耽っている野蛮な異教徒であるとして虐殺した歴史があります。(「ピンク・トライアングルとベルダーシュ」を参照)。
なぜ、それほどスペイン人たちはインディオの男色を毛嫌いしたのか?
キリスト教徒として男色が許せないという感情があったからだと思いますが、それに加えて、スペイン人が長らくアラブ人の支配下にあって、アラブ人から男色を強要されていた事実があったからではないかと私は推察しています。
南方熊楠先生によると、古代ペルシャなどでは、戦争で勝った国の王は、負けた国の王を殺して、その王子たちを羅刹して枕席に侍らせ、女体化した身体を弄んで楽しんだといいます。
8世紀から15世紀にかけてイベリア半島を支配したイスラム王朝の君主たちも男色を好み、
スペイン人の美少年を集めて去勢し、待童として寵愛したり、宦官にして後宮の監督をさせたそうです。
つまり、アラブの支配下にあったスペイン人は、文字通り、アラブ人にお釜を掘られていたわけで、それがスペイン人の心にトラウマとなって残り、
やっとアラブ人をイベリア半島から追い出して、南米大陸の征服に乗り出したとき、男色に興じるインディオの姿を目撃して、過去にアラブ人から受けた屈辱の記憶が蘇り、
異教徒であるイスラム教徒に対する恨みと憎しみをそのまま別の異教徒であるインディオに転嫁して虐殺に及んでしまったのではないかと愚考するわけです。
「世界男色帯」
本日のつぶやき
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150519/k10010084591000.html
同性愛者の被差別民化が着々と進んでいるようです。
by jack4africa
| 2015-05-19 00:01