2015年 06月 09日
リスボン特急 |
製作国 フランス
公開年 1972
監督: ジャン=ピエール・メルヴィル
出演:
アラン・ドロン
カトリーヌ・ドヌーヴ
リチャード・クレンナ
リスボン特急(原題:Un Flic)は、フィルム・ノワールと呼ばれるフランスのギャング映画の巨匠、ジャン=ピエール・メルヴィルの遺作となった作品です。
ジャン=ピエール・メルヴィル監督の晩年の3本のギャング映画、『サムライ』 (1967)、『仁義』 (1970)、『リスボン特急 』(1972) はすべてアラン・ドロンが主演していますが、
これら3本の作品の内、最も完成度が高いのは『サムライ』でしょう。
『サムライ』は、タイトルから始めて細部までメルヴィル監督一流の「男の美学」があますところなく表現されている素晴らしい作品で、この作品については、また別の機会に取り上げたいと思います。
ドロンがメルヴィルと組んだ2本目の作品である『仁義』もかなり面白い作品ですが、ドロンが主演したにもかかわらず、
共演のイヴ・モンタンが主役のドロンを完全に喰っていて、その意味でこれはドロンではなく、モンタンの作品だと思います。
メルヴィル=ドロンが組んだ3本目の作品である本作は前2作と較べてあまり評判がよくありません。
多くの人が指摘しているように、ドロン演じる刑事とリチャード・クレンナ演じるヤクザの友情の深さが観客によく説明されておらず、
その結果、ラストで親友のヤクザを殺さざるを得ない状況に陥った刑事の苦渋がうまく伝わって来ないのです。
そのような欠点にも関わらず、この『リスボン特急 』はホモの視点からみると中々面白い映画です。
メルヴィルの描くフィルム・ノワールの作品は、日本のヤクザ映画と同様、常に男だけのホモソーシャルな世界を描いているのですが、
この『リスボン特急 』には、それ以前のメルヴィルの作品には見られなかったホモセクシュアルなテイストが加わっているのです。
たとえば、最初の方のシーンで、ドロン演じるコールマン刑事が部下の刑事と共に夜のパリの街を覆面パトカーでパトロールしているとき、事件が起こったから現場に直行するように連絡を受けます。
犯人の男娼の少年はすでに警官に逮捕されていて、悪びれもせず不敵な笑みを浮かべて立っています。
そんな少年を前にして、往年のフランス映画の二枚目、ジャン・ドザイが演じる被害者である初老の男色家は、
「街で立ちんぼしているような少年を家に連れ込むのは危険だとわかってるんだが、これほどの美少年をみるとついつい誘惑に負けてね。。。」
と言い訳じみた言葉を呟き、「どうです、中々の美少年でしょう?」と同意を求めるようにコールマン刑事の方を見るのです。
それでコールマン刑事も「これは相当の掘りだしものですな」みたいな感じで、しげしげと少年を見つめ、
「年齢は幾つだ?」
と少年に訊き、少年が、
「18歳です」
と答えると、ホーッという表情になって、男色家の方を見て、
「やっぱり、この年頃が一番、魅力がありますな」
といいたげな顔になるのです。
この時点で、二人はドロボーの被害者と刑事であることを忘れて、ドロボーである美少年の賛美者になっていて、少年は自分が二人からそのように見られていることを知っているので、自身たっぷりの笑みを顔に浮かべているのです。
この男色家と男娼のエピソードは全体のストーリーとは関係ないのですが、なぜわざわざこのようなエピソードを挿入したかというと、
コールマン刑事が男もいける両刀使いであることを暗示するためと、この作品全体を貫くホモセクシュアルなトーンを強調するのが目的だったと思われます。
コールマン刑事は次に、通りで立ちんぼをしている女装のオカマに会いに行きます。
彼はコールマン刑事のために情報提供者として働いていて、「最近、なにか情報はないかい?」「ないわ、でも何かあったらすぐに知らせるわ」といった会話を交わすのですが、
このシーンでは、この女装のオカマがタレコミをするのは金のためではなく、情報を提供する見返りにコールマン刑事に抱いてもらうためであることがわかる人間にはわかるように表現されています。
女装のおかまは「良い情報を提供したら、またあたしを抱いてくれるでしょう?」と潤んだような目で訴え、コールマン刑事はとろけるような甘い笑みを顔に浮かべて、「ああ、たっぷり可愛がってやるよ」と目で答えるのです。
そんな女装のオカマがあるとき、麻薬の運び屋がパリのオーステルリッツ駅からリスボン行きの急行に乗るという情報をもってきます。
コールマン刑事は早速、列車を張りこむのですが、表向きはナイトクラブの経営者、裏の顔はギャングであるコールマン刑事の親友のシモン(リチャード・クレンナ)がその情報を聞きつけて、
走行している列車の屋根にヘリコプターから降り立って、客車で寝ている運び屋を襲って、彼が運んでいる麻薬を横取りしてしまうのです。
そして警察に捕まったときには運び屋の男は麻薬をもっておらず、コールマン刑事はガセネタを掴まされたと激怒し、
情報提供者のオカマを警察に呼び出して殴りつけ、「よくも俺に恥をかかせたな!」と罵り、「男に戻っていちからやり直せ!」と言い捨てて、彼を部屋から追い出すのです。
オカマの方は本当の情報を教えたのになぜ自分が怒られるのか理解できません。
そしてコールマン刑事の「男に戻れ!」という言葉に激しく傷つき、泣きながら走り去って行くのですが、二人の間に肉体関係があることを知らないと、このシーンのオカマの哀しみは理解できないでしょう。
そして彼はシモンの情婦であるカティ(カトリーヌ・ドヌーヴ)と関係を持つのです。
なぜ彼は親友の情婦と寝たのか?
ドロンはそれ以前に『太陽がいっぱい』(1960) や『冒険者たち』(1967) など二人の男が一人の女性を共有する作品に出演していますが、
コールマン刑事は男と女の二刀流なので、親友のシモンに同性愛趣味があれば、彼と寝ていたかもしれません。
しかしシモンは明らかにノンケなので、彼と寝ることは不可能で、それでコールマン刑事はシモンの女であるカティと寝て、カティをシモンと共有することで、シモンとの友情=愛情をより緊密なものにしたかったのではないかという気がします。
そしてラストシーンで、シモンを射殺したコールマン刑事は、少し離れたところで一人立ち尽くすカティに一瞥も与えず、立ち去って行くのです、
彼にとってカティは親友の女だったから価値があったわけで、その親友が死ねばもう彼女に用はないのです。
この『リスボン特急』は、アラン・ドロンとカトリーヌ・ドヌーヴの初共演作ですが、ラブシーンを演じている二人はどことなくよそよそしい感じがします。
特にカトリーヌ・ドヌーヴがドロンのことを嫌っているようにみえるのです。
実際、フランス映画を代表する美男美女スターであるにも関わらず、この二人の共演作はこの『リスボン特急』のほかに『最後の標的』(1982)しかありません。
実はアラン・ドロンは人気スターになったあとも、「ヴィスコンティやルネ・クレマンのような男色家の監督と寝て役を貰った男」とみられて、フランス人から馬鹿にされていたといいます。
フランスに住んだ経験のない人は理解できないと思いますが、フランスは厳然たる階級社会で、ドロンのような成り上がり者、特に同性愛関係を利用して成り上がった人間は軽蔑されるというのです。
アラン・ドロンの出世作となった『太陽がいっぱい』(1960) で、ドロンは自分の美貌を利用して上流階級に入り込もうと企む身分の卑しい青年、
トム・リプレイを演じているのですが、このトム・リプレイの生き方はドロン自身のそれと重なります。
トム・リプレイは、金持ちのドラ息子で上流階級に属するフィリップ(モーリス・ロネ)と寝て、彼の友人として上流階級の連中と付き合うのですが、
フィリップが一緒のときはトムを受け入れていた上流階級の連中は、フィリップが行方不明になると(実はトムに殺されていた)、手の平を返したようにトムに冷たくなります。
私は『太陽がいっぱい』はフランスに行く前とフランスから帰ってからと2回、観たのですが、フランスから帰ってからの方が、この映画をずっとよく理解できました。
フランスに住んでフランスの階級社会に触れたことで、上流階級の連中から馬鹿にされ、冷たくあしらわれるトムの屈辱と哀しみがより一層、理解できるようになったのです。
アラン・ドロンは1960年代の終盤にマルコヴィッチ事件と呼ばれるスキャンダルに見舞われ、俳優生命を危機に晒します。
1968年10月1日、パリ郊外のゴミ捨て場で、アラン・ドロンの元ボディガードのユーゴ人のステファン・マルコヴィッチが死体で発見されます。
警察は実行犯としてナイトクラブ経営者であるコルシカ人ヤクザのフランソワ・マルカントーニを逮捕しますが(後に証拠不十分で釈放)、ドロンとマルカントーニは親しい友人で、
マルコヴィッチが殺される直前に故郷の兄に宛てて出した手紙に、「自分の身に何か起こったら、アラン・ドロンと彼の友人、マルカントーニのせいだ」と書いていたことが判明、警察はドロンの関与を疑います。
実はマルコヴィッチはドロンのボディガードを辞めたあと、エトワール広場の近くで高級売春宿を経営し、そこに客として来た有名人の痴態を写真に撮り、それをネタにゆすりを行っていたのです。
アラン・ドロン自身も同様の写真を撮られ、それをネタにゆすられたことから、親友のマルカントーニに頼んでマルコヴィッチを殺させたのではないかと疑われたのですが、
この頃、フランスではこのマルコヴィッチ事件の話でもちきりで、夕刊紙は毎日のようにこのスキャンダルに関する記事を載せ、
マルコヴィッチはアラン・ドロンの妻のナタリーと不倫関係にあったとか、いや、関係があったのはナタリーではなく、アランの方だったとか、いや三人は毎晩、同じベッドに一緒に寝ていたとか、面白おかしく書きたてていました。
さらにマルコヴィッチの経営する高級売春宿には当時のポンピドー首相夫婦も出入りしていたことが判明、事件は政界を巻き込む一大スキャンダルに発展します。
ポンピドー夫人は大柄なブロンド美人で、レスビアンだったといわれていますが、彼女がほかの女性とレスビアン行為に耽っている写真がマルコヴィッチの遺品の中から発見され、
それに対して、ポンピドー首相は、その写真は、自分が大統領選挙に出馬するのを妨害するために政敵がねつ造した写真であると反論します。
ドロンは重要参考人として警察で長時間にわたる厳しい取り調べを受けますが、結局、証拠不十分で逮捕されず、事件は迷宮入りになります。
このマルコヴィッチ事件の危機を乗り越えたことで、ドロンはそれまでの単なる甘い二枚目からフィルム・ノワールにふさわしい危険な匂いのする凄みのある俳優に脱皮するのですが、
この事件のお蔭で、私生活でもヤクザと交際があることが明るみに出て、そんな彼をドヌーヴは嫌っていたのではないかと勝手に想像するわけです。
本日のつぶやき
日本のAIIBへの参加、外務報道官が「中国の汚職問題が整理されるまでは決めない」―中国メディア
2015年6月9日 5時36分
http://news.livedoor.com/article/detail/10208174/
G7サミット(先進7カ国首脳会議)がドイツで開幕し、各国首脳が中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)をめぐって協議した。
日本の立場について、川村泰久外務報道官は「日本は中国の汚職問題が整理されるまで、参加するかどうかを決めない」と述べた。
8日付で観察者網が伝えた。
川村報道官は記者団に対し、「日本は、中国が人権や債務、環境、ガバナンスの問題を重要視するまで、AIIBに参加するかどうかの決定は下さない」と述べた。
また、安倍首相が汚職問題への対処の重要性を非常に重視しているとした。
日本側は中国当局にこれらの問題について説明を求めており、今後も中国側とこれらの問題をめぐって話し合いたいとしている。
(編集翻訳 小豆沢紀子)
やっと日本の外務省も中国に対して言うべきことを言うようになりましたね。
これも安倍さんのおかげです。
つぶやき2
日本でLGBTを支援しているラッシュというイギリスの石鹸屋、シーシェパードも支援してるんですよね。
https://www.lushjapan.com/article/we-believein-love-02
https://www.lush.co.uk/article/sea-shepherd
つぶやき3
ゲイリブしばき隊が祖国のパレードを応援
http://www.asahi.com/articles/ASH6B6F5SH6BOIPE02S.html
そんな暇があるんなら、さっさと帰国して兵役に就けば?
by jack4africa
| 2015-06-09 00:01
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