2006年 07月 11日
戦前の男色 |
赤松啓介の著書「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」で紹介されているのは主として女色を巡る話で、男色の話は少ないのですが、それでも大正の終わりから昭和の初め頃までの興味深い男色風俗がいくつか紹介されています。
赤松は大正の終わりから昭和の初めまで大阪で丁稚奉公をするのですが、当時、大阪には丁稚や女中の奉公先を紹介する口入屋(くにゅうや)と呼ばれる私設の職業斡旋所があったそうです。
赤松も仕事を見つけるのによく口入屋の世話になったそうですが、懇意になった口入屋の主人に「お前は用心せんとあかんぞ、知らんとこの口入屋なんか行くな」と注意されたといいます。
なぜそんなことを言われたかというと、赤松は色白で小柄だったために、オカマにされる危険があったからだそうです。
「オカマにされる」というのはどういうことかというと、普通の奉公先を紹介されたと思って行ってみたら、女衒のような男たちが待ち構えていて、彼らに集団レイプされ、アナル・セックスの味を教え込まれて、女装の売春夫に仕立てあげられてしまうことなんだそうです。
当時は、自分から進んでオカマになった男もいたそうですが、強制的にオカマにされるケースの方が多かったといいます。
それでも、オンナになるのは意外と早く、半年もすると女装して商売するようになったといいます。
「オンナになる」とは、アナル・セックスの受け身をやらされているうちに精神的にも性的にもオンナになってしまい、女装して商売をすることに抵抗を感じなくなることをいうらしいです。
ただ、現在のように性転換手術はなかったので、オカマになっても身体は男のままで、客の要求に応じて、セックスではタチ役をやることもあったそうです。
それでも、やはり一度バックの味を覚えてしまうと、タチ役よりもウケ役の方を好むようになったといいます。
戦前の大阪では今宮(現在の釜が埼)のスラム街では、このようなオカマが公然と商売し、夫婦暮らしをしているオカマも多かったといいます。
「夫婦暮らしをする」というのは、オカマが女としてノンケの男と夫婦になって一緒に生活することをいうらしいです。
口入屋では、奉公先が見つかるまで2階に泊めてくれる店もあって、そういうところでは、同じように仕事を探している男たち何人かと雑魚寝になることが多く、
性欲の強い青・壮年の男たちばかりなので、新米の若い男が入ってくると男たちに輪姦されることもよくあったそうです。
赤松は思想犯として刑務所にも入っているのですが、刑務所でも当然、男色は行なわれていて、赤松がシャツを脱いで上半身裸になってシラミ取りをしていると「女よりキレイやなぁ」と好色な目つきで見る男もいたそうです。
幸い、刑務所では思想犯は独居房に入れられる習慣だったので、赤松はレイプされるような目には遭わずにすんだそうですが、
ほかの受刑囚が輪姦されるのを目撃したことはあって、ヤラれる男は激痛で泣き叫ぶので見ていて可哀想だったといいます。
明治に入ってから、同性愛を罪悪視する欧米のキリスト教的倫理観が日本に流入してくるのですが、少なくとも昭和の初め頃までは、日本の一般庶民は、同性愛=悪という西洋的偏見には毒されておらず、
当時の一般庶民にとって男色というのはありふれた性愛のひとつでしかなく、男色あるいは男娼を指す「オカマ」という言葉も現在のような蔑称ではなかったことが赤松の本を読むとよく判ります。
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by jack4africa
| 2006-07-11 19:43

